「恋愛ってなに?」大人のASD・宇樹の紆余曲折な恋愛遍歴から――安定した親密な関係を築くために必要なこと

ライター:宇樹義子
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発達障害(ASD)のある私。発達障害が判明したのは30歳を過ぎてからです。少女のころから、もともとの生きづらさに絡まって、恋愛関係でもどこかスムーズにいかないことを感じていました。今回は、私が経験した恋愛関係のトラブルや親密な人間関係での困難についてお伝えします。

「恋愛とは何か」がわからない…… どこかぎこちない恋愛遍歴

振り返ると、私が恋愛の場面で抱えていたトラブルの中には発達障害の特性が関わっているものが多かったように思います。

ひとことでうまく言えないのですが、私は一般社会で当たり前のものとされる恋愛市場的な価値観とはどこか離れたところで生きているところがありました。

私には、多くの人がスルッと適応していく「男と女の惚れたはれた、モテるモテない、ゲットするしない」みたいな価値観がどうも理解できなかった……けれど同時にASD的な鵜呑み傾向が、「正しい恋愛・生き方とはそういうものなのだ」という思い込みにもつながっていました。

結果的に、自分の中での自然な実像と「こうあるべき像」の間にギャップが生じて、そのギャップに苦しんでいたような気がします。

積極奇異傾向によるトラブル

まずは、私はもともと何かに興味を持つとき、対象がモノであろうが人であろうがあまり関係ありませんでした。その人が男か女かも関係ありません。自分にとって興味をそそる対象であれば、対象に向かって突進していく。これはおそらく発達障害の文脈で言う「積極奇異傾向」だと思います。

たとえば、私が突進していったものがたまたま人であり、かつ男性(以下Aくん)であった場合、周囲が「宇樹さんはAくんのことが(恋愛的に)好きに違いない」と解釈します。どうも、Aくん本人も「宇樹さんは僕のことが(恋愛的に)好きに違いない」と考えることが多いようでした。

私には悪気がないばかりか、そもそもAくんに恋愛的な好意があるわけでもありません。というか、突き詰めて考えると、誰かへの恋愛的な好意と、誰かの持っている一要素への心酔のようなものがどう違うのか、私にはいまだにわからないところがあります。

結果、周囲から「宇樹さんキモい」とか言われて排除されたり、自分で「これは私がAくんを好きということなのか、私はAくんと恋愛をしなければならないのだ」と思い込んで、どこか違和感を感じながら「恋愛」を演じてしまったりすることになりました。Aくん本人が私から恋されていると思ってなんだか調子に乗った言動をすることもありました。

一気に距離を詰めてしまいがち

私は、いま思い返しても「これは恋愛だったな」と感じる関係性においてもどこかぎこちないところを抱えていました。それは、「距離感が極端になりがち」ということです。

小学生のころなどは、相思相愛が確認できた相手と一日中喋っているという程度で済みました。しかし、性的な関係を経験するようになると、好きになった相手と一気に性的に密着した関係性に踏み込んでしまうか(≒つきあう)、多少気まずくなっただけで二度と会わない・口もきかない(≒別れる)、のどちらかが多くなりました。恋愛関係の前後に中距離の友達関係を作るということがうまくできない。若いころには、「よく考えたら性的に利用されていたなあ」と感じる関係性も経験しました。

これは、私の二次障害である複雑性PTSDの傾向も関わっているとは思いますし、発達障害のない人にも惚れたはれたの関係性は難しいものでしょう。しかし、私のこの困難さには、「白黒はっきりしない事態に対処できない」という、ASDの白黒思考も関わっていたように思います。

「複数人の中距離の関係性の中での出会い」を作りづらい

私は小学校は共学でしたが、中高は女子校。中学高校を経るうちにだんだんと二次障害が悪化して体調が悪くなったのもあって、大学に入るころにはひきこもり傾向になっていました。

私が部活やサークル、趣味のコミュニティなどに参加する余裕をなくしていく一方で、世間にはインターネットが普及していきました。それで、人と出会うときのルートがほぼSNSを介してのものになっていきました。

コミュニケーション障害の関係でもともと交友関係が狭くなりがちだった私が、SNSを介してほぼ一対一で相手に出会うことも多くなりました。

私の20代のころの恋愛相手との出会いはほぼSNSをきっかけとしたものです。たまたまそれほど危険な相手には出会いませんでしたし、SNSならではの良い出会いもありました。しかし、親密な相手となる人との出会いの準備段階として「複数人の中距離の友達関係の中で相手のことをゆっくり知っていく」というステップを踏めないことは、根本的にはリスクの高いものだったのではと思っています。

