尽きない対人関係トラブル。大学、就活、職場でも―ー発達障害の私の、ひきこもりニートへの道

ライター:宇樹義子
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高校まで成績優秀だった私は、私立の難関大学に進学しました。そのまま有名企業に就職していくものとたかをくくっていましたが、年を追うごとになにやら暗雲がたちこめ… 私は社会に出るにあたって挫折をいくつも経験することになります。

短期留学時、クラスメートとぶつかる

大学3年のとき、私はアメリカの大学に短期留学をしました。私の所属する大学とアメリカの大学の提携のもと行われる短期留学プログラムです。私が学んだのはテクニカル・コミュニケーションという、論理的なコミュニケーションを学ぶ科目で、授業は英語で行われました。

英語が得意で理屈っぽかった私にとって、テクニカル・コミュニケーションという分野はとても知的好奇心を刺激されるものでした。

人の表向きの言葉と内心がどこかズレていて「空気を読む」スキルが必要な日本と違って、アメリカでは言うほうも聞くほうも言葉のままに解釈します。また、アメリカの大学では学生は勉強熱心なほうがカッコいいと捉えられていて、学生同士の初対面の挨拶には必ず「あなたの専攻は何?」という問いが含まれました。そうした日本とアメリカの文化の違いもあって、私は水を得た魚のようでした。レポートなどでも毎回トップクラスの好成績をあげていました。

しかし、そんな私に対して陰口を浴びせる日本人学生のグループがいました。一番前の特等席で教授に質問しては「Good question!」とか言われている私の背中に向かってヒソヒソと「きもい」とか「がっついてるよね」とか言うのです。

嫌がらせを先導しているのは一人の女子学生でした。仮にAさんとします。Aさんたちグループは私の所属大学の、テクニカル・コミュニケーションを專門とする講座から単位取得にあたっての義務として送り込まれてきた人たちでした。

あとになって思いましたが、自分たちが普段からみっちりトレーニングしているテクニカル・コミュニケーションの分野にぜんぜん関係ない学生が紛れ込んできて自分たちそっちのけで注目を浴び、好成績をあげたら、そりゃあ皆が面白くないのも自然なことかもしれません。

こうした私が嫉妬を受ける背景があったことに加え、Aさんと私は本当にたまたまですが知り合いで、悪いことにもともと折り合いの悪い同士でした。高校のとき同じ高校に通っていて、クラスメートになったことがあったのです。

高校の頃、数人で強固な仲間意識のあるグループをつくり、いつもなにやら私には理解できない内輪ネタで耳打ちしあったり大きな声で盛り上がったりしいるのがAさんで、私はよく彼女たちのことを非常に冷ややかな目で見ていました。当時発達障害の自覚がなかった私は「ねえ、何がそんなに面白いの? ちょっと静かにしてくれる?」ぐらいの突っ込みをしたような記憶があります。

大学生になってもAさんはいつも群れて行動する人で、「いかにも日本人学生らしい」振る舞いをしました。教室の後ろのほうに固まって座ろうとして、教授がもっと前に来なさいと繰り返し促しても顔を見合わせてニヤニヤしながら「やだーあ」と引いた態度をするだけ。教授が授業中に当ててももじもじして「わかんないですー」みたいな答えをするし、質問を促しても誰も手を挙げない。私はAさんたちの振る舞いが同じ日本人として恥ずかしかったし、教授に悪いからと思って、彼らの代わりに前に座り、質問をしていたところもあったのです。

でもAさんにとって私は、高校からの因縁も含めて「憎き宇樹!」ぐらいの感じだったのかもしれません。嫌がらせを先導するのはいつもAさんでしたが、私はAさんのいないところでAさんのグループの名前も知らないぐらいの女子2人と行きあったときに挨拶してみたら無視されたりして、ずいぶん嫌な思いをしました。

結局、あるときあまりにAさんの陰口が執拗なので、いいかげん私は怒り心頭で全員の前で自分の意見をまくしたてました。

あなたたちが私を嫌っているのはわかっている。だったら個々人が直接文句を言いにくればいいじゃないか。それができないから群れて嫌がらせするなんて情けないと思わないのか。そちらにとっては義務で仕方なく来ているから仲間同士の絆も大切なんだろうが、こちらは勉強がしたくてわざわざお金を払って来ているんだから、こういうやる気のある学生の邪魔だけはしないでもらいたい… こんな感じだったと思います。

「やだー、きもーい…」とAさんは隣の子に小さい声で言って、以来、私に嫌がらせはしてこなくなりました。代わりにまるでそこに私がいないかのように振る舞うようになりました。

私はざまあみろと思いましたが、自分の対応がこれでよかったのかはあまり自信がありませんでしたし、互いが平和に暮らすために互いのことを無視しなければいけない学生たちってなんだか寂しいなと、とても後味の悪い思いが残りました。

私のことが気に食わないからといって集団で嫌がらせをしたAさんの行為は間違っていたと思います。そこについてはAさんは批判されてしかるべき。また、私が勉強を頑張り、教授を気遣った行為自体は間違っていなかったはずだと思います。

