「ママ、靴下脱いでいい?」何でも許可を求める娘。理由は5年前の出来事に…
ライター:GreenDays
過去に自分が傷ついたり嫌な思いをした出来事を詳細に記憶している娘。もう二度と同じ思いをしたくない娘の精一杯の防御策は「許可を得てから行動」することでした。
「ママ、靴下脱いでもいい?」私の許可を求め続ける、アスペルガーの娘
「ママ、お茶飲んでもいい?」
「ママ、このおもちゃで遊んでもいい?」
「ママ、工作でセロテープ使ってもいい?」
「ママ、靴下を脱いでもいい?」
春から小学4年生になるアスペルガーの娘。毎日何度もこのような「許可」を母親である私に求めてきます。
私「あなたはどう思うの?」
娘「お茶は飲むためにあるから、別に飲んでもいいと思う」
私「ママもそう思うよ。みんなが飲むためにお茶を沸かしてあるんだから、いちいち聞かなくても好きなときに飲めばいいんじゃないかな?」
そんなやり取りをすると、娘もその時は納得するのですが、また「ねえママ、喉が渇いたからお茶飲んでもいい?」が始まります。
挙句の果てには「靴下を脱ぐ」という行動にまで許可を求めてくるので、いちいち対応しなければならないこちらの神経もすり減ってきます。
一体どうして娘は執拗に「許可」を求めるのでしょうか?
「ママ、このおもちゃで遊んでもいい?」
「ママ、工作でセロテープ使ってもいい?」
「ママ、靴下を脱いでもいい?」
春から小学4年生になるアスペルガーの娘。毎日何度もこのような「許可」を母親である私に求めてきます。
私「あなたはどう思うの?」
娘「お茶は飲むためにあるから、別に飲んでもいいと思う」
私「ママもそう思うよ。みんなが飲むためにお茶を沸かしてあるんだから、いちいち聞かなくても好きなときに飲めばいいんじゃないかな?」
そんなやり取りをすると、娘もその時は納得するのですが、また「ねえママ、喉が渇いたからお茶飲んでもいい?」が始まります。
挙句の果てには「靴下を脱ぐ」という行動にまで許可を求めてくるので、いちいち対応しなければならないこちらの神経もすり減ってきます。
一体どうして娘は執拗に「許可」を求めるのでしょうか?
そこにあったのは、「もう2度と傷つきたくない」という娘の切実な思いだった
疲れ果てた私は、娘と話し合ってみました。
「ねえ、どうして『ママの許可』が必要なの?」
「もう自分でいろんな事をしっかりと考えられるようになっているんだから、許可を取る必要はないんだよ?」
「自分で考えて行動して、もし失敗しちゃったら、その時にどうすればいいのか一緒に考えてみようよ」
すると、娘から思いがけない答えが返ってきました。
「私も考えてみれば、靴下を脱いじゃいけない理由なんてないと思う」
「でも、前に勝手に靴下を脱いでママに怒られたことがあってすごく悲しかった」
「もうあんな辛い思いをするのは絶対に嫌だから、先に聞いて安心してから脱ぎたいの」
確かに4~5年前、娘がまだ幼稚園生の頃、ピアノのレッスンを先生のお宅でしてもらっている最中に娘が靴下を脱いだことがありました。その時私は、「汗いっぱいの靴下を触った手でピアノを弾くと汚れて迷惑でしょ!」「どうしても脱ぎたかったらママが脱がせてあげるから、今度からママに言いなさい」と叱ったのです。
あの時の叱責が娘を傷つけたのでしょう。娘は「靴下を脱ぐ」という行動を起こそうとするたびに辛い感情が胸をよぎり、「もう二度とあんな思いをしたくない」という強い思いから、私の許可を求めるようになったのです。
同様のことがいろんな場面であったのだと思います。
セロテープを床に貼りまくって叱られたこと、自分でお茶を飲もうとしてこぼしてしまったこと、好きなおもちゃを出して遊んでいたらお出かけ前だったので「ダメでしょ」と注意されたこと…。
それに加えてアスペルガーの娘は、つらい記憶をいつまでも忘れられないという特性を持っています。
他の子どもだったら遠い記憶として消えていくはずの数々の出来事が、娘の中では消化されずに燻り続けます。その結果、「また叱られるかもしれない」という恐怖心と人知れず戦っていたのです。
「ねえ、どうして『ママの許可』が必要なの?」
「もう自分でいろんな事をしっかりと考えられるようになっているんだから、許可を取る必要はないんだよ?」
「自分で考えて行動して、もし失敗しちゃったら、その時にどうすればいいのか一緒に考えてみようよ」
すると、娘から思いがけない答えが返ってきました。
「私も考えてみれば、靴下を脱いじゃいけない理由なんてないと思う」
「でも、前に勝手に靴下を脱いでママに怒られたことがあってすごく悲しかった」
「もうあんな辛い思いをするのは絶対に嫌だから、先に聞いて安心してから脱ぎたいの」
