友だちトラブル、不登校で悩んだ発達障害娘。中学3年で「登校スイッチ」が入ったワケ【読者体験談】
ライター:ユーザー体験談
【発達ナビではユーザーさんからの子育てエピソードを募集中!今回は「不登校」についてのエピソードをご紹介します】現在14歳、中学3年生の娘は、11歳直前でADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD・SLD(限局性学習症)の診断を受けました。中学校の一時期学校へ行けなくなる事がありましたが、あるきっかけで今は楽しく通えています。今回はその経験をご紹介します。
監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。
1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。
一生懸命甘えさせても、自己肯定感が育ってくれない娘
わが家は姉・弟・弟の3人姉弟、3人共にそれぞれ診断が出ています。一番上の娘は現在中学3年生、11歳直前でADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD・SLD(限局性学習症)の診断を受けました。
授業中折り紙など別のことに熱中し、気付くとほかの人は別のことをやっていてる……ということが多かった娘。不注意の傾向が強いため、苦手な「ー(マイナス)」がある数学の式は大体間違えます。私が解き方を教えたりして対応しています。
私に対してや、信頼している先生にはすごく甘えますが、私が一生懸命甘えさせてもなかなか自己肯定感が育ってくれません。先生たちには「娘はほかの人より愛情で満たしたい器が大きすぎて、いくら頑張ってもいっぱいにならないように感じています」と説明しています。
そんな娘は、中学校の一時期学校へ行けなくなる事がありましたが、ある出来事がきっかけで登校できるようになりました。その経験をお話したいと思います。
授業中折り紙など別のことに熱中し、気付くとほかの人は別のことをやっていてる……ということが多かった娘。不注意の傾向が強いため、苦手な「ー(マイナス)」がある数学の式は大体間違えます。私が解き方を教えたりして対応しています。
私に対してや、信頼している先生にはすごく甘えますが、私が一生懸命甘えさせてもなかなか自己肯定感が育ってくれません。先生たちには「娘はほかの人より愛情で満たしたい器が大きすぎて、いくら頑張ってもいっぱいにならないように感じています」と説明しています。
そんな娘は、中学校の一時期学校へ行けなくなる事がありましたが、ある出来事がきっかけで登校できるようになりました。その経験をお話したいと思います。
少しずつ積みあがった小学校時代の友だちトラブル。そして娘はストレスで髪を食いちぎるように……
娘は、2学年上の近所のお姉さんと一緒に登校していました。こちらは送り出したら一安心でしたが、娘は途中の草花などにいちいち立ち止まるそうで、お姉さんが何度も声をかけて学校に連れて行ってくれたようです。ですので一人で帰る時は寄り道ばかりになり、大人の足で16分の距離を1時間以上かけて帰ってくることもありました。
小学1年生の頃、幼稚園の時仲が良かった男の子と一緒に帰るところをほかの男の子たちから「カップルだ」とからかわれ、それ以来男の子が苦手になりました。また休み時間「外で一緒に遊ぼう」と女の子から声をかけてもらった時、「今、本を読んでいるから」と断った娘。それから「女子たちから陰口を言われている気がする」と感じるようになり、クラスで孤立していったようです。仲がいい特定の女友だちの存在が救いでしたが、彼女とは途中でクラスが別れることとなりました。
小学1年生の頃、幼稚園の時仲が良かった男の子と一緒に帰るところをほかの男の子たちから「カップルだ」とからかわれ、それ以来男の子が苦手になりました。また休み時間「外で一緒に遊ぼう」と女の子から声をかけてもらった時、「今、本を読んでいるから」と断った娘。それから「女子たちから陰口を言われている気がする」と感じるようになり、クラスで孤立していったようです。仲がいい特定の女友だちの存在が救いでしたが、彼女とは途中でクラスが別れることとなりました。
このように、友だち関係でのトラブルが増えて行った娘。小学4年生の時、一緒に学校に行っていたお姉さんが卒業、続いて小学5年生の始めにコロナ禍で休校になった時、限界を迎えました。
休校中のある日、末の弟が家のあちこちに髪の毛の束が落ちていることに気づきました。娘がストレスで髪を食いちぎっていたのです。「これはまずい」と思った私は、娘にゆっくりとなにか苦しいことがあるのか話を聞きました。そこでそれまでの友だちトラブル、「もう私、ぼっち確定だ」と嘆くに至った背景を知ることができました。
休校中のある日、末の弟が家のあちこちに髪の毛の束が落ちていることに気づきました。娘がストレスで髪を食いちぎっていたのです。「これはまずい」と思った私は、娘にゆっくりとなにか苦しいことがあるのか話を聞きました。そこでそれまでの友だちトラブル、「もう私、ぼっち確定だ」と嘆くに至った背景を知ることができました。
そして、娘は弟が通っていた児童精神科でADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)と診断。そこから小学校に相談をして、スクールカウンセラーの先生に話を聞いてもらったり、教頭先生やほかのコーディネーターの先生などにも様子を見てもらいながら、休校開けはどうにか学校へ通うことができました。担任の先生が優しい女性だったのが幸運だったと思います。
そこからは仲のいい友だちと同じクラスにしてもらうなどの配慮を受けながら、学校へ通い続けることができました。
そこからは仲のいい友だちと同じクラスにしてもらうなどの配慮を受けながら、学校へ通い続けることができました。
中学校へ進学。巡回相談、放課後等デイサービスを利用し環境を整え学校へは通えていたけれど……
中学校では通常学級へ在籍することになりました。学校との協力、巡回相談、放課後等デイサービスを利用しながら、娘が苦しくない方法を模索し続けました。
放課後等デイサービスには中学1年4月から通い始め、学習面のサポートや居場所を作ってもらえました。他校の友だちができたり、料理や裁縫、小物づくりなどで先生に褒めてもらったり、そこにいくと楽しすぎて120%のエネルギーが出るそうです。
放課後等デイサービスに行き始めて半年ほどで驚いたことは、爪が伸び始めたことでした。ストレスで爪を嚙むことがある娘は常に深爪で、きれいに爪が伸びた姿を見ることはないと思っていた私。足、手としっかり伸びた美しい爪を見たときは、とても嬉しく、感動しました。
担任の先生は巡回相談以外の時間にも細かく娘の状況を教えてくださいました。1年、2年と仲がいい友だちと同じクラスにしてもらえたおかげで、学校にも安心して行けていました。ですが、中学2年生の10月頃から2ヶ月程、急に不登校になりました。
放課後等デイサービスには中学1年4月から通い始め、学習面のサポートや居場所を作ってもらえました。他校の友だちができたり、料理や裁縫、小物づくりなどで先生に褒めてもらったり、そこにいくと楽しすぎて120%のエネルギーが出るそうです。
放課後等デイサービスに行き始めて半年ほどで驚いたことは、爪が伸び始めたことでした。ストレスで爪を嚙むことがある娘は常に深爪で、きれいに爪が伸びた姿を見ることはないと思っていた私。足、手としっかり伸びた美しい爪を見たときは、とても嬉しく、感動しました。
担任の先生は巡回相談以外の時間にも細かく娘の状況を教えてくださいました。1年、2年と仲がいい友だちと同じクラスにしてもらえたおかげで、学校にも安心して行けていました。ですが、中学2年生の10月頃から2ヶ月程、急に不登校になりました。