けれど私も私で、発達障害ゆえに「何よりも仲間との絆の感覚を優先する」という感覚が理解できていませんでした。自分の発達障害に自覚もなかったゆえに、高校の頃からずっと、Aさんに対してあまりに冷たい視線を浴びせていたように思います。Aさんにとっては私の視線が何か彼女のコンプレックスを刺激するものであったり、悪意ある攻撃と感じさせるものであったりしたのでしょう。

「発達障害があって空気が読めないから嫌がらせされてしかるべき」という話ではなく、もっと早く自分の発達障害について知っていれば、同じAさんと私でももう少しうまく、互いに攻撃的にならずにつきあえたのではないかと思うのです。そう思うとなんともやるせない気持ちになります。

就職活動の時期にも対人面の問題が

就職活動でも徐々に対人面の問題点が浮き彫りになっていきました。大学名と成績のおかげか書類審査は通るのですが、どこの面接に行っても落とされてしまうのです。質問に対して事実を答えただけで面接官が怒りだしたり、あなたは思想的に偏っているから危険分子だと言い立てられたり、就活本のとおりに頑張ってやったことに呆れられたりして全部落ちてしまう。

同じ時期、通っていた就活スクールのクラスメートとも複数回喧嘩になりました。私はマスコミを目指していたためマスコミ就活スクールに通っていたのですが、彼らとどうにも反りが合わないのです。

一度めは、私がクラスメートから「非国民」と言われて激怒した案件。当時Jリーグが流行っていました。私が「世の中の人たちが急にほっぺたに日の丸を描いて熱狂しだした様子が気持ち悪い」と言ったところ、「それって非国民じゃね?」と言われたのです。

その男子学生は新聞社を目指しているということだったので、私は怒りに震えながら「非国民という言葉の重みをわかって言っているのか。これからジャーナリストになっていく人間がそんな安易な感覚で非国民という言葉を使っていいのか」と返しました。

二度めは、やはりJリーグに絡んである女子学生が「あの国の審判がズルをしたから○○人は嫌い」と言い出して、やはり私が激怒。「どうしてある国の一個人が悪いことをしたからといってその国の国民全員を嫌いと言ってしまえるのか。これからマスコミで仕事をしていく人間としてそんな感覚でいいのか」と返したのでした。

いずれの場合も相手は「は? 何が悪いの?」といった感じで、なんとなく私が悪者となって排除されてしまいました。何より解せなかったのは、マスコミ各社にどんどん内定を得ていくのが彼らばかりなのだということ。

私は、非常に有能な仕事人として出世した父に、小さい頃から「常に有能で個性的で、強く、周囲を蹴落としてのし上がる者であれ」と教えられて育ちました。また発達障害があったため、自分が知らぬうちに巻き込まれているパワーゲームについての洞察を欠いていました。

女性、それも私のように身体が小さく動作の緩慢な女性が、「有能さと個性」を前面に押し出し、周囲を蹴落としてのし上がろうとするような態度でいたら。父のような大柄で数々の武道を極めた屈強な男性がそうした態度でいるのとは、世間的な風当たりの強さがまったく違う。こうした世間の風潮が正しいかどうかは別として(私は間違っていると思いますが)、それは残念ながら事実です。

私は結局のところ、どこかの会社に入ってジェネラリストとしてスキルを磨いて… というようなキャリアパスは向いていなかったと思いますし、こうしてフリーで物書きをできている今の自分の立ち位置に満足しています。

でも当時、私に発達障害の自覚があって、自分の振る舞いが周囲にとってどのように受け取られうるのかということについて知識だけでもあったなら、もう少し平穏で、自分も周囲もいたずらに傷つけないですむ学生時代を送れたのではないかと思っています。

就職しても挫折は続く

結局、私が就職試験に通った唯一のところは予備校経営の会社でした。その会社は社内に出版部があったし、その頃には「こんな自分を採ってくれるところならどこでもいい」という気持ちになっていたからです。

しかし、その会社はいわゆるブラック企業でした。ひとりに3〜5人分の仕事が降りかかっていて、常に社内は上層部からしててんてこまい。残業代は見込み分がもともと手当としてついていてそれ以上は出ないうえ、タイムカードを切ったあとにも仕事を続けるという慣習も定着していました。

毎日12時間以上会社にいる日が続き、事務作業に加えて生徒の担任業務60人分を任され、焦りすぎて頭は真っ白。30人いた同期が2ヶ月で半分になり、私は7月になってついに倒れて、そのままその会社を辞めました。

その後1年ぐらいぽつぽつとバイトをしては辞めるような生活をしたあと、私は父のコネである大学の任期つきの事務職員の職を得ます。「あのお父さんの娘だ」という周囲のプレッシャーから私はすぐに体調を崩しました。神経性の下痢と抑うつ傾向に悩まされ、1年間に2回休職。

短い間に休職と復職を繰り返しながら私は、先輩から遠回しに服装のことを注意されて「決まってるなら職務規定に書いておいてもらわないと」と返したり、「自分で仕事を探せ」と言われて学生が頻繁に出入りする部屋のドアを急に磨きだしたりと、自分としては大まじめなのですが今思えば実に発達障害者らしい言動に出ました。

想像していたことではありましたが、この年の年末近くになって私は上司に呼び出され、「君の来年度の契約更新はできない」と告げられます。
次ページ「どうにもうまくいかない」

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