前号では、「目は口ほどにものを言う」という時の「目」と同じように、こどもの手の動きに宿る「気持ち」の見守りにふれました。言語活動には、かかわり合う相手の存在、心に描くモノや出来事の意味、それらの前提となる、見る・聴くことへの集中力や感情、発音機能、などの機能的な結びつきが必要ですが、心に意味を蓄えていく途上にある幼少期は、手のはたらきは大きな位置を占めます。手先の過敏さによる制約はもちろん、もし、マヒなどで手のうごきにハンディを抱える場合でも、目や耳と協応して手と同等の操作感をイメージできる体感サポートは重要です。
そういう意味で、本来、言語と手のはたらきは、いわば隣り同士の関係にあって、互いのうごきをとりもつ気持ちの育ちが大切であるように思います。ちなみに、お話をしながらあれこれ手を動かすのは、ことばと手が、互いに、思いを表現する際の「合い方」であるようにみえますが、ペンフィールドという医師による脳地図では、手と口を担当する場所が隣接していることにも関係があるのかもしれませんね。
発語のない自閉症スペクトラムのお子さんの何人かが、字やシンボルを覚え始めた時期に、宙を何か指で描くように動かすのを見たことがありますが、あれはいわば「独り言」とでもいうのか、何かを自分で確認しているしぐさのような気がします。(その後、お母様からいくつかのことばを駆使しているという情報をいただいたことがあります)
そういえば、前号の粘土ペッタンで紹介したHちゃんは、「最近、両手でのあそびが多くなったよねぇ」と感心するスタッフの前で、手にしたバッグにボールを拾って入れて、笑顔でバッグブラブラ‥まだことばではきけないけど、心に描くお話はなんだろうねヾ(⌒▽⌒)ゞ
手は口ほどに-その2
教室の毎日
23/02/10 12:51