【偉人の凸凹学】ゴッホの苦難の人生から学ぶ「0か100か」の生きづらさ。もっとラクに生きてゆくには?

ライター:楽々かあさん
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現在、その絵画は値が付けられない価値があり、突出した天才画家・ゴッホですが、その生涯は苦難に満ちたものでした。例えどれだけの才能があろうと、私は我が子には彼のような人生を送って欲しいとは思えないのです。何事にも一途で純粋過ぎると、物事を「0か100か」で考え、自分も他人も追いつめてしまいます。ゴッホの苦しみに満ちた人生から学び取れる事とは…

苦難の人、ゴッホの生涯。純粋過ぎるがゆえに…

こんにちは。『発達障害&グレーゾーンの3兄妹を育てる母のどんな子もぐんぐん伸びる120の子育て法』著者・楽々かあさんこと、大場美鈴です。

今回の「偉人の凸凹学」シリーズは、「ひまわり」などの歴史的な傑作絵画を残した、後期印象派の巨匠・ゴッホです。

皆さんは、ゴッホの人生を知っていますか?

今でこそ、その絵画は、値が付けられない程の価値がありますが、生前、ゴッホの絵が売れたのは1枚だけだったとも言われています(諸説あり)。その才能は幾多の天才の中でも、際立って突出しているように思えますが、ゴッホほど苦しみに満ちた人生を送った画家も少ないのではないかと思います。

中退、失恋、クビ、生涯ニート…挫折の連続

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「ひまわり」1888、ナショナル・ギャラリー蔵
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オランダ出身の画家、フィンセント・ファン・ゴッホは、牧師の父を持ち、6人兄弟の事実上の長男として生まれました。少年時代から、純粋で思い詰めやすく、カッとなりやすい性格でもあったそうです。そのため、対人面でうまくいかないことが多く、学校を中退したり、失恋を繰り返したり、画商や伝道師の仕事をしたものの、クビになってしまうなど、挫折の連続でした。

そして、ゴッホの最大の理解者で画商の、弟テオ(テオドルス)の勧めで画家となったものの絵は売れず、仕送りをしてもらって生涯ニート生活。以後亡くなるまでのわずか約10年間で、1600点の水彩・素描と800点以上の油彩画という、膨大な作品を残したのだそうです。

ゴッホは印象派の画家達との交流や、ジャポニズムの影響なども受けながら、才能を開花させてゆきますが、その絵の価値はなかなか世間に認められませんでした。そして、南仏・アルルでの、友人ゴーギャンとの共同生活はうまくいかず、自らの耳を切り落としたという、有名な「耳切り事件」を起こします。以降、弟の結婚などで不安定になり、発作や錯乱を繰り返し、自ら精神病院に入院し、療養します。

そして、ようやく才能が注目され始めた頃、拳銃で自殺(享年37才)。その半年後、後を追うように、弟のテオも衰弱して亡くなりました。その後、ゴッホの絵画が世間に認められたのは、テオの妻ヨーと、甥フィンセントの尽力があったからと言われています。

こんな、苦難の連続だったゴッホを想うと、私は正直、「うちの子には才能なんてなくてもいいから、ゴッホのような人生は送らないで欲しい」と願ってしまいます。我が子には、死後にどれだけ賞賛を得るよりも、生きてる間に、毎日を幸せに生きて欲しいからです。

私たちが、ゴッホの人生から学べることはなんでしょうか。

完璧主義で、「0か100か」は、生きづらい!

