ほめてもほめても自己肯定感が上がらない理由とは?
2016/04/13 更新
最近、自己肯定感という言葉をよく耳にするようになりました。ほめる=自己肯定感が上がる、という図式が出来上がっているように感じますが、発達障害児ママである私にとっては物足りない気がしていて…
kaoru
70241
View
当サイトに掲載されている情報、及びこの情報を用いて行う利用者の行動や判断につきまして、正確性、完全性、有益性、適合性、その他一切について責任を負うものではありません。また、掲載されている感想やご意見等に関しましても個々人のものとなり、全ての方にあてはまるものではありません。
自分の息子は、物事向かうときの自分の体調に少しでも不調があると、向かえなくなってしまうこだわりがあります。自己肯定感が高まれば、ちょっと具合の悪い部分があっても「大丈夫、それも自分。」と認めてあげられるのではないか。
そんな息子の態度をみた周囲はついつい厳しく受け止めてしまうと、自己肯定感を低めてしまうのだなと感じました。
そんな息子の態度をみた周囲はついつい厳しく受け止めてしまうと、自己肯定感を低めてしまうのだなと感じました。
自己肯定感って難しいなぁ。
良さをみる?
なぜかしっくりこず
良さだけ?
良さってなかなか自信もって言えない
できないことに意識がいってしまっている。
苦手なところもできないところも
認める。
これなら
苦手なところがあっても
それがダメと思わずに
前向きにがんばれそうな気がする。
周りでは
できる人でないと。とか
言う人もいるけど
そんなこと言ってたら
何にもできないよ。
良さをみる?
なぜかしっくりこず
良さだけ?
良さってなかなか自信もって言えない
できないことに意識がいってしまっている。
苦手なところもできないところも
認める。
これなら
苦手なところがあっても
それがダメと思わずに
前向きにがんばれそうな気がする。
周りでは
できる人でないと。とか
言う人もいるけど
そんなこと言ってたら
何にもできないよ。
私の好きな子育て本に「失敗を褒める」と有ったのですが少し理解出来なかったんです。でも、こういうことなんだなぁと理解出来ました。
長所も短所もひっくるめて大好きという気持ちは、親子間だけで無く夫婦間も必要な気がします。
出来てるかどうかは別として(笑)
長所も短所もひっくるめて大好きという気持ちは、親子間だけで無く夫婦間も必要な気がします。
出来てるかどうかは別として(笑)
苦手なのに、頑張ったね。
はっとしました。
頑張ったけど、やっぱり苦手だもんね…
使っている言葉は同じなのに、言われた時の気持ち、全然違いますね。
今日から「認める」ことを意識します。
はっとしました。
頑張ったけど、やっぱり苦手だもんね…
使っている言葉は同じなのに、言われた時の気持ち、全然違いますね。
今日から「認める」ことを意識します。
小学生の頃〝褒められる〟ことが嫌でした。〝褒める〟という行為には上下関係があると子供ながらに感じていました。
褒めるのではなく〝共感される〟のが一番嬉しいことです。
褒めるのではなく〝共感される〟のが一番嬉しいことです。
褒められない時に頑張る力が弱くなる。褒められないとしなくなる。
うちは、子供達(もう社会人)ではなくて、私が主婦としてハウスキーピングがまともに出来ません。
出掛ける日には洗濯も掃除もやらずに、とにかく遅刻しないように自分の支度を整える事に集中。
だから365日のうち殆どが、汚れのひどい所優先の清掃のみだし、洗濯物干しは夜間に浴室乾燥機(エアコンと同じ電力かかりますよね汗)を使用してます。
おおかたの主婦のように朝からきちんとお風呂掃除や洗濯物干しをしてた頃はウッカリ遅刻してばかりでヒンシュクでした。
だから今は苦手をカバーしてるんだと自分を認めてあげ、お付き合いに支障が出ないようにしていて、これって密かに胸を張って生きてて良いんでしょうか?自分でダメ人間と烙印を押したらこれから先生きていくのが嫌になりそうなんです。
出掛ける日には洗濯も掃除もやらずに、とにかく遅刻しないように自分の支度を整える事に集中。
だから365日のうち殆どが、汚れのひどい所優先の清掃のみだし、洗濯物干しは夜間に浴室乾燥機(エアコンと同じ電力かかりますよね汗)を使用してます。
おおかたの主婦のように朝からきちんとお風呂掃除や洗濯物干しをしてた頃はウッカリ遅刻してばかりでヒンシュクでした。
