アスペルガーで母親。45歳になり障害者雇用で働くと決めたとき、娘に教わったこと

ライター:ヨーコ
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私と娘はアスペルガー症候群です。仕事を辞めて「障害者」として生きていくと決めてから、走り続けてきた日々。気がついたら体が悲鳴を上げていました。そんなとき周りの人たちにかけられた言葉で目が覚めたのです。

たび重なる転職に疲れてしまった結果、だとりついた結論

私と娘はアスペルガー症候群です。母子2人暮らしなので、私が家計を支えています。娘は現在中学2年生ですが、小2から不登校で学校には通っていません。

私は昔から仕事が続かず、人間関係につまづき、仕事をうまくこなせない結果、転職する、というパターンが続いていました。

最後に辞めたところも、人間関係が破たんし、上司から「もう続けるのは無理だろう」と言われたのが原因です。

そこを辞めるとき、「もう一般就労は疲れた。これからは障害者就労で働こう。支援を受けて障害者として生きよう」と、45歳にして決心しました。

決意の後、めまぐるしく変わっていった日常

それからすぐに、障害者自立支援センターに相談し、障害者職業センターに約4ヶ月通いました。

その後、障害者福祉サービスを受けるため、何度も市役所や自立支援センター、ハローワークへと通う忙しさ。

加えて、娘の支援体制を整えるため、学校へ通ったり、ストレスが溜まらないようにと、娘を連れだしたりし、私はめまぐるしい日々を過ごしていました。

そんなとき、体に異変が

その頃から微熱が続くようになりました。

合わせて胃の不調、疲れが取れず、だるくて体が動かない状態になり、就労移行支援に行くこともできず、家事もこなせなくなり、布団から出られない日が続きました

そのうち高熱が出たので、大きな病院で精密検査を受けることに。あらゆるところを調べましたが、結果は急性胃炎だけでした。

特に病気が隠れていたわけではないので安心しましたが、次に湧いてきたのは、漠然とした将来への不安でした。

頑張らなくちゃいけないのに、病気でもないのに、でも身体は辛い。この時私の本心は、行きたくない、頑張りたくない気持ちでいっぱいでした
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