地図を見ながら歩いても迷子になるのはなぜ!?空間イメージが苦手な私が見つけた対処法

ライター:GreenDays
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昔から道に迷うことが多く、地図を持っていても目的地とは全然違うところに着いてしまう私。どうやら子どもたちも同じ特性を持っているようです。どうしてこんなことが起こるのでしょう?

外出先で自分がどこにいるかわからなくなる

初めて行くお店に入って買い物を済ませ、ドアを開けると帰り道がわからない。
いつもと違う地下鉄の出口を上がると、どの方向に向かえば良いのか途方に暮れる。
サービスエリアのトイレで用を足して個室のドアを開けると、どちらから来たのか分からなくなる。

皆さんは、こんな経験がありますか?

私は昔からかなりの方向音痴で、地図を持って出かけても、初めて訪れた場所では必ずと言っていいほど迷子になってしまいます。
迷子になることは分かっているので、30分ほど前に到着できるように余裕をもって出掛けるのですが、それでも遅刻をしてしまうということもあるのです。

その昔『話を聞かない男、地図が読めない女』(アラン・ピーズ, バーバラ・ピーズ著、主婦の友社、2002年)という本が流行ったこともあり、「私は女脳だから仕方ないのね」と思っていたのですが、自閉症スペクトラム+ADHDの診断がおりている娘と息子を見ていると、私と同じように『自分が今どこにいて、どの方向を向いているのか』ということがまったくわかっていません。

発達障害の特性の一つに「方向音痴」が挙げられることがあるのですが、やはりこれも脳の構造に原因があるのかも知れません。私は専門家ではありませんので詳しいことはわかりませんが、今までの経験から原因を考え、子どもたちに対処法を伝えられればいいなと考えています。

原因は空間認知能力の低さと言語化の失敗!?

一番大きな原因は、いわゆる「空間認知能力」が圧倒的に低いということだと思います。

方向や距離、空間の広がりや大きさをとらえる力のことですね。

地図を読むのが得意な知人に聞いてみると、今歩いている道について考えるとき、頭の中に俯瞰で見た街のイメージが浮かぶそうです。そのイメージの中で「ここを歩いている」というのが見えるので、まっすぐ進めば先には何があり、右に曲がるとどこに出るのかというのが、当たり前のようにわかっているそうです。

その話を聞いた時、目の玉が飛び出るほど驚いたのを覚えています。

頭の中に街のイメージがあって、その中を歩いている!?

人の顔も覚えられず、頭の中が言語で埋め尽くされている私にとっては想像もできない世界です。ゲームの画面みたいな感じなのでしょうか。確かにそんな風に自分を俯瞰で見ることができれば、迷子にならずにきちんと目的地にたどり着くことができるんだろうな。そんな能力があれば外出するのも全然怖くないだろうな、と憧れてしまいます。

残念なことに、私はそんなステキな能力を持ち合わせていないので、地図に頼ることになるのですが・・・。
この「地図を見る」というのも、私にとってはとても難しい作業なのです。

私が地図を見て余計に頭がこんがらがる理由

こちらのコラムで、私の頭の中でどのような情報整理を行っているのかを書かせていただきましたが、何かを覚える時は「新しい箱を用意して名前を書いたラベルを付ける」「その中に言語化した情報を放り込んでいく」という作業を行っています。
小学校で地図の見方を習った時、私は新しい箱に「東西南北の記号」というラベルを付けました。
そして、その箱の中に「4の字の上が北、下は南、右は東、左は西」という言語化した情報を放り込んだことを覚えています。しかし、この言語化の方法がまずかったのです。

私の乏しい空間認知力では、なぜか「上=前」「下=後ろ」のイメージがもともとあったため、それ以降、私の中では「目の前の方角=北」「後頭部側=南」「右手=東」「左手=西」が定着してしまったのです。

頭では「それでは自分が動くたびに方角が変わってしまう」ということは分かっているのですが、いったん箱に放り込んでしまった情報をひっくり返すのは容易いことではなく、30年が過ぎた今でもそのイメージに振り回されて、「階段を上がって西へ進んでください」と言われれば、左側に進むという選択肢しか思いつかない状態になってしまったのです。

あらかじめ印刷した地図を見るときも、自分が進む方向を上にしなくては、何がなんだかわからなくなります。
たまたま進む方向が北だと上手く行くのですが、他の方角であった場合は地図をぐるぐる回転させながら途方に暮れ、なんとか目印になる建物を見つけて進むのですが、目的地にたどり着くまでには膨大な時間がかかってしまうのです。

はじめの言語化を間違ってしまったために、私にとって「東西南北」というものは、ただただ私を惑わせる存在でしかなく、目的地にたどり着くためにはまったく役に立たない存在になってしまったのです。
次ページ「私ならではの道の覚え方」

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