かさおさんのページ

かさお
2017年現在、2歳児の男の子を育てています。
未診断ではありますが、週2回療育に通っています。
2018年4月より、保育園へ入園することにしました。
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最近、4歳半になる息子の、あらゆることに対して
「ママ やってー」
がとても気になっていた。

自分でやらないことをやっている、と考えていたけれど、やっぱりできることはなるべく自分でやって欲しいのよね、というのが本音。

今日もお風呂に入る前から、「ママ ボタンとってー」とお願いされる。

なんとなく「赤ちゃんみたいでちゅねー」と冗談とちょっと嫌味を混ぜて言ってみた。
ボタンを外しながら続けて「ママにボタン取ってもらえて嬉しい?」聞くと、

息子がはにかみながら、
「うん、うれしい」と言った。



・・・・・。




あ〜〜〜そうだったのか〜〜〜〜〜

嬉しいのかぁ〜〜

嬉しいんだ、確かに言われればそうなんだけど、

え〜そうなのか〜〜。

もう青天の霹靂。
色々と知識を得て物事を少し知っているつもりになって頭ガチガチになってたのがよくわかる。
何故自分でやらない、楽に逃げる事を知ったのか…?とか深読みしていた。

答えはとてもシンプルだった。

嫌味になってた私が情けなさすぎて泣けてきた。
最近私との口げんかでそれなりに応酬できるようになってきたからと、息子の本来の純粋さを見失っていた。



なに、息子めちゃ可愛いやん🤣
【息子に求めること】
長文です。

私は、息子に将来できるようになって欲しいことが1つだけあります。

それは、『自分でできることは自分でやって、できないことは人に頼る』こと。

これは自分の身の回りのことだけでなく、誰かのために行動する、という意味も含まれます。
「自分は誰かに生かされ、また自分も人を生かす存在」、「one for all, all for one」の考えが根底にあります。

これができる人は最強だと思っています。頼れる環境にない時は頑張りどころですが、基本的に生きることに無理がない。そして、人と共に生きることが前提条件となっている。

もう正直、将来の学業成績とか就職先とか居住地とか、世間体をあまり気にしないように育てていくつもりです。まだ腹を括るまでの覚悟はできてませんがσ(^_^;)


そのために、私『母親』ができることは。
・息子の喜怒哀楽、様々な情動を否定せず受け止めようとする(フリをする)。
・息子に色々とお願いごとをする。やる・やらないの決断は本人にまかせる。
・忖度はほぼしない。ただし、息子からの依頼は(無茶苦茶でない限り)受ける。ちょっと妥協してもらうこともある。
・日々の日課を安定させる。

これを2歳半から2年ほど続けています。
息子は現在4歳、年中になりましたが、自分の困りごとを、困ったタイミングで先生にどう困っているか伝えることができるようになってきました。先生に「何に困っているかよく分かるので助かる」と言って頂けました。
言葉の発達は少しゆっくりですが、私がなんとなく描く成長が思いのほかクリアできているのが驚きでした。もちろん、お友達との関わり方・距離感など、今後の課題はもちろんあります。

一番大きいのが、『忖度しない』ことなのかな…と最近思います。
先ほども、寝る前に「のどがかわいた」と言う息子に「喉が渇いたんだねー」と返事をしたら息子がコップを持ってきて、「からになっちゃった」と見せてきました。私が「ほんとだ、空っぽだねぇ」と言うと「おちゃをいれてほしい」とお願いしてくれました。
側から見るとまどろっこしい会話ですが、子どもがして欲しいことをはっきり伝えてくれるようになってきたので、ありがた迷惑とか、コレジャナイ感とかのコミュニケーションの行き違いがあまりないような気がします。

このお願いごとをする行為は、私が子どもの頃大人の忖度に頼りきりで、かつ他人に伝えることが怖くて全くできなかったので、息子はすごいなぁと素直に感心してしまいます。

今後息子がどんな形で成長していくか予想できませんが、きっと母親として上記のことをやってあげれる期間は長くないだろうと思っています。おそらくギャング・エイジと言われる10歳くらいまでが限界かな…。
それまで、息子との貴重な時間を大切に過ごしていきたいです。そんな決意(?)を新たにするために書きました。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。
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5年以上前 違反報告
コラム中にある福井公子さんの書籍の引用で、
「親が療育の専門家になってしまうと子どもには親がいなくなる」とありますが、全く同感です。