確かに4~5年前、娘がまだ幼稚園生の頃、ピアノのレッスンを先生のお宅でしてもらっている最中に娘が靴下を脱いだことがありました。その時私は、「汗いっぱいの靴下を触った手でピアノを弾くと汚れて迷惑でしょ!」「どうしても脱ぎたかったらママが脱がせてあげるから、今度からママに言いなさい」と叱ったのです。
あの時の叱責が娘を傷つけたのでしょう。娘は「靴下を脱ぐ」という行動を起こそうとするたびに辛い感情が胸をよぎり、「もう二度とあんな思いをしたくない」という強い思いから、私の許可を求めるようになったのです。
同様のことがいろんな場面であったのだと思います。
セロテープを床に貼りまくって叱られたこと、自分でお茶を飲もうとしてこぼしてしまったこと、好きなおもちゃを出して遊んでいたらお出かけ前だったので「ダメでしょ」と注意されたこと…。
それに加えてアスペルガーの娘は、つらい記憶をいつまでも忘れられないという特性を持っています。
他の子どもだったら遠い記憶として消えていくはずの数々の出来事が、娘の中では消化されずに燻り続けます。その結果、「また叱られるかもしれない」という恐怖心と人知れず戦っていたのです。
自分のことは、自分で決められるようになってほしい。我が家で採用したのは…
娘と話し合っているうちに、「もう許可は取らなくていいんだよ」と諭すだけでは不十分だと気付きました。娘の「また怒られるかもしれない」という不安を取り除かなければ意味がありません。
そこで、「許可を取る」という行動を別の行動に置き換えてみることにしました。
私「今度からママは、『〇〇してもいい?』って聞かれたら、『ダメ』って言うことにするね」
娘「えっ!?どうして?」
私「許可を取るっていうことは、相手に自分の行動を委ねるっていうことでしょ?それは『ダメ』でも受け入れますっていうことじゃないかな?」
娘「確かにそうだけど…。じゃあお茶を飲みたいときや靴下を脱ぎたいとき、どうしたらいいの?」
私「そうねぇ。これからは、許可を取るんじゃなくて『提案と確認』にしてみたらどうかな?」
娘「提案と確認?」
私「そう!例えば『今から〇〇で遊ぼうと思うんだけど、お出かけの予定はなかったかな?』とか、自分が不安だと思っていることをママに確認してみるの。それだと、ママはあなたが何に不安を感じているかが分かるし、あなたは自分の行動を自分で決めることができるようになると思うの。」
娘「自分で決めるの?」
私「そりゃそうだよ!自分の時間は自分のもの。自分の人生も自分のもの。誰かの許可を取らなきゃ生きていけないなんて、そんなのおかしいよ。自分で考えて行動する。誰かに手伝ってもらったり、予定を変更してもらう時は、それをきちんと確認したり伝えたりする。そうやって、自分の人生は自分の足で歩いて行かなきゃ楽しくないよ!」
娘「そっか!なるべくがんばってみる!」
こうして、わが家では『許可』制度の変わりに、予定の変更を提案したり、自分の選んだ行動で不都合が起きないかの確認をしていくシステムを採用することになりました。
そこで、「許可を取る」という行動を別の行動に置き換えてみることにしました。
私「今度からママは、『〇〇してもいい?』って聞かれたら、『ダメ』って言うことにするね」
娘「えっ!?どうして?」
私「許可を取るっていうことは、相手に自分の行動を委ねるっていうことでしょ?それは『ダメ』でも受け入れますっていうことじゃないかな?」
娘「確かにそうだけど…。じゃあお茶を飲みたいときや靴下を脱ぎたいとき、どうしたらいいの?」
私「そうねぇ。これからは、許可を取るんじゃなくて『提案と確認』にしてみたらどうかな?」
娘「提案と確認?」
私「そう!例えば『今から〇〇で遊ぼうと思うんだけど、お出かけの予定はなかったかな?』とか、自分が不安だと思っていることをママに確認してみるの。それだと、ママはあなたが何に不安を感じているかが分かるし、あなたは自分の行動を自分で決めることができるようになると思うの。」
娘「自分で決めるの?」
私「そりゃそうだよ!自分の時間は自分のもの。自分の人生も自分のもの。誰かの許可を取らなきゃ生きていけないなんて、そんなのおかしいよ。自分で考えて行動する。誰かに手伝ってもらったり、予定を変更してもらう時は、それをきちんと確認したり伝えたりする。そうやって、自分の人生は自分の足で歩いて行かなきゃ楽しくないよ!」
娘「そっか!なるべくがんばってみる!」
こうして、わが家では『許可』制度の変わりに、予定の変更を提案したり、自分の選んだ行動で不都合が起きないかの確認をしていくシステムを採用することになりました。