【感覚鈍麻/過敏】夏に長袖、不意のタッチには激怒!ASD・小3息子の不思議な感覚世界への寄り添い方
ライター:河野りぬ
Upload By 河野りぬ
夏前になり、じわじわと汗ばむ日が増えてくるこの季節。「暑くないの?」と思わず心配になるような服選びをする息子……。服選びや尿意には気づきにくい(感覚鈍麻)一方で、不意の接触や特定の環境には激しく反応する(感覚過敏)など、親から見ると矛盾して見える息子の感覚の世界。特性がある小学3年生の息子の感覚鈍麻と過敏のはなしです。
監修: 新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
2003年信州大学医学部卒業。小児科医師として、小児神経、発達分野を中心に県内の病院で勤務。2010年信州大学精神科・子どものこころ診療部で研修。以降は発達障害、心身症、不登校支援の診療を大学病院及び一般病院専門外来で行っている。グループSST、ペアレントトレーニング、視覚支援を学ぶ保護者向けグループ講座を主催し、特に発達障害・不登校の親支援に力を入れている。
多様な子育てを応援するアプリ「のびのびトイロ」の制作スタッフ。
周りは半袖なのに、一人だけ長袖。親を悩ませる「季節外れの服選び」
5月、6月と暦が進み、じわじわと汗ばむ日が増えてくるこの季節。最近は日によって寒かったり暑かったりと大人でも服選びに頭を悩ませますが、ASD(自閉スペクトラム症)の特性がある小学3年生の息子は、気候に合わない服を選んで汗だくになっても一度着た服は脱ぎたがらなかったり、暑いと分かっていても長袖を着たがったりと、謎のこだわりを見せています。
「今日はすごく暑いよ?汗かいちゃうよ?」と声をかけますが、本人はどこ吹く風で変えたがらず。結局、ほかの子どもたちが涼しげな半袖短パンで活動する中、息子だけが一人、季節が止まったかのような格好で過ごすことになります。
実は息子には、服の前後ろに気づきにくかったり、季節に合わせた衣服を選べなかったり、さらにはトイレに行きたい感覚(尿意)をキャッチするのがのんびりでギリギリになったりする「感覚鈍麻」の傾向があります。
大人から見れば、「家から出れば、暑いって分かるでしょう?」「さっきまであんなにのんびりしてたのに、なんでギリギリまでトイレ行かないの?」と思ってしまうのですが、息子にとっては、自分の身体の内側から発せられる「暑い」「冷たい」「おしっこが出そう」というセンサーのボリュームが、とても小さく設定されているようなのです。
「どうして気づかないんだろう」「いつまで大人の声かけが必要なんだろう」と、見守る親としてはいつもグッタリしてしまいます。
しかし、この「感覚ののんびりさ」に困惑する一方で、息子はこれとは真逆の、身体の過敏さも持ち合わせていたりします。
「今日はすごく暑いよ?汗かいちゃうよ?」と声をかけますが、本人はどこ吹く風で変えたがらず。結局、ほかの子どもたちが涼しげな半袖短パンで活動する中、息子だけが一人、季節が止まったかのような格好で過ごすことになります。
実は息子には、服の前後ろに気づきにくかったり、季節に合わせた衣服を選べなかったり、さらにはトイレに行きたい感覚(尿意)をキャッチするのがのんびりでギリギリになったりする「感覚鈍麻」の傾向があります。
大人から見れば、「家から出れば、暑いって分かるでしょう?」「さっきまであんなにのんびりしてたのに、なんでギリギリまでトイレ行かないの?」と思ってしまうのですが、息子にとっては、自分の身体の内側から発せられる「暑い」「冷たい」「おしっこが出そう」というセンサーのボリュームが、とても小さく設定されているようなのです。
「どうして気づかないんだろう」「いつまで大人の声かけが必要なんだろう」と、見守る親としてはいつもグッタリしてしまいます。
しかし、この「感覚ののんびりさ」に困惑する一方で、息子はこれとは真逆の、身体の過敏さも持ち合わせていたりします。
「鈍感」なのに「敏感」?大人から見ると不思議な感覚のアンバランス
尿意や衣服の温度といった、自分の身体の感覚にはのんびりしている(感覚鈍麻)息子。それなら、全体的に「ちょっと感覚がおっとりした、鈍麻が強いタイプ」なのかというと、そんなことはありません。
むしろ、特定の刺激に対しては、「おおげさな……」と驚くような「過敏さ」を見せることがあります。
その代表的なものが、いわゆる「くすぐりポイント」への接触です。
首筋や脇、お腹のあたりに少しでも誰かの手が触れようものなら、身体をよじって逃げて「さわらないで!」と本気で嫌がります。
それどころか、仲の良い人に後ろからお尻を「ポン」と軽く叩かれた(スキンシップのつもり)だけでも、息子は「許せない。絶対謝って」と、仲の良い人に対してもずっと根に持ちます。
大人から見れば、「真夏日に長袖で汗だくな不快さは気にならないのに、友だちにお尻をポンとされただけでそんな過敏に反応するの……?」と、不均衡さに戸惑います。