以前、知り合いのお母さん方と
『療育に染まった母親は子を潰す』
という話をしました。実際に専門家と話していても、接し方のコツや現状の解説はしてくださいますが、「家ではあれこれ(療育)をして下さい」と言われないのがそれを物語っているように思います。
子どもの発達に凹凸があろうがなかろうが、診断出ようと様子見だろうと、いつだって親がしなければいけないのは『育児』です。
息子の初めての運動会


今さらですが10月初旬にあった園の運動会でのシーンの回想(物語)と、それについての分析と考察・感想を書きたいと思います。
長文です。あと解釈がある意味独特です。

なぜ今になってかと言いますと、当初は息子の行動を分析する材料が少なく、「こんな行動したねー」とありのままの状況を受け止めるだけに留まっていましたが、最近になってなぜその行動を取ったのかが見えてきたというのと、私の中で腑に落ちたものがあったので、ようやくアウトプットできます。


運動会のプログラムに踊りの演目がありますが、固有覚等に凹みがある息子はあまり踊りません。練習のときも熱意こそあるが踊らない、ということを先生から聞いていたので、演目中息子がどう過ごすのか興味がありました。
が、運動会の2週間半前にRSウイルスに罹り、1週間ほど活気もなくグッタリと寝込んで過ごし、ヒョロヒョロに痩せた病み上がりの状態で運動会直前の3日間で今までの復習をするというなかなか悲惨な状況になりました。

運動会当日は雨が降ったり止んだり、晴れ間が見えたかと思えばまた雨が降ったりと、まさに気まぐれな秋の空でした。

天気のせいなのか、親御さんがいることによるためなのか、同じ組の子が数人大きく崩れて泣いたりする中、息子の心が気になりました。
意外にも表情は落ち着いており、いつも通りの息子にみえました。

息子がいる年少の子どもたちの踊りのプログラムも雨の中での演目となりました。
案の定息子は突っ立ってるだけ…と傍目に見えましたが、よく見たら親指を咥えていました。

ここにきてストレスメーターが振り切ってチックが出たのか?!と非常に焦って夫に言ったら、「違うよ、近くにいる子(を見て)」と言われて横を見ると、同じ組の女の子も指を咥えていました。その子が普段どんな子か当時は知りませんでしたが、のんびりマイペースなタイプ(加配は付いてないが息子の他3人ほどいる)らしく、その子の真似をしたようでした。

終始指を咥えた状態で演目を終えた息子。
大人の期待通りの答えを言うならば『全く踊れなかった』ですが、私は「息子は立って指を咥えた状態で過ごした」と受け止めています。それ以上でもそれ以下でもない、『ありのままの物語』です。

さて、ここで「息子がただ立っているのではなく、お友だちの真似をして指を咥えたこと」について分析や考察を加えてみたいと思います。
息子に限る話ではありませんが、いつも元気な周囲の子が、運動会という特殊な、しかもおそらく人生で初めて体験する環境に置かれて、浮き足立ったり崩れたりしている。さすがの息子もいつもと違う様子に心に波が立っていたかもしれません。しかも病み上がりで体力的に厳しい状況です。

1年ほど前であれば、このような状況になれば泣きそうになりながら逃げ出していました。

しかし息子は泣きも逃げもしませんでした。とりあえず穏やかならぬ胸中を落ち着かせる手段として、周囲を見て、いつも同じようなペースで行動しているお友だちの『動作を真似する』=『指を咥える』という方法をとりました。

