なんと、今日で8月が終わってしまう~!!
…ということは、明日から9月!? 今年も残すところ、あと4ヶ月。
そういえば、おせちの予約も始まってますもんね。
年を取れば取るほど、年々時の経つのが早くなります…。
(ノД`)シクシク
さて、今日は「ひび割れ壺」のお話をご紹介したいと思います。
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インドのお話です。
ある水運び人は、2つの壺を持っていました。
1つは完璧な壺でしたが、もう1つはひび割れが入った壺でした。
水運び人はこの2つの壺を天秤棒の両端に取りつけ、肩に載せて小川まで毎日通っていました。
小川からご主人の家まで歩いて戻る間に、完璧な壺は1滴たりとも水をこぼすことなく運べるのに、ひび割れ壺は半分ほどの水しか運べませんでした。
完璧な壺は、自分の仕事を立派に果たしていることに満足していました。
しかし、ひび割れ壺は、自分が半分ほどの仕事しかできていないことを情けなく、惨めに思っていました。
2年経った頃、ひび割れ壺はとうとう水運び人に話しかけました。
「私は自分が情けないし、あなたに申し訳なく思っています。この2年間、私はこのひび割れのせいで、あなたの役に半分しか立てていないことが本当に辛いんです」
水運び人はひび割れ壺に、こう言いました。
「今度、水を汲んでご主人の家まで帰るとき、道端に咲く花を見てごらん」
次の日、ひび割れ壺は、いつもの道端に美しく咲く花に気付きました。
その花を見て少し元気になったものの、ご主人の家に着く頃には、やはり壺の中には水が半分ほどしか残っておらず、ひび割れ壺は「やっぱり私は役立たずの壺です。本当にごめんなさい」と水運び人に謝りました。
すると彼はこう言ったのです。
「気付かなかったのかい? 君が通る方の道端にだけ、花が咲いていたんだよ。
僕は君から水がこぼれるのに気づいたから、君が通る道に花の種を蒔いたんだ。
つまり君は、この道を通るたびに花に水をやり、育ててくれていたんだよ。
そして僕は毎日その花を摘んで、ご主人の食卓を飾ってきたんだ。
ご主人が綺麗な花を愛でながら食事を楽しめたのは、君のおかげなんだよ」
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これはとても有名なお話なので、ご存じの方もおられると思います。
ちなみにご紹介した文章は、私YELLOWが「意訳」したものです。
大体こんな内容です。
障害のあるなしに関わらず、私たちには得手不得手というものがあります。
運動は得意だけど、リーダーシップはない…とか、勉強はできるけど、友だちを作るのが苦手…とか、歌を歌うのは得意だけど、綺麗な字が書けない…などなど。
「何を見るか」によって、評価は変わるのです。
「ひび割れのために、水が半分しか運べない」 ⇒ 欠点
「ひび割れがないから、壺いっぱいの水が運べる」 ⇒ 長所
と見るか、
「水が漏れるから、花を育てながら水も運べる」 ⇒ 長所
「水が漏れないから、水を運ぶ以外の仕事ができない」 ⇒ 短所
と見るか。
それぞれの凸凹をみんなが自然に受け入れられる社会。
その人のあるがままを認められる社会。
他人を尊重すると同時に、自分のこともちゃんと尊重できる社会。
そんな社会が早く完成するといいな~と思うYELLOWなのでした。
(*˘︶˘*).。.:*♡
見方を変えると…
コラム
23/08/31 17:50