慣れない地で発達障害娘のワンオペ育児。孤独な私たちを救ったのは「お互いさま」の心だった――コロナ禍に思い出す15年前の日々、大変なときこそ恩を送りたい

ライター:荒木まち子
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コロナ禍で先行きが不透明な状況にストレスを抱えがちな昨今。
「見通しが立たないと不安が増す」「ルーチンが崩れるとパニックを起こす」「家の中でじっとしていることが難しい」などといった特性を持つお子さんの親御さんは、なおさら大変だと思います。

そんな今、私が思う事は…。

大好きな彼の地

以前のコラムでも書きましたが、私は娘が未就学時代を過ごした関西が大好きです。
【障害年金申請への道 最終話】子育て振り返りの旅も終わりに――15年前の発達検査報告書を見て感じた後悔と感謝。そして少しずつ親離れする二十歳の娘への想いのタイトル画像

【障害年金申請への道 最終話】子育て振り返りの旅も終わりに――15年前の発達検査報告書を見て感じた後悔と感謝。そして少しずつ親離れする二十歳の娘への想い

主人の転勤に伴って初めて訪れた土地での初めての子育て(当然障害児育児も初めて)には、確かに様々な苦労がありました。

でも15年以上経った今も“出来たらまたあの土地に戻って暮らしたい”と思うほど、そこで出会った人たちは、皆温かく、私達親子に優しく接してくれました。

6年間過ごしたその土地での思い出。お昼ごはんに誘ってくれた近所のおばあさん

娘が3才~5才の頃、主人が単身赴任になり、私は自閉症の娘と二人きりで暮らしていました。

近くに親戚もいなかったので、週末は家族で過ごす親子が多い中、私と娘はいつも二人で公園で遊んでいました。遊ぶと言っても当時の娘はほとんど独り遊びしかせず、会話も十分にできませんでした。反応がなかったり、会話が一方通行な相手に話しかけ続けるのはとても虚しいものです。

そんなある日、近所に住む顔見知りのおばあさんが「うちにお昼ごはんを食べに来ない?」と声をかけてくれました。

おばあさんの「子どもが小さかった頃、私の夫も単身赴任してたのよ。うちには娘さんと同じ年頃の孫もいるし、一緒にお昼を食べましょうよ」との誘いに、私は(図々しすぎないかしら?)思いつつもお宅にお邪魔をしました。

娘とお孫さんが仲良く遊ぶことは当然ありませんでしたが、それでもおばあさんと同居している娘さん、お孫さんと一緒に食べた“ぶっかけそうめん”はとても美味しく、私はその味が今でも忘れられません。

またあるときは...ママ友たちが助けてくれて

娘のインフルエンザが私にうつり、娘と二人で寝込んでいたときには、幼稚園のママ友が食事を作って玄関先に届けてくれました。
子どものインフルエンザがうつり高熱で二人並んで寝込む様子
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夕方に男の人の声で『外から見ているよ』といういたずら電話が何度もあったときには、「怖かったらうちに泊まりにおいで」と誘ってくれたママ友もいました。
娘が便器にトイレットペーパーを詰まらせ水が溢れてしまったときにはご近所のママ友がラバーカップを貸してくれました。
ご近所さんに借りたラバーカップを手にダッシュで自宅に戻る様子
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次の転勤で関東に引越した後、東日本大震災が起こりました。

そのときは私からお願いしたわけでもないのに、幼稚園時代の友達が関西から水や食料を送ってきてくれました。どれも当時は入手困難なものだったので、とても有難く思いました。
次ページ「その優しさは『土地柄』だけではなかった!」

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