だから今は苦手をカバーしてるんだと自分を認めてあげ、お付き合いに支障が出ないようにしていて、これって密かに胸を張って生きてて良いんでしょうか?自分でダメ人間と烙印を押したらこれから先生きていくのが嫌になりそうなんです。
家の子も同じです。褒めても全く自己肯定感があがらなくて、いつも低いって言われました。
自己肯定感が低いって言われると、私がもっと褒めないといけないのかしらって責められた気持になったりして。
自分の肯定感が下がりました。
年齢が上がると本当にやりにくくなる事は確かにありますよね。
本人が、自分を認めて生きていける様にしてあげなければ!と思いました。
この記事を読んで、又深く考えさせられました。ありがとうございました。
自己肯定感が低いって言われると、私がもっと褒めないといけないのかしらって責められた気持になったりして。
自分の肯定感が下がりました。
年齢が上がると本当にやりにくくなる事は確かにありますよね。
本人が、自分を認めて生きていける様にしてあげなければ!と思いました。
この記事を読んで、又深く考えさせられました。ありがとうございました。
「褒め」ポイントも重要に思います。
出来たことや良かったこと、、というより、少しでも努力したことやいつものようにまたはいつもより頑張ったことなどに目を止めて具体的に「褒める」なら、結果がどうあれ、そのままの自分を認めてくれる存在が確かにいることを認識したら、ああ、自分が自分でいいんだ、と自己肯定出来ていくのかなと思います。
少しの努力したところを褒めるのって、感情移入して心を寄り添わせるこちらの努力もいるわけで、そういう心を寄り添わせてくれたことで愛情も感じとれ、安心感も得ていけるんだと思っています。
私自身、色々と努力中ではありますが。
出来たことや良かったこと、、というより、少しでも努力したことやいつものようにまたはいつもより頑張ったことなどに目を止めて具体的に「褒める」なら、結果がどうあれ、そのままの自分を認めてくれる存在が確かにいることを認識したら、ああ、自分が自分でいいんだ、と自己肯定出来ていくのかなと思います。
少しの努力したところを褒めるのって、感情移入して心を寄り添わせるこちらの努力もいるわけで、そういう心を寄り添わせてくれたことで愛情も感じとれ、安心感も得ていけるんだと思っています。
私自身、色々と努力中ではありますが。
まさに、今同じことで悩んでいました。
自閉傾向のある息子、とにかく自信がなく、ガラスのハート。周りからは「いっぱい褒めてあげて」「良いところ伝えてあげて」「抱きしめてあげて」「お母さんが変われば変わる!」とか言われ続け、あの手この手で褒めてきました。頑張ったところ、少しでも努力したところを気付いては褒めました。
が、ほめてもほめても自己肯定感が上がってるように感じられません。
「こんなにできたね!」→「でも次はできないかもしれないし・・・」
「頑張ったね!」→「頑張ってないし別に」
「絵、上手だね」→次描くときに褒めまくらないとやらない、一度褒めないと「もうダメなんだ」みたいになって・・
そんな感じで、褒めることがプラスになってるのか?疑問に思えてきた今日この頃でした。
叱るばかりではダメなのは確かにそう思いますが、褒めることばかりでも伝わらないんじゃないかなあと思ってたので、「認める」というのはとてもストンと心に落ちたというか。
下手でもいい、出来なくてもいい、でも次もうちょっと工夫してやってみようとか、コレは苦手で出来ないけど他のことはできるとか、苦手なのは手伝ってもらうとか、それでも良いんだと思えるのが自己肯定感なのだろうなと思います。
自閉傾向のある息子、とにかく自信がなく、ガラスのハート。周りからは「いっぱい褒めてあげて」「良いところ伝えてあげて」「抱きしめてあげて」「お母さんが変われば変わる!」とか言われ続け、あの手この手で褒めてきました。頑張ったところ、少しでも努力したところを気付いては褒めました。
が、ほめてもほめても自己肯定感が上がってるように感じられません。
「こんなにできたね!」→「でも次はできないかもしれないし・・・」
「頑張ったね!」→「頑張ってないし別に」
「絵、上手だね」→次描くときに褒めまくらないとやらない、一度褒めないと「もうダメなんだ」みたいになって・・
そんな感じで、褒めることがプラスになってるのか?疑問に思えてきた今日この頃でした。
