こんにちは。ブロッサムジュニア流山教室です。
今回は、「私が不登校だった時のお話」をします。
私は現在保育士としてブロッサムジュニア流山教室で働いていますが、中学では1年間不登校を経験し、高校も一部保健室登校をしていました。
これらの不登校の経験は、「自分の様な不登校の子の力になれる可能性があるのではないか?」と感じ、心理学を大学では学び、今の仕事に生かしています。
私が不登校から復帰し、現在社会で生活できているのも、ある居場所があったためです。今回はそんなエピソードを紹介させていただきます。
①私と不登校|部活の同期との確執と不安の増大
私が不登校のきっかけとなったのは部活動での失敗体験が原因です。私が、その当時運動部に所属し、1年生からレギュラーとして大会に出させていただきました。中3になったとき、部活動でチーム競技に出る機会を頂きました。自分が個人種目だけでなく、集団種目でも選ばれたことがうれしくて、練習をし過ぎてしまいます。その為、大会直前に「疲労骨折で全治1か月」となってしまいました。
仲間に貢献できず、大会に出られなかった経験、チームメイトから叱責された経験を通して、不登校になりました。
受験生ということもあり、勉強自体は独学で続けていましたが、人との交流は後述する居場所以外では全く持たずに過ごしてきました。
②私と不登校|ピアノ教室と師匠と仲間
私が不登校の中で唯一外出の機会となっていたのが、当時のピアノ教室でした。私は小学1年生からずっとピアノを習っていました。
その先生は、個人でピアノ教室を運営されていて、一人一人の子どもに最大限に寄り添いながら、その人の好さを引き出してくださるかたでした。
自分は、愚直に頑張るところと人の感情に機敏に気づく部分を先生は評価して下さっていました。その為、練習量が必要な曲を課題協として与えてくれ、私に自信をつけてくれたり、繊細な曲を課題曲として選んでいただくことが多かったです。
またピアノ教室では毎回の季節の節目にコンサートを生徒全員で運営し、毎回の季節にあったピアノ曲を披露していました。
その時に、運営をしている際に、関わった同期や後輩との出会いを通して、「あんな素敵な人のようになりたいな」という思いが私の高校受験のきっかけになったように感じます。
③私と不登校|世界は意外と優しいかもしれない
自分は不登校の一連の経験を経て、高校受験に独学でチャレンジし、奇跡的に普通科の高校に進み、大学に進学し現在働いています。
あの時のことを振り返るとつらい気持ちもありますが、自分と向き合うきっかけ、大切なつながりに気づくきっかけをもらえ、自分にとって良かったと今なら思うことができます。
一方で、自分には居場所があったため、今幸せに生きてこれている部分もあると思います。自分と向き合い、寄り添ってくれる人の存在や、頑張っているかっこいい仲間の存在がいたからこそだと思っています。
④まとめ 私たちにご相談下さい。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
もしよろしければ1度簡単な相談でも大丈夫です。
発達が気になるお子様で不登校で居場所を探している方も、私たちの事業所を利用することができます。何かありましたらいつでもご連絡ください
私と不登校|学校に行けたきっかけと居場所の重要性
その他
22/11/16 19:09