特別支援学校の息子、高2で不登校に。「体調不良アピール」で病院受診も原因不明…学校からの提案は【読者体験談】

ライター:ユーザー体験談
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現在高校3年生、17歳の息子はアンジェルマン症候群という指定難病です。特別支援学校に通っていますが、2年生の秋、不登校になりました。発語がない息子の「学校へ行きたくない」というアピールに頭を悩ませながらも、電車やバスが好きな息子ならと不登校ながらも宿泊学習、修学旅行へは参加した際のことをご紹介したいと思います。
【発達ナビでは読者からのエピソードを募集中!今回は「不登校」についてのエピソードをご紹介します】

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監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。 1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。

特別支援学校で不登校になった息子

特別支援学校高等部3年生の息子は、アンジェルマン症候群という指定難病です。アンジェルマン症候群は重度の発達の遅れや知的発達症(知的障害)、動きがぎこちないなどの症状がある先天性の疾患です。息子は発語はありませんが、人が好きでニコニコと笑顔を振りまき、電車やバスといった乗り物が大好きです。

そんな息子は2年生の11月から、特別支援学校で不登校になりました。

11月のある朝のことです。息子が「以前骨折した腕が痛い」というアピールをしました。腕は完治しているはずなのですが、ちょうど寒くなってきた時期だったため、(寒さで古傷が痛むのかな?)と思い、私は病院へ連れて行きました。診てもらったところ特に腕に問題はなく、学校へは遅刻して行ったのですが、それから毎日のように病院へ行くというサイン、アピールが始まりました。
「以前骨折した腕が痛い」というアピールをする息子
「以前骨折した腕が痛い」というアピールをする息子
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参考:201 アンジェルマン症候群|厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/0000101031.pdf

不登校のきっかけは?体調不良アピールは続き……

そして毎朝のように「病院へ行く」というサインは続きました。「学校へ行くよ」と言っても家から出てくれないので、その頃から私は「病院へ行って、その帰りに学校行くよ」と声がけをして息子を家から連れ出すようになりました。

やがてはじめは腕だった痛みのサインも、鼻やら耳やら喉を指差すように変化。でも、いくら痛いアピールがあっても、病院へ毎日は行けません。すぐ近所の耳鼻科はほぼ行きつくすぐらいになってしまい、受付で事情を説明して何とか診てもらっていました。幸い病院のほうも「何かあるのかもしれないね~。先生に診察してもらうことで納得できるなら!」と言ってもらえたのでよかったです。

そして病院へ行ったあとに学校へ連れていくも、だんだんと車から降りられなくなった息子。学校へは完全に行けなくなってしまったので、放課後等デイサービスに連れて行くようになりました。ですが、12月中旬になると放デイに送って行っても車から降りられず……。とうとう外へも出られない状態になりました。
学校へ連れて行ってもだんだんと車から降りられなくなり……
学校へ連れて行ってもだんだんと車から降りられなくなり……
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なぜ急に学校へ行きたがらなくなったのか……。あとから思ったことは、体調不良アピールが始まる1週間前にあった宿泊学習のこと。そこでなにか嫌な思いをしたのかも?ということが頭によぎりました。ただ学校に聞いても特に何かあったわけでないそうです。きっかけが分からないまま、息子の不登校は続きました。

配布物、提出物のために学校へ通う日々

いつか学校へ行ける日がくるはずと思った私は、学校へ配布物を取りに行ったり、提出物を持っていったりしていました。基本は私一人でやっていたのですが、病院に行った日などは息子も連れていくようにしました。

二人で行く時は大体下校時間ぐらいに行くようにしました。下校中のお友だちがいると息子に声かけしてくれるので、そのほうが息子も動けるような気がしていたのです。ですが、息子はお友だちには笑顔で反応するのですが、車を降りることはできませんでした。下校が落ち着いて人がいなくなったあと、「書類を取りに行く、取ってきたら帰るよ」と声をかけると降りることもありましたが、それは稀。先生たちが付き合ってくださる時間も限られているので、先生が昇降口に置いてくれた書類を私が息子を誘導する形で取りに行き、車へ戻りました。

また息子の不登校は私たち夫婦の仕事にも当然影響しました。私は上司と相談して在宅勤務に切り替えました。どうしても出社しないといけない時は、夫に半休を取ってもらいなんとか乗り切る日々でした。
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