叱るばかりではダメなのは確かにそう思いますが、褒めることばかりでも伝わらないんじゃないかなあと思ってたので、「認める」というのはとてもストンと心に落ちたというか。
下手でもいい、出来なくてもいい、でも次もうちょっと工夫してやってみようとか、コレは苦手で出来ないけど他のことはできるとか、苦手なのは手伝ってもらうとか、それでも良いんだと思えるのが自己肯定感なのだろうなと思います。
そーだよなーと痛感。
子供の欠点ばかりが目立って
将来どうなるんだろうと不安ばかりを子供にそのままぶつけてしまっていた…
もう17歳…今から始めて間に合わなくても始めたい。
子供の欠点ばかりが目立って
将来どうなるんだろうと不安ばかりを子供にそのままぶつけてしまっていた…
もう17歳…今から始めて間に合わなくても始めたい。
全くだなーと思いました。私も気をつけます。
自己肯定感を持つだけでなく、その後楽しく明るく生きていくには、現状を正しくわかって、今ここ、を周りの人も自分も認める、というのが基礎だなと思います。
この前読んだ脳科学の本で、脳は具体的にこうしようということにしか反応しないって読みました。どうやってうまくいくようにするか、失敗をカバーするかを、具体的にしたらさらにいいなって思いました。「こうしたらいい」「こうしなさい」には反応しにくいそうですから、小学生くらいなら、「こうするのとこうするのと、どっちがいいと思う?」とわかりやすい選択肢を出してあげて、自分で選択して「こうしようと思う」と言ってもらうと、しっかり頭が動くんですって。
自己肯定感を持つだけでなく、その後楽しく明るく生きていくには、現状を正しくわかって、今ここ、を周りの人も自分も認める、というのが基礎だなと思います。
この前読んだ脳科学の本で、脳は具体的にこうしようということにしか反応しないって読みました。どうやってうまくいくようにするか、失敗をカバーするかを、具体的にしたらさらにいいなって思いました。「こうしたらいい」「こうしなさい」には反応しにくいそうですから、小学生くらいなら、「こうするのとこうするのと、どっちがいいと思う?」とわかりやすい選択肢を出してあげて、自分で選択して「こうしようと思う」と言ってもらうと、しっかり頭が動くんですって。
アスペルガー成人当事者男です。
正に正鵠を射ています。
正に正鵠を射ています。
私もついつい苦手な事を子供がやってにたとき、『苦手なのに頑張れば出来るじゃん』なんて言ってしまってました。
すこしずつ言葉をかえていこうと思います。
すこしずつ言葉をかえていこうと思います。
自分も親に認めてほしかったな~と思っていたことを思い出した。子供もそうなんだろう。でも、できない子を認めるって難しい。いいよ、って言ってあげればいいのに。それは、私の課題です。
でも、子供に失敗するのは悪いことじゃない、お母さんもこんな失敗したとは話すことにしている。
でも、子供に失敗するのは悪いことじゃない、お母さんもこんな失敗したとは話すことにしている。
息子は、自閉症であり、軽度知的障害である為、養護学校に通っています。
養護学校では、2人の子供に1人の担任がつきます。
息子は、軽度知的障害なので、養護学校では比較的軽い障害となる為に、同級生の中の一番障害が重いお子様といつもペアになりました。
そのお子様は、障害が重く、言葉を発する事が出来ず、10分ごとくらいに足のマッサージをしてあげなければならない状況で、担任の先生はいつもマッサージをして上げていました。
一方息子は、音に過敏がある反面、絶対音感を持ち、耳で聞いた曲をピアノで弾く事ができました。
担任の先生はペアを組んだ重度の障害を持つお子様が息子に自分の好きな曲の音楽のリクエストが出来る様に、曲のカードを作りました。
重度障害のあるその子は、息子のピアノが聞きたくて、カードを指さす、渡す等の訓練を続け、最終的には、自分で息子に自分が好きな曲、弾いて欲しい曲をリクエスト出来る様になりました。
息子は、曲を弾くたびに嬉しいそうに飛び跳ねて踊る重度障害を持つ同級生のお子様を見て、益々ピアノに磨きがかかり、上手になりました。
二人はいつも、養護学校で楽しく過ごしました。
得意な事を伸ばすとか、褒める叱る、そうした小さな世界から、新しい世界に抜け出した瞬間でした。
そこは、苦手とか、出来る出来ないとかそうした事とは全く異なる世界です。
人は、面倒を見てあげる誰かがいて自己肯定感を持つ事が出来るのではないでしょうか?
