戦前生まれの父に教わった、アスペルガーとして生きるということ

ライター:ヨーコ
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4年前に亡くなった父は診断こそ受けていませんでしたが、間違いなくアスペルガー症候群だったと思います。その強いこだわりやマイペースさに、家族は振り回されっぱなし。しかし父は、自分の生き方を貫き通しました。そんな父から私が学んだことは何だったのでしょうか。

戦前生まれの父はアスペルガーだった!?

私の父は戦前生まれです。その激しく頑固で暴君ばりの性格は、まるでアスペルガー症候群そのものでした。

その頃は発達障害やアスペルガーという言葉もなかったような時代。そんな中、不器用ながらも自分を貫き通した父。その人生に感じたこと、私たち母娘に残した言葉を振り返ってみたいと思います。

自分のペースを乱されたくない父。必然的に仕事や人との関わり方も限定され…

学者だった父は、自分のペースを乱されるのが大嫌いでした。融通も利かないため、向いている職業も学者以外には考えられないような人でした。満員電車を嫌い、朝5時半に家を出て1時間半かけて通勤。

大学についたらまず、着替えてランニング。決まった時間に運動を終えたら、教授室で朝食を摂り、仕事にとりかかります。この習慣は毎回同じ。アスペルガーの特性によくある、ルーティーンです。

また、何でも1番への強いこだわりがあり、自分より先に研究室に学生がいたら「君、泊まったんだよな」と念を押すくらいの負けず嫌い。この問答は卒業生の語り草になっています。

昼からは学生を指導。父の指導は大変厳しく、手書き論文に容赦なく赤ペンをぎっしり入れ、涙する学生さんも多かったそう。

言葉にもこだわりが強く、自分の気に入らない表現は容赦なく直していたようです。そのあまりにも厳しい指導に、自宅に匿名で脅迫電話がかかってきたことも、何度かありました。父はそれを笑っていましたけどね。 

そして17時になるとさっさと帰ってしまいます。17時以降に入る会議は大嫌いで、帰ってくると鬼のような形相で、私はいつもおびえていたものです。

振り回される家族。その辛さから母はカサンドラ症候群に

家庭は父を中心に回っていました。何でも1番は父。こたつでゴロゴロするのは許せない!と、こたつも出してもらえず、テレビを見る子どもたちが許せず、テレビは配線を切られました。

こんな暴君のような振る舞いに対し、母は恐らくカサンドラ症候群になっていました。いつも顔色が悪く、父に逆らえずに自分を抑え込む辛さから、寝込むことも多かったです。

母は父に振り回されたストレスが原因で、時々ヒステリーを起こすのですが、それを私にぶつけてくるのが、たまらなく嫌でした。

子どもへの躾も厳格過ぎる程で、食事時はお説教ばかり。お通夜のような食卓で「おいしい、おいしい」と私は必死に家族を盛り上げていたのを覚えています。

私たち子どもは、親に褒められることなく育ちました。

●努力するのは当たり前
●規則正しい生活しか認めない
●勉強もできて当たり前

という考えの父は、私が頑張って目標の大学に合格しても「なんだ、そんなレベルの低い大学か」としか言いませんでした。
次ページ「父の本心を知ることで、癒されていった子ども時代の辛さ」

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