送迎車が止まる。
玄関に向かう。
お母さんが出てくる。
さっきまでニコニコしていたのに、今はムっとした顔。
お母さんの後ろに隠れて、それでもこちらをチラリと見ながら言います。
「けんかした。あびラボきらい。みんなきらい。やだ。もういかない。」
お母さん、そのとき、どんな気持ちになりますか。
「また何かあったのかな……」
「相手のお友達、大丈夫だったかな。」
「どう声をかけたらいいんだろう。」
いろんな気持ちが、一瞬で押し寄せてきますよね。
大丈夫です。
その「もういかない」は、育っているサインです。
先日、親業のコミュニケーション講座がありました。
そこで印象に残った言葉があります。
「コミュニケーションとは、話し方ではなく、人と人との間を育てること。」
その話を聞きながら、私はずっと子どもたちの顔を思い浮かべていました。
私たちは普段、「人」と「人間」を同じように使っています。
でも、少しだけ違うのかもしれません。
人は、生まれた瞬間から人です。
名前がなくても。
できることが少なくても。
ただそこにいるだけで、大切な存在です。
だから、小さな子どもは驚くほど自信満々です。
泣きたいときは泣く。
嫌なときは「イヤ!」と言う。
ほしいときは「ほしい!」と言う。
自分が感じた世界を、まっすぐ生きています。
それは未熟だからではありません。
「人」として、とても自然な姿なのです。
でも、人間は少し違います。
「人間」という言葉には、「人」と「間」があります。
人+間=人間
人間とは、関わりの中で育つ存在です。
誰かとぶつかる。
誰かと仲直りする。
誰かを待つ。
誰かに待ってもらう。
そんな毎日の積み重ねの中で、少しずつ人間になっていきます。
ここで一つ、正直にお話ししたいことがあります。
私たち大人は、子どもがケンカをすると、つい急いで止めたくなります。
「仲良くしようね。」
「順番だよ。」
「貸してあげよう。」
もちろん、どれも大切なことです。
でも、まだ「人」として育っている途中の子どもに、急いで「人間」を求めすぎると、自分の気持ちよりも「合わせること」を先に覚えてしまうことがあります。
だから私たちは、まず子どもの気持ちを大切にしたいと思っています。
実は、子どもの脳はケンカをしているとき、とても忙しく働いています。
「え?なんで?」
「さっきまで一緒に遊んでいたのに。」
「どうして貸してくれないの?」
子どもの頭の中では、そんな小さな「どうして?」がたくさん生まれています。
思った通りにならない。
自分の予想が外れる。
その瞬間、脳は一生懸命考え始めます。
「相手はどう思っていたんだろう。」
「次はどうしたらいいんだろう。」
実は、こういう時間こそ、脳はぐんと育ちやすいと言われています。
相手の気持ちを想像したり、自分の気持ちを整理したりする力も、このような経験の中で少しずつ育っていくのです。
だから、葛藤は失敗ではありません。
子どもの脳が、一歩大人に近づこうとしている時間なのです。
人間になるには、順番があります。
まず、自分がいる。
次に、相手がいることに気づく。
そして、ぶつかる。
「わからない」と感じる。
理解しようとする。
やがて、一緒に笑う。
また一緒に作る。
この階段は、一段飛ばしでは登れません。
そして、その経験の多くは、子ども同士だからこそ生まれます。
そのとき、子どもの心の中では、こんな声が聞こえているのかもしれません。
「一緒に遊びたい。」
「なんで?!うまくいかない。悔しい。」
「本当は仲直りしたい。」
「どうしたら一緒に遊べるんだろう。」
誰も答えを教えてくれない。
だから、自分で考える。
その繰り返しが、人として生まれた子どもを人間へと育ててくれるのです。
だから、あびラボにはケンカがあります。
トラブルがあります。
泣き声があります。
そして、仲直りがあります。
私たちは、すぐに答えを出そうとはしません。
まず見ます。
待ちます。
今、その子はどんな気持ちなのか。
今、その子は成長の階段のどこにいるのか。
それを大切に見守ります。
安心してぶつかり、安心してやり直せる場所。
それを守ることが、私たちの役割だと思っています。
私たちには、そのすべてが、人が人間になっていく音に聞こえます。
────
保護者の方から、こんな相談をいただくことがあります。
「この子、お友達とうまくやっていけるでしょうか。」
その気持ち、とてもよくわかります。
でも、私たちはこう思っています。
ぶつかれる子は、育っています。
そして、
安心してぶつかれる場所がある子は、もっと育ちます。
「けんかした。もういかない。」
その言葉が出てくる場所に、あびラボがあります。
人として生まれ、人間になっていく。
泣きながら。
笑いながら。
ぶつかりながら。
仲直りしながら。
今日の「もう行かない」が、いつか「今日も楽しかった。」に変わるその日まで。
あびラボは、一人ひとりの成長のそばに、ずっといます。
