「障害者の感動ポルノ」を巡る議論で、私たちが見落としていること

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「24時間テレビ」や「バリバラ」が放送された先週末、ネット上でもそれぞれの番組に対する賛同や批判が飛び交い、「感動ポルノ」という言葉があちこちで見られました。発達障害を持つ子の親として、この言葉にたくさんの人が心を動かされている現状と、この先を考えます。

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障害者を消費する「感動ポルノ」批判、それだけで良いのだろうか

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こんにちは、イシゲスズコです。

4人の子どものうち、小5次男がADHD(とほんのりASD風味)で支援を受けています。
息子との暮らしのなかで、発達障害を始めとした色々なハンディのこと、それを取り巻く環境のことを考える日々を送っています。
 
 
みなさんは、「感動ポルノ」という言葉を知っていますか?

「障害者の存在が、メディアなどによって過剰に感動的に演出され、非障害者の消費の対象になっている」ことを批判した言葉です。

この言葉を最初にメディアにのせたのは、2014年に没したジャーナリスト兼コメディアンのステラ・ヤング氏。

「TED」という国際的なスピーチの舞台で彼女がスピーカーとして語った、「私は皆さんの感動の対象ではありません、どうぞよろしく」という講演でのことでした。

障害のある方が多く出演し、スポーツや音楽などのさまざまな企画に挑戦する、日本テレビの「24時間テレビ」。

その裏で放送されたNHKの「バリバラ」が、番組中でヤング氏の同講演を改めて紹介したことで、日本のネット上にも「感動ポルノ」という言葉が一気に広まったようです。

「バリバラ」の生放送時には、SNS上でも「よく言った!」と番組の挑戦的なメッセージに対する喝采の声が多く上がりました。また、放送終了後の各種ネットメディアの記事にも、「バリバラ」の特集を肯定的に紹介する論調のものが多かったように思います。
 
 
でも…「感動ポルノ」と称して「24時間テレビ」を批判し、真逆のメッセージを発した「バリバラ」を賞賛する。
これで満足していていいんだろうか。

2つの番組を見た後の私の心には、何か言葉にできないモヤモヤが残ったのです。

今回のコラムでは、発達障害という、"目には見えにくい"障害のある子どもの親として、障害者のメディアでの描かれ方と、その裏にある一人ひとりの困難や生きづらさについて、考えてみたいと思います。

「見えない障害」は、感動の対象になることすら難しい

「感動ポルノ」という言葉の印象は強烈ですが、そもそも、感動を呼ぶ映像づくりのようなテレビの手法は今に始まったことではありません。

また、ネット上の酷評とは裏腹に、24時間テレビは今年も平均視聴率は15.4%、瞬間最高視聴率は35%を叩き出しており、検索すれば好意的なツイートもたくさん出てきます。

当事者の意志を無視した過剰な演出の手法には改善の必要を感じる声も多いですが、数字が示しているように、まだまだ世の中では「感動」が求められている。この現状は、そうそう簡単には変わらないのではないかと思います。

それよりも、2つの番組を見ていた私が気になったのは、発達障害や精神障害などの、「見えない」障害者の存在。

そうした「見えない」障害は一見しただけでは他の人との違いや困難が分からないので、「感動ポルノ」どうこう以前に、そもそも感動や消費の対象にすら選ばれにくいのが現状です。
 
 
発達障害のある私の息子も、見た目には健常児とそう変わりません。ADHDという、注意の散漫さや衝動性の高さを特性として持っていますが、それらは日常生活で具体的なトラブルとして現れない限り、周囲が気にすることはほとんどありません。

抱える困難が具体的には目に見えにくい以上、それを乗り越えるための努力も、周囲には見えにくい。そういう意味では、肢体障害や難病のある子たちと同じようには、この感動ポルノについて考えることはできないと思いました。

そこに存在しているだけで障害者であるとわかる人たちと、ただそこにいるだけでは抱えている困難が見えづらい障害がある息子たち。

「見える障害者」と「見えない障害者」、同じ「障害者」という枠のなかにいるけれど、この2つは「違う」。

感動や消費の対象としてテレビ画面に登場することの難しい発達障害者は、健常者の社会の中で困難の存在や努力の過程を認めてもらうことさえ難しいのではないか。

番組を見終わった当初は、そんな風に考えていました。

その人の障害の有無を知ることと、その人の生きづらさを知ることは全く違う

24時間テレビについて批判する声の中には、

「ここにも、あそこにも、困難を抱えている人はいるよ、困難は潜んでいるんだよ」ということを伝えたい、知ってほしいがゆえの叫びも混じっているように思います。

目に見えないところにも、たくさんの困難がちりばめられている社会。
それなのに、わかりやすいハンディのある人だけが特別なステージを与えられて、スポットを浴びている。