誰かの為に、何かをしてあげる事が出来る自分を知った時に、息子のピアノの様に、大きく伸びるのではないでしょうか。
カードでリクエストし続けたお子様は、自分がリクエストし続けると、息子のピアノが上手になる事を知ったので、リクエストを積極的にする様になったのではないでしょうか?
共に歩んで、お互いが伸びたのです。
客観的で恐縮ですが、自己肯定感が持てない人は、自分が障害と言いながらも、障害のある人達と関わっていない事が、自己肯定感に大きく影響しているのではないかと考えます。
共に歩むお友達、共に歩む人。今の自分の周囲にある人々の輪が全てではない事、全く異なる世界がある事も是非知って頂けたらと思いました。
養護学校では、2人の子供に1人の担任がつきます。
息子は、軽度知的障害なので、養護学校では比較的軽い障害となる為に、同級生の中の一番障害が重いお子様といつもペアになりました。
そのお子様は、障害が重く、言葉を発する事が出来ず、10分ごとくらいに足のマッサージをしてあげなければならない状況で、担任の先生はいつもマッサージをして上げていました。
一方息子は、音に過敏がある反面、絶対音感を持ち、耳で聞いた曲をピアノで弾く事ができました。
担任の先生はペアを組んだ重度の障害を持つお子様が息子に自分の好きな曲の音楽のリクエストが出来る様に、曲のカードを作りました。
重度障害のあるその子は、息子のピアノが聞きたくて、カードを指さす、渡す等の訓練を続け、最終的には、自分で息子に自分が好きな曲、弾いて欲しい曲をリクエスト出来る様になりました。
息子は、曲を弾くたびに嬉しいそうに飛び跳ねて踊る重度障害を持つ同級生のお子様を見て、益々ピアノに磨きがかかり、上手になりました。
二人はいつも、養護学校で楽しく過ごしました。
得意な事を伸ばすとか、褒める叱る、そうした小さな世界から、新しい世界に抜け出した瞬間でした。
そこは、苦手とか、出来る出来ないとかそうした事とは全く異なる世界です。
人は、面倒を見てあげる誰かがいて自己肯定感を持つ事が出来るのではないでしょうか?
誰かの為に、何かをしてあげる事が出来る自分を知った時に、息子のピアノの様に、大きく伸びるのではないでしょうか。
カードでリクエストし続けたお子様は、自分がリクエストし続けると、息子のピアノが上手になる事を知ったので、リクエストを積極的にする様になったのではないでしょうか?
共に歩んで、お互いが伸びたのです。
客観的で恐縮ですが、自己肯定感が持てない人は、自分が障害と言いながらも、障害のある人達と関わっていない事が、自己肯定感に大きく影響しているのではないかと考えます。
共に歩むお友達、共に歩む人。今の自分の周囲にある人々の輪が全てではない事、全く異なる世界がある事も是非知って頂けたらと思いました。
私もずっとひっかかってところでした。
認めてやりたいけど、自然に学べないならば、そういうときはこうすべきだと教えてやらなければいけないと、子供には正論ばかり押しつけてきました。
一方でら母親なのにこんなことでいいのかと疑問でした。
うちも一生懸命ほめてきましたが、友人関係の中で子供の自己肯定感が最近どんどん下がっていることに気付きました。
自分を客観視しているのは、周囲の目がベースになっているのはないかと思い、誰かが肯定してやらなければと感じていました。
一人二役はムリだし、母親は自分しかいないのだから、いまいちどよく考えてみたいと思います。
ありがとうございます。
認めてやりたいけど、自然に学べないならば、そういうときはこうすべきだと教えてやらなければいけないと、子供には正論ばかり押しつけてきました。
一方でら母親なのにこんなことでいいのかと疑問でした。
うちも一生懸命ほめてきましたが、友人関係の中で子供の自己肯定感が最近どんどん下がっていることに気付きました。
自分を客観視しているのは、周囲の目がベースになっているのはないかと思い、誰かが肯定してやらなければと感じていました。
一人二役はムリだし、母親は自分しかいないのだから、いまいちどよく考えてみたいと思います。
ありがとうございます。