玄関に向かう。
お母さんが出てくる。
さっきまでニコニコしていたのに、今はムっとした顔。
お母さんの後ろに隠れて、それでもこちらをチラリと見ながら言います。
「けんかした。あびラボきらい。みんなきらい。やだ。もういかない。」
お母さん、そのとき、どんな気持ちになりますか。
「また何かあったのかな……」
「相手のお友達、大丈夫だったかな。」
「どう声をかけたらいいんだろう。」
いろんな気持ちが、一瞬で押し寄せてきますよね。
大丈夫です。
その「もういかない」は、育っているサインです。
先日、親業のコミュニケーション講座がありました。
そこで印象に残った言葉があります。
「コミュニケーションとは、話し方ではなく、人と人との間を育てること。」
その話を聞きながら、私はずっと子どもたちの顔を思い浮かべていました。
私たちは普段、「人」と「人間」を同じように使っています。
でも、少しだけ違うのかもしれません。
人は、生まれた瞬間から人です。
名前がなくても。
できることが少なくても。
ただそこにいるだけで、大切な存在です。
だから、小さな子どもは驚くほど自信満々です。
泣きたいときは泣く。
嫌なときは「イヤ!」と言う。
ほしいときは「ほしい!」と言う。
自分が感じた世界を、まっすぐ生きています。
それは未熟だからではありません。
「人」として、とても自然な姿なのです。
でも、人間は少し違います。
「人間」という言葉には、「人」と「間」があります。
人+間=人間
人間とは、関わりの中で育つ存在です。
誰かとぶつかる。
誰かと仲直りする。
誰かを待つ。
誰かに待ってもらう。
そんな毎日の積み重ねの中で、少しずつ人間になっていきます。
ここで一つ、正直にお話ししたいことがあります。
私たち大人は、子どもがケンカをすると、つい急いで止めたくなります。
「仲良くしようね。」
「順番だよ。」
「貸してあげよう。」
もちろん、どれも大切なことです。
でも、まだ「人」として育っている途中の子どもに、急いで「人間」を求めすぎると、自分の気持ちよりも「合わせること」を先に覚えてしまうことがあります。
だから私たちは、まず子どもの気持ちを大切にしたいと思っています。
実は、子どもの脳はケンカをしているとき、とても忙しく働いています。
「え?なんで?」
「さっきまで一緒に遊んでいたのに。」
「どうして貸してくれないの?」
子どもの頭の中では、そんな小さな「どうして?」がたくさん生まれています。
思った通りにならない。
自分の予想が外れる。
その瞬間、脳は一生懸命考え始めます。
「相手はどう思っていたんだろう。」
「次はどうしたらいいんだろう。」
実は、こういう時間こそ、脳はぐんと育ちやすいと言われています。
相手の気持ちを想像したり、自分の気持ちを整理したりする力も、このような経験の中で少しずつ育っていくのです。
だから、葛藤は失敗ではありません。
子どもの脳が、一歩大人に近づこうとしている時間なのです。
人間になるには、順番があります。
まず、自分がいる。
次に、相手がいることに気づく。
そして、ぶつかる。
「わからない」と感じる。
理解しようとする。
やがて、一緒に笑う。
また一緒に作る。
この階段は、一段飛ばしでは登れません。
そして、その経験の多くは、子ども同士だからこそ生まれます。
そのとき、子どもの心の中では、こんな声が聞こえているのかもしれません。
「一緒に遊びたい。」
「なんで?!うまくいかない。悔しい。」
「本当は仲直りしたい。」
「どうしたら一緒に遊べるんだろう。」
誰も答えを教えてくれない。
だから、自分で考える。
その繰り返しが、人として生まれた子どもを人間へと育ててくれるのです。
だから、あびラボにはケンカがあります。
トラブルがあります。
泣き声があります。
そして、仲直りがあります。
私たちは、すぐに答えを出そうとはしません。
まず見ます。
待ちます。
今、その子はどんな気持ちなのか。
今、その子は成長の階段のどこにいるのか。
それを大切に見守ります。
安心してぶつかり、安心してやり直せる場所。
それを守ることが、私たちの役割だと思っています。
私たちには、そのすべてが、人が人間になっていく音に聞こえます。
────
保護者の方から、こんな相談をいただくことがあります。
「この子、お友達とうまくやっていけるでしょうか。」
その気持ち、とてもよくわかります。
でも、私たちはこう思っています。
ぶつかれる子は、育っています。
そして、
安心してぶつかれる場所がある子は、もっと育ちます。
「けんかした。もういかない。」
その言葉が出てくる場所に、あびラボがあります。
人として生まれ、人間になっていく。
泣きながら。
笑いながら。
ぶつかりながら。
仲直りしながら。
今日の「もう行かない」が、いつか「今日も楽しかった。」に変わるその日まで。
あびラボは、一人ひとりの成長のそばに、ずっといます。