強烈なトラウマからあっさり解放。必要だったのは苦手意識の克服よりも…
ライター:鈴木希望
幼いころ大やけどをしたトラウマで、揚げ物をつくろうとするとフラッシュバックを起こしていた私。発達特性のためにエネルギー出力が安定しない、不登校の息子。2人とも、どうにかしたくてもどうにもならなかった。
そんな私が、突如、揚げ物をつくれるようになった。そして気づいたのだ、私にも息子にも必要なことを。
長きに渡って私を苦しめることになる、トラウマを生んだ事故
私にとっての一番古い記憶は、2歳の終わり、冬のできごと。
家族で出かけようという際、何を思ったのか幼い私は「ちょっと待って、ストーブの上にあがりたい」と言い出した。両親と兄は、何の話なのか即座に理解できなかったという。そして私が石油ストーブによじのぼるやいなや、ストーブは傾き、火柱が上がった。炎が私の脚にまとわりついて、左右脚部に大やけどを追い、近くの病院に担ぎ込まれた。家族の慌てぶりが一切記憶にないのは、激しい痛みだけが頭の中を支配していたためだろう。
思春期までは、脚に残ったケロイドの存在が忌まわしくてたまらなかったが、成長につれて膝の裏以外消えてしまったこともあり、成人するころには気にならなくなった。そして激痛に苦しんだという記憶はあるものの、リアルに思い出すことが不可能になり、今では「私、バカでしたよねぇ」とこの事故について笑って話すこともできる。
ただし、こちらを目がけるように勢いよく立ち上ってきた火柱の様子は目に焼きつき、それに対する恐怖感は長い間消えることがなかった。
家族で出かけようという際、何を思ったのか幼い私は「ちょっと待って、ストーブの上にあがりたい」と言い出した。両親と兄は、何の話なのか即座に理解できなかったという。そして私が石油ストーブによじのぼるやいなや、ストーブは傾き、火柱が上がった。炎が私の脚にまとわりついて、左右脚部に大やけどを追い、近くの病院に担ぎ込まれた。家族の慌てぶりが一切記憶にないのは、激しい痛みだけが頭の中を支配していたためだろう。
思春期までは、脚に残ったケロイドの存在が忌まわしくてたまらなかったが、成長につれて膝の裏以外消えてしまったこともあり、成人するころには気にならなくなった。そして激痛に苦しんだという記憶はあるものの、リアルに思い出すことが不可能になり、今では「私、バカでしたよねぇ」とこの事故について笑って話すこともできる。
ただし、こちらを目がけるように勢いよく立ち上ってきた火柱の様子は目に焼きつき、それに対する恐怖感は長い間消えることがなかった。
天ぷら油火災の映像でフラッシュバック。事故の記憶がよみがえって…
中学生のころ、報道番組であったか情報番組であったかは定かでないが、テレビ番組で防災に関する特集が組まれていた。不注意によって起こる事故、誤解されがちな防災の知識等が次々と流れてくる。それを何の気なしに眺めていた私は、ある瞬間に流れた映像を目にして凍りついた。食用油を加熱し過ぎた際に起こる、いわゆる天ぷら油火災を再現した火柱である。
30年近く前の話なので、そのときの気持ちを正確に思い出すことはできない。ただ、当時家の手伝いや趣味として料理を始めていた私が、幼いころのおぞましい事故を思い出していたことはしっかり覚えている。油を使う料理、特に揚げ物は、ちょっと注意を怠るととんでもない事故になるのだと認識した。そして、怠るまいと思っていても注意力を保つことが難しい私のこと、いつこのような事故を起こすかわからない。
「自分がやけどを負うだけでも怖いけど、家が火事になったり、近隣に火が及ぶなんてことがあったら取り返しがつかない!」と怯えた私は「揚げ物だけはつくるまい」と決心したのだった。
