「障害者福祉は税金の無駄」という意見はなぜ生まれるのか、経済学の視点から考える

ライター:ある障害児の父
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先日の相模原障害者施設殺傷事件は、日本社会に大きな衝撃を与えました。
犯人は「重度障害者は生きていてもしょうがない」ので「障害者に使うお金をなくし世界にお金が回るようにしたい」などと供述したそうです。これには、「人間の尊厳の否定だ」と憤る人もいる一方、「犯人の論にも一理ある」と理解を示す人もいます。
この両極端の考え方は相容れないものなのでしょうか。

19名もの尊い命が失われた相模原障害者施設殺傷事件

先日のこの事件は、日本社会に大きな衝撃を与えました。
犠牲者の数の多さもさることながら、犯行の動機が世間の注目を集めた理由の一つでもあります。

報道によれば、犯人は「意思疎通ができない重度の障害者は生きていてもしょうがない」ので障害者福祉は「税金の無駄」であり「障害者に使うお金をなくし、世界にお金が回るようにしたい」などと供述したとされています。

この動機に対して、「人間の尊厳を否定するもので許せない」と憤る人もいる一方、一部のネットユーザーのなかには「やったことはよくないが犯人の論には一理ある」と理解を示す者もいます。

この両極端ともいえる二つの考え方は水と油のように相容れないものなのでしょうか。

この事件の本質的な社会の課題は何か

今回の事件を「おかしな考えを持った人間」が起こした、福祉に対する「テロ行為」だとみなしては問題の本質を見誤ることになるでしょう。

実際、事件を受けて安倍内閣は措置入院制度の見直しをスタートさせ、神奈川県は障害者施設の防犯を強化すると発表しています。

おそらく、「おかしな考えを持った人間」を簡単に社会に戻さないようにし、そうした人間が簡単に施設に入れないようにするという防止策なのでしょう。

しかし、この方策は自己矛盾を抱えています。

なぜなら「おかしな考えを持った人間」を病院に隔離し社会から遠ざければ、新たな「生きていてもしょうがない人」を作り出すことに繋がる、という見方ができるからです。

私たちがいま最も注意しなければならないことは、「税金のお世話になっている人間は世の中から消えても良い」という“現代版・優生思想”が、世論として市民権を得ることであると考えます。

「優生思想」「排除の論理」が市民権を得ていく背景には、経済苦がある

はっきりと申しあげるなら優生思想的な考えの持ち主は、どのような世の中にも一定程度は存在するとも言えます。しかし、それが市民権を得るかどうかは、社会の環境に依存するものです。

たとえば、悪名高い“優生政策”を掲げたナチス・ドイツを考えてみましょう。

第一次大戦後のドイツは、巨額の賠償金を負わされて苦しい経済状況にありました。その状況からの脱却を望むドイツ国民のなかで、ナチスは次第に勢力を増していきました。

このように経済的苦境というのは、排除の論理に“正当性”を与えることがあるのです。

人間社会において、こうした事例はいくらでも観察できます。

イギリスのEU離脱も国民投票で決まったものですが、失業者の増加に業を煮やした市民による移民排斥運動がその背景にあるとされていますし、アメリカで“排除の論理”を振りかざすトランプ氏が共和党の大統領候補に選ばれたのも経済の停滞がその原因になっていると考えられます。
次ページ「経済苦や孤独は、社会との接点を失うきっかけになる」

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