どこまで尊重するかは家庭によって違っていい
子どもを尊重すると言うと「子どもの言いなりになること」だと誤解される方もいるかもしれません。
もちろん、暴力など人として許せないことは断固拒否。
「ならぬものはならぬ」という譲れないものはあります。
法に関わることはしてはいけない、犯罪であるとして伝え、
それ以外に関してどこまで許容するかの線引きは、人によって違ってもいいと私は思っています。
無理に理屈をつけて「これは悪いことなので止めて」より「嫌だから止めて」という個人的な気持ちのほうが伝わることもあります。
家庭により、人により、事情やルールが違うことも、はっきり伝えれば伝わります。
もちろん、暴力など人として許せないことは断固拒否。
「ならぬものはならぬ」という譲れないものはあります。
法に関わることはしてはいけない、犯罪であるとして伝え、
それ以外に関してどこまで許容するかの線引きは、人によって違ってもいいと私は思っています。
無理に理屈をつけて「これは悪いことなので止めて」より「嫌だから止めて」という個人的な気持ちのほうが伝わることもあります。
家庭により、人により、事情やルールが違うことも、はっきり伝えれば伝わります。
子どもたちはルールの違いを許容できる
「人によって事情やルールが違う」ことを、子どもたちが許容できると実感したエピソードがあります。
息子が小学校5年生の時です。
クラスに息子と似たような困り感を抱えた子がいました。授業に集中できなくなると、じっと静かにしていることが難しくなります。
親御さんとの相談の中で「集中できなくなったら好きな折り紙をしてもよい」ルールが決められました。
授業中静かにし、周りの迷惑にもならなかったのですが、ある子が
「先生、○○だけ折り紙してずるい」
と言い出しました。
このとき、担任の先生は
「○○のところは、お母さんの許可をもらって折り紙をしています。折り紙したい人はお母さんの許可をもらってきてください。」
と言ったそうです。
クラスの子は何も言わなくなりました。
先生の見えないところで意地悪することもなかったようです。
息子もその様子に、「オレは別にいいから」というくらいの反応でした。
「その子のお母さんがOKなら担任である自分もOK」という先生の伝え方が最も良いとは感じませんが、
このエピソードから子どもたちはルールの違いを許容することができると知りました。
息子が小学校5年生の時です。
クラスに息子と似たような困り感を抱えた子がいました。授業に集中できなくなると、じっと静かにしていることが難しくなります。
親御さんとの相談の中で「集中できなくなったら好きな折り紙をしてもよい」ルールが決められました。
授業中静かにし、周りの迷惑にもならなかったのですが、ある子が
「先生、○○だけ折り紙してずるい」
と言い出しました。
このとき、担任の先生は
「○○のところは、お母さんの許可をもらって折り紙をしています。折り紙したい人はお母さんの許可をもらってきてください。」
と言ったそうです。
クラスの子は何も言わなくなりました。
先生の見えないところで意地悪することもなかったようです。
息子もその様子に、「オレは別にいいから」というくらいの反応でした。
「その子のお母さんがOKなら担任である自分もOK」という先生の伝え方が最も良いとは感じませんが、
このエピソードから子どもたちはルールの違いを許容することができると知りました。
これからお子さんが思春期を迎える方へ
私も子どもと一緒に泣いたり叫んだりしていた時期がありました。
ただでさえ大変な子育て。
発達に何かしら困り感を抱えている子なら一層大変。
怒り心頭でクールダウンのためにトイレに駆け込んでいた日々があります。
でも、一旦身についたものは中々忘れない、気持ちは常に真っ直ぐ、という凸凹っ子のメリットもあります。
思春期になると、定型発達の子でも壮絶な親子バトルを繰り広げていることもあるので、焦らなくても大丈夫。
お子さんと一緒に互いに納得の行く方法を探していただけたらと思います。
一足飛びには行かなくても、着実な一歩一歩を。
ただでさえ大変な子育て。
発達に何かしら困り感を抱えている子なら一層大変。
怒り心頭でクールダウンのためにトイレに駆け込んでいた日々があります。
でも、一旦身についたものは中々忘れない、気持ちは常に真っ直ぐ、という凸凹っ子のメリットもあります。
思春期になると、定型発達の子でも壮絶な親子バトルを繰り広げていることもあるので、焦らなくても大丈夫。
お子さんと一緒に互いに納得の行く方法を探していただけたらと思います。
一足飛びには行かなくても、着実な一歩一歩を。