「性的な暗黙の了解」の文脈を理解できない

冒頭のほうにも書きましたが、私は、世間で言う恋愛市場的な価値観にうまくなじめませんでした。そんな私には、「性的な暗黙の了解」を理解できない、という困難もありました。

ASDの人のコミュニケーション障害の典型的な傾向として、「暗黙の了解」「明示されないルール」を理解できないというのがあります。よく例として挙げられるのが、行間を読めないので皮肉や冗談が通じないとか、目上の人からの遠回しな指示が通じずにトラブルになるといったものです。ASDの人の多くは、おそらくこうした困難を「性的な暗黙の了解」の分野にも抱えているように思います。

私の場合、「疲れたから休みたい」「ここは騒がしいから静かなところに行きたい」といった発言が、「ホテルに行こう」という誘い文句の婉曲表現だととられる場合があることを、20代半ばぐらいまで知りませんでした。私はなんの意図もなく、純粋に言葉どおりの意味で、男性の前でこのような発言をしていました…… 特性上、お茶したり食事したりしているとすぐに疲れてしまうんですよね。特に騒がしい場所にいると疲れてしまう。

恋愛とか性的関係の分野にこうした暗黙の了解があることを知ったときには非常に驚きました。同時に、自分がそれまでに自分の発言をきっかけに性的被害に遭うようなことがなかったのは単に運が良かっただけだろう、とも思い、ショックを受けました。

※上記のような発言をきっかけに性的被害を受けた人がいたとしても、発言した人のせいではありません。悪いのは絶対に、加害する側です。自衛のひとつの方法は後半で書きます。ともかく私は、世の中はうっかりしていると性的被害に遭ったりするところなのだと、けっこうなショックを受けたのでした。

依存的な関係性になることも

今となっては私は、夫との関係性に悩んだとき、その悩みが互いの関係性や自分の中のどの要素からくるのかが理解できます。それに、さまざまな支援者や支援機関、支援ツールともつながりがあります。このため、パートナー関係の悩みについて孤立無援の泥沼に陥ることはありません。

しかし、以前はこうはいきませんでした。20代半ばには抑うつ状態で精神科に通院するようになっていましたが、当時の私は自分の発達障害にも気づいていなかったのです。自分の心身の不調が二次障害(複雑性PTSD)によるものだとも気づいていなかったので、自分の不調がどこからくるもので、どんな助けを必要としているかも知りませんでした。自分を助けてくれる支援者や支援機関があるということなど思いもしない。

結果、共依存のような状態になって、デートDVを受けたり、ストーキングのようなことをしたりされたりといったこともありました。

発達障害の女の子が安定した親密な関係性を築くために

私は今となっては夫と安定した関係を築いていますが、5年以上の間、ずいぶんと紆余曲折を経験しましたし、30歳を過ぎて幸運にも彼と出会うまでには、人生上のさまざまな困難に囲まれてそうとうに思いつめていました。

夫と出会うまでの困難や、夫との離婚危機と必死の挽回の経緯については拙著に詳しく書いています。
#発達系女子 の明るい人生計画 ―ひとりぼっちの発達障害女性、いきなり結婚してみました
宇樹義子
河出書房新社
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以下、私のような発達障害の女の子がいたとして、以前の私のようには苦しまずに、誰かと安定した親密な関係性を築くとしたらどうしたらよいかを考えてみました。

発達障害の特性の観点から捉え直してみる

私が恋愛について長いこと苦しんでいたことの背景には、冒頭に書いたような「恋愛市場的な価値観」と自分の実像との間のギャップがあります。もしかすると、最初にここからほどいていくと悩みが楽になっていきやすいかもしれません。

まずは、一般的な「惚れたはれた」とか、恋愛ノウハウの目線から考えるのをやめてみる。そこで意識的にもう一段掘って、「発達障害の特性を持つ者としてどういう原因からこうなるのか・こう感じるのか」などを考えるのがよいのではと思います。

世の中の「暗黙の性的な了解」や「若い女性をとりまく世間の実情」について学ぶ

現在の日本では、女性は何かと年長者や男性から利用されたり被害を受けたりしがちです。本当は利用したり加害したりしようとするほうが100%悪いです。こちらが自衛しなければいけないのはおかしいのですが、残念ながら自衛する手段を知っておいたほうが安全に過ごせるのは事実です。

年長の人には、暗黙のルールを知らない当事者をバカにせず、彼女らが被害に遭っても決して責めることをしないで、淡々と知識として、世の中がどうなっているのかを教えてあげてほしいと思います。

若者や女性を利用しようとする人がしがちな言動について、思いつくかぎり教えてあげるのもよいかもしれません。たとえばSNSで「泊まらせてあげる」とか言う人は危険だとか。

