バーンアウト、ひきこもり…有名大学への進学からの挫折。青春を勉強に捧げたASDの私が今思う「学生時代に学ぶべきだった」こと

ライター:宇樹義子
バーンアウト、ひきこもり…有名大学への進学からの挫折。青春を勉強に捧げたASDの私が今思う「学生時代に学ぶべきだった」ことのタイトル画像

ASD(自閉スペクトラム症)のある私。中高時代は厳しい受験勉強に身を捧げ、慢性的な過労状態でした。大学に入った時点でバーンアウトを起こし、心身の調子を崩してロクに勉強できなかった苦い思い出があります。今回はそうした、高校以降に向けての進路選択に関したお話をお届けします。

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監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。 1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。

いじめを避けて私立中高に入学した私

ASD(自閉スペクトラム症)がある私は、公立小学校でひどいいじめを受けていました。兄が心配して両親に「義子は中学以降は私立に行かせてやってくれ、公立に進むともっとひどいいじめに遭うと思う」と頭を下げてくれたことから、中学受験をして中高一貫の私立の進学校に通うことになりました。

進学校では好成績によってスクールカースト上位に

おっとりしたお嬢様の集まる女子校だったその学校では、スクールカーストはスポーツの得意さや言動のそつなさではなく、成績の良さで決まるところがありました。

私はピタッといじめられなくなりました。「あの常に学年で3位以内の宇樹は私の友達なんだよ!」とほかの子に自慢する子や、いつも成績のいい◯組の宇樹ってどの子? と見にくる、他クラスの子もいるぐらいでした。

コミュニケーションの面ではやはり浮いていたので、うっすら敬遠されて、同じグループの子たちが気づいたら休みの日にこっそり私抜きで遊びに行っていたとかはありましたが、それ以上のことはありませんでした。

親や先生の期待×完璧主義・白黒志向で無理が加速

仕方ないことなのですが、世間や周囲の大人の誰にも発達障害の知識がなかった30年前当時、両親には「学校の成績がいい = 有名大学に行って有名企業に入るか士業などに就いてエリートになる」といったイメージしかなかったようです。

口でははっきり言わないものの、両親が私に「エリートになるに違いない」という期待を寄せているのはひしひしと伝わってきていました。

また、父は幼稚園ぐらいの私に「世の中は戦場で、お前たちはそこで戦い抜いて生きていくんだ」と言って聞かせたり、小学校時代に学校に行きたくないと言ったら「いま学校に行かなくなったらお前の学歴は途絶えてしまう。そうするとお前は将来路頭に迷う。だから頑張って学校に行きつづけろ」と諭したりしました。

ASD傾向のある幼い子どもだった私が、父の言ったこのようなことを鵜呑みにして恐怖し、「全力で努力しつづけて勝つ(良い大学に行くなどしてエリートになる)のでなければ生きていけない」と思い込んだのは自然なことです。私は本来の特性にもある完璧主義・白黒思考を加速させ、強迫的なまでに勉強に打ち込むようになりました。
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