22歳から一人暮らしを始めて自炊を行うようになり、その後は結婚して家事を主に担う役割も経験したが、私は一切揚げ物料理をつくらなかった。完全にトラウマというやつで、自分が揚げ物をする姿を想像しただけで、やけどをした記憶までもが蘇ってくるのだ。その度にいちいちフラッシュバックを起こして硬直していては、日常生活が成り立たない。
結婚していた当時は配偶者に、後に生まれ、「とんかつであれば毎日でも食べられる」と豪語する息子にさえ、「まあそういうわけで、私にとって揚げ物ができるというのは特殊能力に等しい。外食または買って食べるものであると思ってほしい」と事情を伝え、理解してもらっていた。
とはいえ周りから見たら、2歳のときのできごとなんて、とんでもなく昔の話である。人によれば、記憶に残っていなくてもおかしくはない。ゆえに私の実母は「息子の好物がとんかつなんだから、揚げ物ぐらいできるように頑張らないと」などと言う。しかし言われれば言われるほど私は頑なになった。「そんなに簡単なものではない」と。
実際、わが子の好物なのだからと、自発的につくろうとしたことがあったのだが、手が震え、額に汗がにじみ、材料を並べるだけが精一杯だった。
30年近く前の話なので、そのときの気持ちを正確に思い出すことはできない。ただ、当時家の手伝いや趣味として料理を始めていた私が、幼いころのおぞましい事故を思い出していたことはしっかり覚えている。油を使う料理、特に揚げ物は、ちょっと注意を怠るととんでもない事故になるのだと認識した。そして、怠るまいと思っていても注意力を保つことが難しい私のこと、いつこのような事故を起こすかわからない。
「自分がやけどを負うだけでも怖いけど、家が火事になったり、近隣に火が及ぶなんてことがあったら取り返しがつかない!」と怯えた私は「揚げ物だけはつくるまい」と決心したのだった。
22歳から一人暮らしを始めて自炊を行うようになり、その後は結婚して家事を主に担う役割も経験したが、私は一切揚げ物料理をつくらなかった。完全にトラウマというやつで、自分が揚げ物をする姿を想像しただけで、やけどをした記憶までもが蘇ってくるのだ。その度にいちいちフラッシュバックを起こして硬直していては、日常生活が成り立たない。
結婚していた当時は配偶者に、後に生まれ、「とんかつであれば毎日でも食べられる」と豪語する息子にさえ、「まあそういうわけで、私にとって揚げ物ができるというのは特殊能力に等しい。外食または買って食べるものであると思ってほしい」と事情を伝え、理解してもらっていた。
とはいえ周りから見たら、2歳のときのできごとなんて、とんでもなく昔の話である。人によれば、記憶に残っていなくてもおかしくはない。ゆえに私の実母は「息子の好物がとんかつなんだから、揚げ物ぐらいできるように頑張らないと」などと言う。しかし言われれば言われるほど私は頑なになった。「そんなに簡単なものではない」と。
実際、わが子の好物なのだからと、自発的につくろうとしたことがあったのだが、手が震え、額に汗がにじみ、材料を並べるだけが精一杯だった。
息子も特性に凸凹が…「頑張ってもできない」と「克服すべき」で揺れる心
さて、わが家には学校へ行かず、自宅学習をしている9歳の息子がいる。自閉スペクトラム症(ASD)と診断され、注意欠如多動性障害(ADHD)の傾向も認められる彼は、その特性のためか、エネルギー出力に波がある。集中して大量の課題に取り組める日もあれば、充電が切れてしまったかのように何もできなくなっている日もある。
タスクを後回しにしてしまうことも少なくないため、学校からいただいている課題が遅々として進まない。おまけに大好きな算数ばかりに取り組むものだから、他の教科、特に国語の漢字練習などは、まだまだ学年初めごろのページに取り組んだり取り組まなかったりといった状況だ。