心が崩れない人間なんていません。いかに素早く立て直すかが大切です。
とっさのことではあったでしょうが、心を保つ方法を見つけ出した息子に成長を感じた瞬間でした。

また改めてこの物語を息子にすると、考察とは違う答えが返ってくるかもしれませんが、今のところ私の中でこのような形で落ち着いています。


見当はずれなことを言っているなと感じる方もいらっしゃるかもしれません。すいません、私は今のところ息子に期待を抱かないようにしているのです。息子が何歳まで生きるかは知りませんが、寿命を全うするまで生きる、生きるという力、心の基礎が出来上がるのを祈っているところです。期待をするのはもうちょっと後からで良いと思っています。

特別良く出来た子に育って欲しい訳ではなく、しぶとく、それなりに幸せに生きていければそれで良いと思っています。
『子のありのままを受け止めること』

『無意識の期待であっても、子に期待することは、子を崖から突き落とすこと
這い上がってこればまだ良いが、登ってこなかった場合はその子はどうなってしまうのか』

『とりあえず、子がもともと持っている「生きる力」を潰さないこと』


育児で悩んでいたときに聞いた言葉。
なんだかよくわかるなぁ~~。

自分の母親がまさに期待しまくりの親で、頑張っても期待通りにいかなかったときの爆発といったら、もう目も当てられない。
おかげ様で遅れてやってきた反抗期では母親を憎みまくり。
この人(母親)は私のことを見ていない。勝手に思い描いた私を見ている。
環境こそ恵まれたのかもしれないけれど、私にとっては毒親だった。
父親は私にほぼ無干渉だったのでよくわからない(←これはこれであとで爆発)。

さて、結婚していざ出産してみると。
わからない。
母親が子どもに何をしてあげるのが「愛」なのか、さっぱりわからない。
母親の理不尽な怒りが憎かったけど、結局何をされて嫌だったのかが、よくわからない。
愛情を注ぐとか言うけど、何をすれば愛情なのさ?人によって全然違う。
煮詰まってきて、息子の成長がのんびりな気がして、体調も崩して、自信も喪失。

そんなときが昨年の頭くらいで、同じくらいに冒頭の言葉を聞いた。
よくわかると同時に、私がなんとか這い上がってこれたのは、親と違って「ありのまま」を見てくれていた存在がいることを知っていたからだと思う。
祖父母だった。
結婚後に祖母が旅立ち、昨年に祖父が逝ってしまってもういないけれど。
祖父母が守ってくれた「生きる力」のおかげで、生きている。
しかし私にとっていろんな意味で節目のときに旅立つあたり、よくできたじじばばだなと思った(笑)

自分の親は見事に見本にならないけど、私自身も大したことはできないけれど、
祖父母からもらったものは息子に与えることができる気がする。

『人に生かされ、自分もまた誰かを生かす存在』
息子との親子関係について


母親というのは、情動を出しても良い。というか、その場その場で情動を出すのが大切なのではないかと思うのです。
(ここでいう情動とは、『きっかけがあってその場で起こる喜怒哀楽』のことを言っています。)


長い話をします。
排泄についてなので、以下きれいな話ではありません。
ご家庭の状況で賛否ある話になると思いますので、上記の時点でもやっと感じたらこの先は読まれない方が良いかもしれません。


年少の息子は最近になってようやく排便をトイレに設置してある おまる にできるようになりました。
出るときは出る、という意思表示もしてくれるようになりました。ここ1ヶ月で素晴らしい進歩。
母親の私、頑張った!と言えるかといえば、かなりビミョーです。。。

おまるでうんちができた後も、パンツの中ですることが続きました。
明らかに今出そうだよね…と思って声かけしても拒否。リビングに隣接した和室に走っていって、うつ伏せになりながらしてしまう。それかあえて私が見えないところに行ってする、というようなことが2週間ほど続きました。
タイミングとしては朝、保育園に行く30分前から直前にかけてが多かったです。
出そうなタイミングで誘っても拒否されるし、出かける直前に風呂場でパンツやおしりを洗い、うんちの状態によっては排水溝の掃除もしなければならず、それがとても苦痛でした。
排泄というのはデリケートな問題なので、決して失敗しても怒らない、を続けていました。
ですが。私自身、少し潔癖なところがあるので、だんだんとストレスが溜まっていきます。

