四季MISAKOさんのページ

四季MISAKO
四人の子はそれぞれ発達の凸凹を抱えていると思われます。診断を受けたのは末っ子だけで、自閉症スペクトラムと言われています。小学校6 年生から不登校傾向で、中学一年生の今は入学して2か月後からまったく登校していません。私自身も最近ストラテラを飲み始めた、一家揃っての凸凹家族です。ちなみに、夫も今思えば余りにも顕著な凸凹持ち主でしたが、私も子どもたちもどう付き合えばわからないまま、ずたずたに傷ついてしまったため、結婚23年で離婚しました。第二子で23歳の娘はAC(アダルトチルドレン)と診断され、治療を受け続けています。
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困った経験がある
幼児期から歯磨きを酷く嫌がり、膝枕で磨いてやろうとしても、危なくて歯ブラシを咥えさせられない程暴れて拒否。
結果、3歳児検診で虫歯が何本も見つかり、私は歯科医から睨みつけられました。育児放棄と見られたようです。
小学校では、食事のスピードが遅く給食時間に困っていると先生から言われて、虫歯治療のついでにその話しが出ると、歯医者から口腔内の発達を促すというプログラムを勧められました。やってみましたが、割り箸をくわえて口や舌を動かすというそれ自体が、今考えれば苦痛でしか無かったのでしょう。上手くいきませんでした。
好き嫌いが激しく、小さい頃はトマトと卵とチーズ以外に食べられるものが思いつかなかった(けど微妙にバランスがとれててラッキーww)というのも、口の中の知覚過敏、味覚過敏のせいかなと、今になって思います。
中3の今になっても歯磨きは嫌いで、歯磨き粉を使うことは出来ません。
中学校でフユコの自宅学習について相談してきました。

数学は本人の苦手意識が強く、解説を受けずに問題を解くのは難しいため、手始めに割と得意な国語から試してみようという話になりました。

とはいえ、いわゆる漢字の書き取り練習は、集中力を保つのが難しい。
小学3年生で最初に診断を受けたとき、日常の困りごととして相談したのが、宿題の漢字ドリル1ページを終えるのに夕方からよる10時過ぎまで掛かるという問題でした。

支援学級の先生から示されたのは、単なる漢字ドリルではなく、物語を読んでいく中に漢字や慣用句が虫食いになっているという形式のものです。
言葉への興味は強く、小学校低学年の頃に「ことわざ・慣用句辞典」を欲しがったため買ってやった事がありました。
学力をつけるというより、「なにもしていない」という本人の焦りを鎮められればという親の願いを、先生も理解して下さっていると思います。

後は、本人がすんなり聞き入れやすいように言葉を選び、順序立てて話す必要があります。納得して開始できるよう、春休み期間中に良いタイミングを見計らって話そうと思っています。
不登校児を抱えているので、市から3ヵ月おきに家庭訪問がある。

最初その話をしたとき、フユコは知らない人が訪ねて来ることに強い違和感と不安を感じて、当然ながら拒絶の構え。
ただ私としては行政には認知してもらっておくためにも、断るわけに行かないので
「お母さん、あんたを虐待してると思われてるかも。その疑いを晴らすために必要」と説明して納得を得た。

職員がやってくると、本人は「こんちわー」と割と愛想良く挨拶するが、帰った後は毎回「あーっ!めんどくさっ!! どうすればもう来ないようになるんだろう?!虐待なんかされてないっつーの!」と少々荒れ気味になる。

今週、その訪問日があったのでそれを聞いてみた。
「学校に戻るまで、家庭訪問は続きますか?」

「そうですね。中学校でなくても、どこかに所属して、週に1~2回でも定期的に通っている事が確認できれば、お家への訪問は停止します。」

4月からは毎週土曜日、イラスト教室に通う予定。さてフユコは外出に耐え、家庭訪問から解放されるのか?!
フユコさん、4月から中学3年生です。

「あ、ウチ受験生やん」

と、気がついたように口にしたのを聞いて、姉のナツコと私は思わず吹き出してしまいました。

「なんと。気になるのかね?」

受験生という言葉は、日々ノンストレスに過ごしているように見えるフユコとは対極に位置しているように思えて、それを気にするフユコをちょっと滑稽にさえ感じてしまいました。

そのときは「まぁねー。そりゃね…。」というフユコの言葉で話は終わり、私にも何かが引っかかってはいました。

それからひと月程経ち、なんの話からだったか、幸せって?という話になりました。

「例えば、お母さんは今の状態をけっこう幸せだと思うけど、同じ状態を不幸と感じる人もいるかもね。」

と私が言うと

「ウチのことやん」

というフユコの返事。

「えっ、フユちゃん不幸なん?」
「だって学校に行ってないし。」

ああ、学校に行っていない事を、本人は必ずしも良しとはしていなかったのだと、改めて思い知りました。
学校に行かないこと自体を幸不幸で計れない事。それがフユコにとって不幸だと感じるなら、どうすればいいか一緒に考えられると伝えると、「ありがとう」と返事がありました。

担任の先生にフユコの言葉を伝え、
[小学校の内容まで遡ってプリントを作っていただき、家でそれを解いて添削をお願いする。プリントの受け渡しは私がする。]
いう事をお願いできないか相談しました。