専門家ではない私なりの気づきなのですが、彼にとっては「自分の内側ののんびりした感覚」と「外から突然やってくる予測できない刺激」は、まったくの別物なのだと思います。
特に首や脇、お腹やお尻といった場所は、急所でもあります。息子にとっては、自分で「これから触るぞ」と心の準備ができていない状態でそこを刺激されるのは、大人が想像する以上に「怖いこと」なのかもしれません。
このように、ある部分では驚くほど動じないのに、別の部分では非常にデリケート。そんな息子の「感覚のボリュームツマミ」の不思議さは、外での遊びの場面でも、また違った形で私を戸惑わせます。
むしろ、特定の刺激に対しては、「おおげさな……」と驚くような「過敏さ」を見せることがあります。
その代表的なものが、いわゆる「くすぐりポイント」への接触です。
首筋や脇、お腹のあたりに少しでも誰かの手が触れようものなら、身体をよじって逃げて「さわらないで!」と本気で嫌がります。
それどころか、仲の良い人に後ろからお尻を「ポン」と軽く叩かれた(スキンシップのつもり)だけでも、息子は「許せない。絶対謝って」と、仲の良い人に対してもずっと根に持ちます。
大人から見れば、「真夏日に長袖で汗だくな不快さは気にならないのに、友だちにお尻をポンとされただけでそんな過敏に反応するの……?」と、不均衡さに戸惑います。
専門家ではない私なりの気づきなのですが、彼にとっては「自分の内側ののんびりした感覚」と「外から突然やってくる予測できない刺激」は、まったくの別物なのだと思います。
特に首や脇、お腹やお尻といった場所は、急所でもあります。息子にとっては、自分で「これから触るぞ」と心の準備ができていない状態でそこを刺激されるのは、大人が想像する以上に「怖いこと」なのかもしれません。
このように、ある部分では驚くほど動じないのに、別の部分では非常にデリケート。そんな息子の「感覚のボリュームツマミ」の不思議さは、外での遊びの場面でも、また違った形で私を戸惑わせます。
にぎやかな場所は苦手。でも、自分が楽しんでいるときは大音量
この「感覚の不均衡さ」は、外の世界やお友だちとの関わりの中でも形を変えて現れます。
息子は、たくさんの子どもたちが集まってワイワイしているような、にぎやかな遊び場が少し苦手な傾向があります。
そういう場所に行くと、遊びに没頭できない様子で「もうここから離れたい」と、逃げたがることが多いのです。
「それなら、静かな環境や人の少ないところが好きなのか」と思うと、ここでも息子の「ボリュームツマミ」は一筋縄ではいきません。
同じような環境でも気心の知れた数人のお友だちと一緒にいたり遊びに没頭しはじめると、「にぎやかな場所が苦手な姿」が嘘のように、大はしゃぎ。周りの騒がしさがまったく耳に入っていない様子で、自分自身が誰よりも大きな声を出して盛り上がったりもします。
息子が何に気をとられているかで、同じ環境やシチュエーションでも様子がガラリと異なるので、親としては「このシチュエーションが平気なのかダメなのか、どっちだ?」と、より混乱します。
本人が主役になってお友だちと楽しく遊んでいるときは、その楽しさに100%集中しているため、周りの雑音がシャットアウトされ(鈍麻状態に)、自分の出している大音量にも気づかなくなってしまう。息子にとってはどちらも「そのときどきの、脳のフィルターの通り具合」が極端に変わっているだけなのですが、付き添う親としてはどういうコンディションになるか予想がしづらいのです。
息子は、たくさんの子どもたちが集まってワイワイしているような、にぎやかな遊び場が少し苦手な傾向があります。
そういう場所に行くと、遊びに没頭できない様子で「もうここから離れたい」と、逃げたがることが多いのです。
「それなら、静かな環境や人の少ないところが好きなのか」と思うと、ここでも息子の「ボリュームツマミ」は一筋縄ではいきません。
同じような環境でも気心の知れた数人のお友だちと一緒にいたり遊びに没頭しはじめると、「にぎやかな場所が苦手な姿」が嘘のように、大はしゃぎ。周りの騒がしさがまったく耳に入っていない様子で、自分自身が誰よりも大きな声を出して盛り上がったりもします。
息子が何に気をとられているかで、同じ環境やシチュエーションでも様子がガラリと異なるので、親としては「このシチュエーションが平気なのかダメなのか、どっちだ?」と、より混乱します。
本人が主役になってお友だちと楽しく遊んでいるときは、その楽しさに100%集中しているため、周りの雑音がシャットアウトされ(鈍麻状態に)、自分の出している大音量にも気づかなくなってしまう。息子にとってはどちらも「そのときどきの、脳のフィルターの通り具合」が極端に変わっているだけなのですが、付き添う親としてはどういうコンディションになるか予想がしづらいのです。