「空気を読む」って何?ASDの私、日本語教師の勉強で「コミュニケーションでの違和感」を一歩脱せた理由

ライター:宇樹義子
「空気を読む」って何?ASDの私、日本語教師の勉強で「コミュニケーションでの違和感」を一歩脱せた理由のタイトル画像

私は最近、日本語教師を養成する講座を受講しています。その中で「社会的語用論」というものを学ぶ機会があり、ASDのない人とある人のコミュニケーション方法の違いについてとても興味深い気づきを得ました。今回はそのことについてお話しします。

監修者鈴木直光のアイコン
監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。 1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。

知って驚いた、「社会的語用」という概念

言語学の分野では、会話の辞書的な意味、字義どおりの意味について扱う分野を「意味論」、場面・文脈・相手との社会的な関係性の中でどのような会話をするかについて扱う分野を「社会的語用論」と言います。

例えば、職場で、部長Aさんの部下のBさんがAさんに対してこう言ったとします。

「私がお茶を入れました。部長も飲みたいですか?」

この発言では、文法上の誤りもなく、語彙も十分です。意味論的には、「AさんがBさんの入れたお茶を飲みたいかどうか」を聞いており、まったく問題ありません。

しかし、社会的語用論の観点から言うとこの発言は不適切で、文化的社会的にはナチュラルでないと言えます。
―といった説明が、日本語教師用のテキストに書いてあり、私はとても驚いたのでした。

社会的語用論の観点からは、
・場面(公的で改まった場なのか、私的でフランクな場なのかなど)
・文脈(それまでにどんな話をしていたかなど)
・相手との関係(親しいのか親しくないのか、立場が上なのか下なのか、ウチなのかソトなのかなど)
に配慮して話をすべきなのだそうです。

社会的語用の範疇では、文化によるのですが
・目上または親しくない相手に対して直接意向を聞いてはいけない
・人に何かをしてあげたときに主語をあいまいにして押しつけがましくないようにする
・断るとき、禁止するときなど、はっきり言うと相手や関係性にショックを与えそうなときにあいまいな言い方にしたり「言いさし」にしたりする
などといったルールがあるのだそうです。

これ、私のようにASDのある人にとっては、とても苦手なものですよね。話し手になる場合にも聞き手になる場合にも、いわゆる、「空気を読む」「行間を読む」が必要になってくることですから。だからこそ、社会的語用の概念を知った私は驚いたのだと思います。

これらを総合して、上記の例の場合、日本において社会的語用の観点から正しい(より正確に言うと、日本で最も感じが良いと受け取られて生存戦略上都合がよい)言い方はこんな感じになるでしょうか。

「お茶が入りました。部長もいかがですか」

「お茶が入りました」「お風呂が沸きました」ずっと理解できていなかった社会的語用

私はそこで、自分が生きてくる中でなんとなく疑問に思っていた日本語の表現をざっと思い出してみました。すると、あれは社会的語用だったんだ!と気づくものがいくつもありました。

例えば、上記の例にあった「お茶が入りました」。周囲がそういう言い方をするから私も自然にこういう表現を使ってはいたものの、「文法的に考えるとなんだかお茶が勝手に意志を持って入ったみたいな感じでおかしいなあ、どうしてだろう」と、言語化はできないまでもずっと引っかかっていたのです。

日本人はこういった何気ない表現の中でも、相手との社会的関係を配慮した物言いをしているのですね。

給湯器も、「お風呂が沸きました」って言いますよね。あれ、中身は日本人だなって思いました(笑)

英語やフランス語でも「行間を読む」?

でもね、同じような社会的語用、よく考えたら英語でもするんですよね。

Dinner is ready!(夕飯ができました)
Tea is ready!(お茶ができました)

ここで I made tea (私がお茶を入れました)とかは言わないわけです。

その他、私は大学時代アメリカに短期留学したとき、誰かを何かに誘うか何かしたときに maybe next time(またこんどね)って言われたんです。そうか、また今度誘えばいいのか、と思ってしばらくあけて再度誘ったら、すごく困惑した顔をされました。

欧米はいわゆる空気を読まなくていい、なんでもオープンに意思表示しあう文化だと思っていたので、それから20年来謎だったのですが、先日、アメリカ帰国子女と日本人がやっているインターネット動画で、アメリカでも婉曲に断ることあるよ!と言っていて、「あれは断られてたんだ!」と初めて気づきました(笑)

フランスでも「行間を読む」ことはあるようです。フランス人ASD女性のコミックエッセイの中に、会社の同僚に「あの資料持ってる?」と訊かれて「持ってるよ」と答えたら同僚は「ええっと、その資料を貸してくれる…まったくもう!」と怒ってしまったというシーンがあったので、これにも驚きました。

空気・行間を読むことが多い、よりハイレベルな社会的語用が要求される文化を「高コンテクスト文化」といい、日本が代表です。その反対で、なんでもはっきり言葉にすることが多く、直接的なコミュニケーションをする文化が「低コンテクスト文化」で、ドイツが代表と言われています。

ドイツのコミュニケーションに婉曲な表現があるかは見聞きしたことがないのでわかりませんが、欧米が日本よりも低コンテクストだからといって、日本のような高コンテクスト・婉曲な表現がないわけではないのですね。イギリスなんかは非常に婉曲な言い回しが多く、京都に似ていると言われることもありますね。
次ページ「言葉の学びの中でようやく興味を持てるようになった、日本の社会的語用」

追加する

バナー画像 バナー画像

年齢別でコラムを探す


同じキーワードでコラムを探す



放課後等デイサービス・児童発達支援事業所をお探しの方はこちら

放課後等デイサービス・児童発達支援事業所をお探しの方はこちら

コラムに対する投稿内容については、株式会社LITALICOがその内容を保証し、また特定の施設、商品及びサービスの利用を推奨するものではありません。投稿された情報の利用により生じた損害について株式会社LITALICOは一切責任を負いません。コラムに対する投稿内容は、投稿者の主観によるもので、株式会社LITALICOの見解を示すものではありません。あくまで参考情報として利用してください。また、虚偽・誇張を用いたいわゆる「やらせ」投稿を固く禁じます。「やらせ」は発見次第厳重に対処します。