検討するという快い返事をいただき、本人のやってみたいという返事もあり、来週学校に相談に行きます。

これはみんなの受験勉強には程遠いものです。
でも、動き始めるときは、ほんの一ミリ、ほんの指一本からだというのも本当です。

この春、何かがちょっとだけ変わると良いな。
でも、何も変わらなくても失望しないようにしよう。(保険www)
父親に会いたいという娘にどう対処すればいいか、思い悩んで数週間。娘の受診日が巡ってきたので、先生に相談した。

会わせるなら、娘が不登校であることと自閉症スペクトラムの診断を受けて通院していることを、予め説明しなければならない。
でも私は相手の声を聞くのも嫌。
また説明したところで、それを受け止められるとは思えない。

先生(娘に)「お父さんに会いたいの?」
娘「はい。ーーうーん、会いたいのは会いたいけど、会って話したいというのとはちょっと違う」
先生「お父さんは優しい?」
娘「優しくはない。けど会ってみたい」
私「どうしてるか気になる?」
娘「うん、会って一緒に何かしたいというより、顔を見て『じゃっ』って言うだけで別れるみたいな感じ?」
先生「あなたは今、いくつだっけ?」
娘「14歳です」

その後いくつかやりとりをして、先生は暫く考え
「会うのは、あなたがもう少し大人になってからにしようか」
と娘に言った。
「それまでは、先生がお父さんになっといてあげるよ。心配しないでも、お父さんは死にゃしないよ。」
とも言った。

娘は「えーっ!」と驚いたがいやがりもせず、すんなり納得した様子で診察を終えた。

「会いたい」という言葉と気持ちの間にあるギャップを娘が自分の言葉で現すのを聞いて、無理に会う段取りをつけていたら危うく娘を傷つけたかもしれないとほっとした。

会いたい気持ちと、会いたくない気持ちが半々なら会わない方がいい。
会いたい気持ちが半分を超えた時に会ったら良いよ。

そう言われて、娘も私も一安心した。
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7年弱前 違反報告
私のことですか?いっぱい誉めていただいて、ありがとうございます(o^^o)
中2の娘が、父親に会いたいと言う。

父親は間違いなく発達障害を持っている。家庭では自分の思うようにいかない者を言葉の暴力で時にじわじわと、時に猛烈に拒絶し、お金と時間は自由自在に使い果たす。
外では年を重ねる程に周りに馴染めず、出社拒否と転職を繰り返して現実逃避する人だ。

23年間一緒にいたが、ついに一家団欒が訪れることはなく(夕食は父親の仕事の愚痴と、同僚上司の悪口を、延々と黙って聞く時間だった)、疲れ果てた私は傷ついた子どもたちを引き連れて家を出た。
離婚調停では「なぜ自分が養育費を払わないといけないのか分からない」と臆面もなく言い放った相手だ。

4人の子のうち3人目まではその時既に高校生以上。父親を客観的に見る目が育っていて、相手に世間一般の父親らしさを求めるのは幻想だと悟っている。
しかし4人目は当時小学4年生で、父親がどこか変わっていてとてもイラつく相手だとは分かっていても、お互いに理解し合えないとまでは思っていないのかもしれない。

父子の面談を否定したくは無い。調停では、いつでも自由に会って良いことになっている。
しかし娘が会いたいと言うのを父親が立て続けに拒否したせいで、娘の方が愛想を尽かしたのが1年前。その時は娘もだいぶ傷ついたようだ。

それでも父を慕う気持ちは消えていなかったのだろう。そいういう気持ちが娘にあることにはちょっとほっとする。
でも、自閉症スペクトラムで、2年余り学校に行っていない娘を、父親が受け止められるとは思えない。
まだ一緒にいた頃、はじめADHDと診断された娘が自分の言うことを聞かないと、「そんなだからお母さんから薬を飲まされるんだ!」と言う相手なのだ。

会いたいと言う娘に、まず私が父親に連絡するから待つようにと言ったものの、それには相当勇気がいる。声を聞けば蓋をしていたあの当時の絶望感が再び首をもたげそうで、奴からの電話もメールも拒否しているのだ。

どうしたものかな・・・。先週末からの悩みが頭の中でどんどん膨らんでいる。
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約7年前 違反報告
4年前にその本を知りたかった!
でも何でも遅すぎることはありませんね。早速読みたいと思います。
変わったというより、変わる予感を得た一言。
不登校の中2娘は家でひたすらPCを使ってイラスト(いわゆるデジ絵)を描いています。
家から一歩も出たくない、誰とも会いたくないという日々が続いていましたが、来年4月から毎週日曜日にイラストを習いに行く決心をしました。
受講手続きを済ませると、そのスクールのアプリからコミュニティーに参加して「決意表明」をするように促されます。私は内心、娘の反応が不安でした。
「そんなことするなんて聞いてない!」と、受講を取り止めると言い出すのではないかと思いました。
でも取り越し苦労でした。娘は抵抗無く書き込みそれを私に教えてくれました。
1.絵が上手になる
2.高校卒業するまでに本を1冊作る
3.絶対に諦めない

「絶対に諦めない」

登校出来なくなった3年前、眠れず、ご飯も食べられず、ガリガリに痩せて「死にたい」とつぶやいていた娘です。
この力強い言葉が彼女の中から湧き上がったのだと思うと、私は幸せです。
この瞬間から、我が家の次の一歩が始まる予感がしています。