息子のきまぐれな排便が続いたある日、おしりを気にしていたのでおまるに誘ったのですが、やっぱり拒否。
たった2週間、でも私にとってはかなり厳しい2週間でした。おまるでできるのに。なぜしない。
私のキャパシティーはあっという間に足りなくなりました。

「パンツの中にうんちしちゃうとママも大変なんだよ…。出かける前にパンツとズボン洗って掃除してさ……お願いだからおまるでうんちしてよ」

おそらく対応としてはバツのセリフだなーと自覚しながら言ってしまいました。げんなりして、ちょっと泣きそうなイライラした調子で。
息子は聞いているのかいないのか、返事もなく横になってゴロゴロしていました。
結局そのときは出ませんでした。便秘になったらどうしよう、と不安に駆られました。

それ以降、少しずつ息子の様子が変わってきました。
いつものうんちが出そうなタイミングでジタバタと不思議な踊りをしていたので、
「どうしたの?うんち??」と聞くと
「でる!!!」と応えておまるの近くまで走っていくようになりました。
少しパンツについたり漏らすこともあったけど、おまるでの排泄回数が増えていきました。

ここしばらくは成功が続いています。いつの間にか意思表示も『ふしぎなおどり』ではなく(笑)、言葉でしてくれるようになりました。それが嬉しくて、トイレにあるおまるまで息子と二人でニコニコしながら行きます。

言葉の理解がどこまであるのかわからないけど、私の気持ち、なんとなく察してくれたのかな??
仕方がないから、ちょっとはしっかりしてやろう、と思ってくれたのかな。


かつて、祖父が祖母を介護していたときのことを思い出しました。
ほぼ寝たきりになった祖母が便秘を気にして、祖父が用意した昼食を拒否したことがありました。
いつも温厚な祖父が、怒りか悲しみか、「そんなことを言って困らせるな」と少し大きめな、泣きそうな声でいいました。
祖母はハッとして何度も祖父に謝っていました。
祖父に甘えて言いたい放題言ってしまっていたんですよね。
その後は父や伯母にも分散して気持ちを言っていたようです。



結局、支える側もひとりの人間なんですよね。
不完全で頼りないところがあってもいいじゃない。
子どもの考えてることなんて結局のところ本人しかわからないし、代弁するにも限界があります。

「ママちょっと疲れてイライラしてます。怒りだしても気にしないで」
「ごめん、何言ってるかさっぱりわからない」
「なんでだろうねぇ??」

息子との会話でちょくちょく使う言葉です。
気分で怒ってしまいそうなときは、あらかじめ宣言しておくと意外と子どもも冷静な気がします。

自分の思いをストレートに伝えても良いんじゃない。
可能な限り、簡潔に、はっきりと。
伝わるかどうかは別にして、伝え続ける。

相手が我が子であっても、お互い頼り頼られの関係でも問題ないと思うのは私だけ??
自分でできることは自分でやって、できないことはお願いする。
家族で解決できなければ、第三者に介入してもらう。
それは決して依存ではなく、相互扶助というものでは。

上手くまとまってなくてすいません。
昨夜、息子が遊んでいた時。

子ども用の小さめのブランケットを団子状に丸めて、座った状態で抱え、そのまま後ろにコローンと転がる動きをしていました。

ある時、転がった瞬間、

ドゴオッ

とやたらデカい音を立てて後頭部を打ちました。
「あぶなかった!」
と言い起き上がる息子。
母は思わず
「いや今のは痛かったんじゃない?」
とツッコミ(無駄に音が大きかっただけにちょっと焦りました)。

・・・・ (2秒くらいの沈黙)

「痛ー!?」(息子、片手で頭を抑えながら)



うちの子、本当に大丈夫かしら(・Д・)
トイレ自立に向けての記録
2018年8月24日(金) 息子3歳7ヶ月
要約
●ボディイメージの弱い息子におまる導入
●なんか大もできたりするようになった?
●スモールステップで行こう
以下詳細。長い割に記録なのでオチとかはありませんm(._.)m