このテーマは私自身もすごく疑問に思っていました。私も昔から自己肯定感が低く、特に小学生だったときに「頑張ればできるよ」「もっと自信を持って」と言われるのがすごく嫌でした。できない自分、自信を持たない自分がすごく出来の悪い子供のような気がして更に落ち込んだのを覚えています。
(実際、兄弟ができていて私がなぜできないのかとよく当時の担任に言われました。)勿論そんな様子を見せると先生方は色々言ってめんどくさいので誰にもいいませんでしたが。
私の息子もどう誉めても自己肯定感が低く失敗を必要以上に恐れます。そのため今までは失敗しないようにアドバイスしてましたが、失敗したときもできなかったことに目を向けるだけじゃなくそこまでの過程で努力した、頑張ったことを受け止めてあげようと思いました。
(実際、兄弟ができていて私がなぜできないのかとよく当時の担任に言われました。)勿論そんな様子を見せると先生方は色々言ってめんどくさいので誰にもいいませんでしたが。
私の息子もどう誉めても自己肯定感が低く失敗を必要以上に恐れます。そのため今までは失敗しないようにアドバイスしてましたが、失敗したときもできなかったことに目を向けるだけじゃなくそこまでの過程で努力した、頑張ったことを受け止めてあげようと思いました。
発達障がい支援員をしています。
事前講習では、
子どもがした事そのものを、言葉に出して言うという事を習いました。
それからは、
「何々が、できたねぇ」「何々をしたんだねぇ」
「おーっ」とか「へーっ!」とかも一緒に…
笑顔で子どもの顔を見て言います。
ほめると言うのとはちょっと違う感じですが、
その子の事を私は、見てるよと言うような感じです。
失敗した時は、「何々しちゃったね…」とか
「やっちゃったねぇ…」「残念!」「惜しいっ!」
といった感じです。
子どもは、色々考えたり悩んだりしています。
子どもが自分の失敗に気がつけば
「次、がんばろ〜」とか、
「今度はこうやったらどうだろうか?」と
相談するように声をかけます。
「ダメかなぁ…」と一緒に考えます。
他の子どもと、トラブルになった時には
「私は〜君は、わざとそんな事をする子じゃない事を知ってるよ」
と言う事もあります。
その子と同じ立ち場に、立って考えているという感じです。
ほめると、子どもはほめられようと無理をしてしまう様に思います。
その子を丸ごと受けとめたいと思っています。
事前講習では、
子どもがした事そのものを、言葉に出して言うという事を習いました。
それからは、
「何々が、できたねぇ」「何々をしたんだねぇ」
「おーっ」とか「へーっ!」とかも一緒に…
笑顔で子どもの顔を見て言います。
ほめると言うのとはちょっと違う感じですが、
その子の事を私は、見てるよと言うような感じです。
失敗した時は、「何々しちゃったね…」とか
「やっちゃったねぇ…」「残念!」「惜しいっ!」
といった感じです。
子どもは、色々考えたり悩んだりしています。
子どもが自分の失敗に気がつけば
「次、がんばろ〜」とか、
「今度はこうやったらどうだろうか?」と
相談するように声をかけます。
「ダメかなぁ…」と一緒に考えます。
他の子どもと、トラブルになった時には
「私は〜君は、わざとそんな事をする子じゃない事を知ってるよ」
と言う事もあります。
その子と同じ立ち場に、立って考えているという感じです。
ほめると、子どもはほめられようと無理をしてしまう様に思います。
その子を丸ごと受けとめたいと思っています。
コラムに対する投稿内容については、株式会社LITALICOがその内容を保証し、また特定の施設、商品及びサービスの利用を推奨するものではありません。投稿された情報の利用により生じた損害について株式会社LITALICOは一切責任を負いません。コラムに対する投稿内容は、投稿者の主観によるもので、株式会社LITALICOの見解を示すものではありません。あくまで参考情報として利用してください。また、虚偽・誇張を用いたいわゆる「やらせ」投稿を固く禁じます。「やらせ」は発見次第厳重に対処します。
小さい頃から、いい事をしなければ、認められないと思って育ちました。
目から鱗でした。さっそく息子に、その様に接していきたいと思いました。
まるごと、認めてあげたいと思います!