私も、発達障害児の親として、そこにモヤモヤする気持ちがなかったかとは言えません。

けれども…「見えている障害」だから分かりやすい、「見えていない障害」だから分かりにくいというのは、果たして本当だろうか。

2つの番組を見終わってからしばらく経って、私の中にそんな問いが浮かんできました。

そして、気づいたのです。

そんな風にして「見栄え」だけで障害者の境遇を比べることは結局、「感動ポルノ」を作ろうとしている人たちが持つのと同じような、勝手な先入観であることに。私自身が、そんな先入観に飲み込まれそうになっていたのです。
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肢体障害者の障害は確かに「見えて」います。でも、ただ見えているだけでは、本当にその人たちが抱える困難など私には知りようもありません。

ある人にとっては、24時間テレビでアイドルとたった一日共演することよりも、バリアフリーの十分でない道や駅を通って、遠くの街にいる友人に会いにいくことの方が、ずっと大変で、ずっと特別な時間かもしれない。

またある人にとっては、移動の不自由はほとんど感じていなくて、むしろ勝手に「かわいそう」扱いしてあれこれ余計な干渉をしてくる周囲の人間の方が、大きな悩みの種かもしれない。

「片足が無い」という障害が、具体的にどんな困難を引き起こしているのかは、その当人にしか分かりません。私たちは勝手な想像で、大変さを推し量って当てはめているに過ぎない。


同じように、私の息子も、発達障害者"だから"困難を抱えているわけではありません。

彼の生まれもっての性格、置かれた環境、色々な要素が絡み合って「今たまたま困難が生じている」に過ぎません。

次男は思ったことをつい口にしてしまうなど衝動的な行動をとりやすく学校で叱られることもあるようです。

静かにしていなければならない場ではハンディとなる彼のその特性ですが、挨拶が上手だと褒められたり、近所のおばあちゃんに気軽に声をかけて喜ばれ可愛がられたりする、彼の長所にもなっています。


そんな彼が目指すべきは「定型発達の人と同じような普通の人として暮らす」ことではなく「安定した『普通の暮らし』が送れるように周囲の助けを得ながら、自分の困難に対応していく」こと。

それは、身体障害を持つ人や難病の方がやっていること、やろうとしていることと同じであり、また健常者として生きている人たちも同じくそうなのではないか、と思うのです。

「障害者だから」という古い枠を超えた、自分の意志を言える社会に。

私の4人の子どもたちが将来「感動ポルノ」と表されるような「本人の意志を無視して虚構を作り上げられる」ことに取り込まれないように、と願います。

「君たちが誰かにそんなことを打診されても、自分が嫌だと思ったら拒否していいのだよ」と伝えたい。

そして、「周りがどんな枠に当てはめようとしてきても、君たちの人生は君たちのものだし、それは周りの人たちも同じなんだよ」ということも。

発達障害のある次男が今度どんな困難に出会い、悩むのかは私には想像もつきません。
ほかの3人の子供たちもそれぞれが色々な障壁に出会うでしょう。

そんな時に、「障害者だから」「健常者だから」という、それぞれの枠に縛られることなく、自分たちの困難を主張したり、助けを求めることが出来るように育ってくれればと思います。

同時に、周囲の方が持つかもしれない困難に思いを馳せ、相手を尊重しながらサポートのできる人になってくれたらとも願っています。

そしてそれが、わざわざ「感動の物語」として特集されなくとも、社会の当たり前の営みとして浸透していってくれたなら…

そんな未来が来たら、私の子どもたちも、テレビに出ていたあの人たちも、それぞれに1人の「個」として普通の暮らしを送っていけるようになるでしょう。

ヤング氏が「新しい先生が車椅子でやってきても誰も驚かない社会」と表したような、どんな人も1人の人間として周囲に受け入れられる、そんな未来を子どもたちに残していくこと、それが私の願いです。
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鈴見咲 君高 さん
2016/12/13 13:24
『「障害」の表記に関する検討結果について』という平成22年11月22日付の内閣府資料では、「障害者」という言葉は主に戦後のものだという説明があります。それ以前はいわゆる差別用語が使われていたから、だそうで。

鈴見咲 君高 さん
2016/12/13 13:11
概して良い記事だと思うのですが、「私『たち』が見落としてい『る』こと」ではなく「私が見落としていたこと」という表題なら素晴らしかった。元の表題には、「あなたも絶対に見落としているはずだ、見落としてないというなら私たちの敵だ」という同調圧力を感じます。

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