息子の特性に、ボディ イメージが弱い、というのがあります(発達性協調運動障害については未診断)。
家のトイレで立つ・座る両方で小はできるけれど、大は難しい。体幹も出来上がってなさそうだし、身体の大きさ的に、足はステップに着くけれど思い切り踏ん張れるかは微妙です。
何よりステップの登り降りや補助便座に座る際おぼつかない時があるので、なんとなくトイレに行くのが億劫になってるように見受けられます。

このままでは埒があかないので、順が前後したけれどおまるを導入。
おまるは私が子どもの頃から苦手意識が強くて(親は用意したけど断固拒否したらしい)導入を渋っていたのですが、息子の様子から背に腹はかえられなくなりました。
いつもオムツ替えをしていたリビングの一角に設置。
最初はずいぶん警戒していた息子も、小をするようになりました。トイレかおまるか、気分でする方を選んでいます。
同時にトークンとしてアンパンマンのご褒美シールを用意しました。絶対貼る!わけではないですが、気に入ったようです。小はシール1枚、大は2枚、両方したら3枚にしましたf^_^;

大をおまるでするというイメージも分かりにくいのか、それとも純粋にしたくないのかよく分かりませんが、2週間くらいは進展なし。
小については自発的な意思表示がないので、1時間半〜2時間おきくらいのペースで促していましたが、最近になってすごくソワソワするようになったので、おしっこしたいけど我慢、という気持ちが出てきたようです。

そして先週の土日あたりから、大が出そうな瞬間(ほんとギリギリ)におまるに誘導し、私も横で一緒に便所座りをしたり腰をさすったりしたところ、3回成功!

また、水曜日の夜、私がトイレ等で少し息子から離れている間に、自分からおまるに走って行って、『立って』小をしました!笑
私が行くと息子は呆然と、びしょ濡れのおまるやカーペット(洗えるやつ)を見つめておりました。自分から行けたのは素晴らしい!けどなかなかの惨事で手放しに喜べない状況だったので、
「おまるに立っておしっこしたね」
「床びしょびしょになっちゃったね」
と可能な限り優しい口調でありのままの状況を息子に話し、頭を撫でました。すると息子は
「立っておまるにおしっこした(´・ω・`)」
「びしょびしょになっちゃった(´・ω・`)」
とぽつりぽつりと呟きました。

あとから、これ失敗と捉えて欲しくないなぁ〜、対応マズかったかなぁ〜と思ったのですが、保育園では「〇〇(息子の名前)だけでトイレいく!」宣言を加配の先生にして励んでいるようなので、少しずつ前進している模様。

リビングで成功率上がってこれば、おまるをトイレに置く→補助便座でするという流れで行く予定です。

スモールステップで頑張るぞー。
今朝、朝食のとき。
私が食パンにオレンジマーマレードのジャムを塗ろうとしたら、息子が「オレンジ欲しい!」と言って指差したのが

スクランブルエッグ。

「・・・・・」

それって合うの?嗜好がちょっとヤバない?ああでも物は試しと言うし、フレンチトースト風?ていうの?そんなゲテモノじゃないし、土井善晴先生のお父さんは牛乳とご飯一緒に食べてたらしいし、動揺してる私がおかしいだけなのかもしれないし……

直がけは勇気がなかったので横にマーマレードを添えてみた。

息子はスプーンでマーマレードをスクランブルエッグにかけて、パンを食べ始めた。
卵食わんのかい!

とりあえず自分の分を食べることに集中して、また息子の皿を見ると

完 食。

夫が息子に「卵美味しかった?」と聞くと

「美味しかった♪」とニコニコ。

うむ、そうか。ママはいっぱい食べてくれて嬉しいよ。
園から帰宅後、息子が頭を両手で触りながら
「あたま おかち なった!」

・・・・・・・・・!!??

保育園で覚えてきたのか!?
というか年少にしてそんなことを言う子がいるのか!?
あんたもうそんなこと言われてんの!?
と心の中で動揺しまくりだった金曜日。

今朝
にんじんサラダが頭に付いて、それを指摘された息子が

「あたま にんじん なった!」

どうやら園でお菓子(おかち)を食べたときに、頭に付いたらしい。
ああ…そういうことね……