まさにこうしたテーマを扱った本もあります。一緒にこうした本を読んでみるのもいいと思います。
アスピーガールの心と体を守る性のルール
デビ・ブラウン
東洋館出版社
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複数人の中距離での関係性を充実させる

いま振り返って思うのは、「人にとって、所属するコミュニティは多様であるほどいい」ということです。趣味ベース、勉強ベース、困りごとベース、地縁ベースなど、さまざまな切り口で、いろいろなコミュニティに属することを意識していくとよいのではないでしょうか。

人にはいろいろな「顔」がありますが、属するコミュニティが多様であるほど、多様な自分の「顔」を見いだせると思います。コミュニティによっては、ほかでは絶対に出せないような「顔」を出していけて、それが自分の救いになることもあります。

ちなみに、私の場合はこの救いとなったコミュニティが10年ほど前のTwitterです。私は当時のTwitterに人生の悩みを赤裸々に綴っていくうち、現在の夫も含めたさまざまなつながりに恵まれていきました。いまのTwitterはあまりに拡散力の強いメディアになってしまっていることもあり、危険な人に出会ったりTwitterに依存してしまったりするリスクも高いので、そこは注意が必要ですが。

「そのトラブルは本当に恋愛問題なのか」を考える

私が現在の夫との関係性を安定したものにしていく過程でも大事だったのが、「二人の間で起こるトラブルは二人の関係性の問題なのか、それとも自分の中の問題なのか」を切り分けることです。

以前の私は、恋愛やパートナー関係において何かトラブルがあると、全てを二人の間の関係性の問題だと考えていました。つまり、「私はこんなに彼のことが好きだからこんなに苦しいんだ」と。けれど、自分の発達障害や二次障害の存在に気づくにつれ、親密な関係性の中で起こるトラブルの想像以上に多くが「自分の中から来るもの」だったことを知りました。たとえば、自分の心にあいた穴が、二人の関係性を必要以上に困難なものにしている。

「トラブルは自分のせいと考えて自分を責めろ」という意味ではありません。「このトラブルは本当に相手を好きだからという理由のみで起こっているのか?」「自分の不安定性が関係性に映し出された結果、必要以上にトラブルが大きくなっているのではないか?」とできるだけ冷静に分析し、それぞれの場合によって別の対応をする必要があるということです。

そして、そのトラブルがなに由来であるとわかったにしろ、わからないにしろ、定期的に専門科にかかって、状況を報告・相談することを欠かさないようにするのが大事だと思います。

人の幸せは「異性のパートナーを得ること」だけではないと理解する

世間ではなんとなく「女性が男性の、男性が女性のパートナーを『勝ち取り』、ひいては法的な結婚をすること、できれば子どもを産むこと」を当たり前、または理想だとしているところがあります。このためか、私たちもなんとなくそうしなければいけないと思い込んでしまいがちです。私も以前はそうでした。

けれど、本来人の性的アイデンティティも恋愛対象もさまざまですし、人というのはモノみたいに「勝ち取る」ものでもありませんよね。誰かが幸せと感じる生活が誰かとの性的関係を含んだ一対一のものであるとも限りません。

愛は愛であって、恋愛市場での勝ち負けなどとは関係ありませんし、現在の法律婚は、身体の性と心の性が一致したヘテロセクシャルの男女カップルのみを優遇する、理想的とは言えない仕組みです。

子どもを産み育てるには膨大な労力とお金がかかりますし、現在の日本は子どもを育てづらいシステムになっています。女性たちが、迷いもなく子どもを産もうという気にはなかなかなれないのが実情です。

私自身、たまたま身体の性が女性で、恋愛対象が男性であり、男性と法律婚するという、いわゆる典型的な「女性の幸せ」に至りました(子どもは産んでいませんが)。しかし、実は私の性的アイデンティティは常に揺らいでいる状態です。自分が子どもを産める性であることにいまだに違和感があります。かといって男性になりたいわけでもありません……

こういった意味もあって私は、「女性の幸せは男性と結婚して子どもを産むこと」などといった粗い主張をする気には到底なれません。

さらに言えば、人が幸せになるにあたって、ある程度親密な人間関係が必要だろうことはわかりますが、それが特定のパートナーである必要さえないと思います。自分の信頼のおける複数の人たちと擬似家族のようなものを築いて暮らすのも素敵ですし、一人で暮らして人とはときどき交流する生き方が幸せという人だっているでしょう。

私は、若い世代の発達障害女性には、世間が提示する「あたりまえ」や「理想」なんて気にせず、自分が最も楽でいられる生き方を選んでいってほしいと願っています。

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