無論、それは「努力してもどうにもならない特性」であり、だからこそ学校生活が息苦しくなってしまったことは理解しているつもりだ。しかし、勉強につき合っているのは教育のプロでも何でもない、中卒の私。そして、私自身、家で仕事をしている身なので、きちんと見てあげられている自信が全くない。
そういうときに限って「子どもが保護者の指導なくして、自分の意思で学習できるわけがない」というような、ネガティブな情報が入ってくる。やはり、毎日の学習を習慣づけるように、学ぶ教科に偏りを出さないようにと強く指導したほうがいいのかと悩んだ。
息子より先に学校へ行かないという選択をしたお子さんを育てている友人に相談すると、「大丈夫だよ。うちの子も2年ぐらいは、私がいくら言っても勉強しなくて、最近ようやくフリースクールに行きたいって言い出したんだもん。放っておいても、やりたいことが見つかれば自分から勉強を始めるよ」と返ってきた。主治医の先生に聞いても、同様の答えだった。
好きなことにはのめり込みやすい特性を踏まえたら、確かにそこから学習に繋がるように誘導したほうが良さそうだ。そして息子自身から「やらなくてはいけないと思っているのに、できない。これでも焦っている」という言葉を聞いている。
トラウマと特性とでは少し意味合いは違うかもしれないが、私が「揚げ物ぐらいできるように頑張らないと」と発破をかけられてもできないように、息子だって、毎日の学習を習慣づけろと指導されても、「そんなに簡単なものではない」のかもしれない。何より学習をするのは息子なのだから、私がとやかく言うのはかえって悪手である可能性もある。
とはいえ、積み上げた教科書やノートを枕にして寝転び、電卓をカタカタ叩きながら、焦点の合わない目で天井を見上げる息子の姿を眺めていると、果たして本当にこれで良いのかと不安が募った。
タスクを後回しにしてしまうことも少なくないため、学校からいただいている課題が遅々として進まない。おまけに大好きな算数ばかりに取り組むものだから、他の教科、特に国語の漢字練習などは、まだまだ学年初めごろのページに取り組んだり取り組まなかったりといった状況だ。
無論、それは「努力してもどうにもならない特性」であり、だからこそ学校生活が息苦しくなってしまったことは理解しているつもりだ。しかし、勉強につき合っているのは教育のプロでも何でもない、中卒の私。そして、私自身、家で仕事をしている身なので、きちんと見てあげられている自信が全くない。
そういうときに限って「子どもが保護者の指導なくして、自分の意思で学習できるわけがない」というような、ネガティブな情報が入ってくる。やはり、毎日の学習を習慣づけるように、学ぶ教科に偏りを出さないようにと強く指導したほうがいいのかと悩んだ。
息子より先に学校へ行かないという選択をしたお子さんを育てている友人に相談すると、「大丈夫だよ。うちの子も2年ぐらいは、私がいくら言っても勉強しなくて、最近ようやくフリースクールに行きたいって言い出したんだもん。放っておいても、やりたいことが見つかれば自分から勉強を始めるよ」と返ってきた。主治医の先生に聞いても、同様の答えだった。
好きなことにはのめり込みやすい特性を踏まえたら、確かにそこから学習に繋がるように誘導したほうが良さそうだ。そして息子自身から「やらなくてはいけないと思っているのに、できない。これでも焦っている」という言葉を聞いている。
トラウマと特性とでは少し意味合いは違うかもしれないが、私が「揚げ物ぐらいできるように頑張らないと」と発破をかけられてもできないように、息子だって、毎日の学習を習慣づけろと指導されても、「そんなに簡単なものではない」のかもしれない。何より学習をするのは息子なのだから、私がとやかく言うのはかえって悪手である可能性もある。
とはいえ、積み上げた教科書やノートを枕にして寝転び、電卓をカタカタ叩きながら、焦点の合わない目で天井を見上げる息子の姿を眺めていると、果たして本当にこれで良いのかと不安が募った。