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「耳を切った自画像」1889、コートールド美術研究所蔵
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では、このゴッホの「生きづらさ」の原因はなんだったのでしょうか。
ゴッホが特に対人面でうまく行かなかったのには、私は、次のような理由があるように考えます。

・物事を「0か100か」の両極端で捉え、柔軟になれない考え方
・完璧主義でこだわりが強く、妥協できない考え方
・他人と自分の間に上手な線引きができずに、多くを求め過ぎてしまう考え方

…など。おそらく、ゴッホは生来、真面目で一途な性格の特徴があり、それを挫折と失敗の経験を繰り返すことで、より考え方の偏りを強めてしまったように見受けられます。

例えば、恋愛で思い詰めている時、ゴッホにとっての「女性」は、「その人ただ一人」であり、その唯一の女性から拒否されることは、この世の全ての人から愛を得られないように、感じられたのかもしれません。ですから、フラれても「女の子なんていっぱいいるさ。次いこ、次!」とはならず、相手の家に押しかけて、自傷的な行動で訴えてしまいます。

これでは、男性としての魅力以前の問題で、想いを寄せられた女性は、「ただひたすら重い、逃げ出したい」気持ちになるのではないでしょうか。

また、「耳切り事件」に至ったのも、ゴッホと同じくらい自己主張が強いけれど、性格的には正反対で野性的なゴーギャンとの共同生活の中で、画風や芸術に対するお互いの考え方の違いを認めることができずに、激しい意見の衝突を繰り返して消耗し、思い詰めた行動に出てしまったのだと思います。

「人は人」と要領よく線引きできずに、相手に「自分と同じ」ことを期待し過ぎてしまっていたのかもしれませんね。
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「ジャガイモを食べる人たち」1885、ファン・ゴッホ国立美術館蔵
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でも、ゴッホは、自己中心的な人物かというと、そうではありません。
初期の名作「じゃがいもを食べる人たち」など、農夫や庶民の生活ぶりばかりを描いた多数の絵からは、貧しい暮らしの人々に深く共感した、ゴッホの優しさと、慈愛の目を感じ取ることができます。

決して「人の気持ちが分からない」なんてことはなく、むしろ、他人の苦しみを我がことのように感じる共感力の高さや博愛精神があり、「人の役に立ちたい」気持ちも人一倍強かったように思います。

ところが、そんな長所ですら、裏目に出てしまうのです。キリスト教の伝道師を志していた時のゴッホは、劣悪な環境で働く炭坑夫たちに深く同情し、一緒に炭だらけになり、自分の服すら(下着までも!)分け与えて、文字通り全てを捧げてしまいました。ゴッホは、聖書の教えを真面目に忠実に、実践しただけなのでしょうが、これは「教会の権威を落とす」行為として、伝道師の資格は剥奪されます。

純粋で一途過ぎるが故に、ゴッホは「ほどほど」という考え方ができなかったのです。

では、ゴッホと似たような「生きづらさ」が、我が子や身近な人、あるいは自分自身にある場合、どうしたらもう少しラクに物事を考えられるようになるのでしょうか。

「ほどほど」な考え方を育てる声かけと工夫

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「星月夜」1889、ニューヨーク近代美術館蔵
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ゴッホの絵画の色彩を見ると、代表作「ひまわり」や「星月夜」、「自画像」、「糸杉」など、青と黄や、赤と緑という、補色(反対の色)同士の鮮烈な対比や、明と暗がくっきりとした大胆な構図が見て取れます。

だからこそ、見る人の心に迫る力強さを表現できるでしょうが、ゴッホの「生き方・考え方」という点から見れば、常に2つのものが対立する世界観が象徴されているように思えます。

中間の表現がイメージできる声かけ

このように「0か100か」「白か黒か」という、絶対的な2択の思考は、何事にも完璧主義な人に多く見られます。例え、テストで90点をとっても、間違った10点のほうが気になるタイプです。これは、仕事面では、ゴッホのように完成度の高いものができる長所にもなりますが、対人面では難しさがでてしまいがちです。

こういった考え方を緩めてあげるには、まずは言葉から、「中間の表現」が、イメージできるようにしてゆくといいと思います。

「ちょっと」「大体」「ほぼ」「ほとんど」…など、日常生活には曖昧な表現が溢れていますが、つい「0か100か」で考えてしまう人は、「ちょっとって、一体どれぐらいだろう?」と具体的にイメージできずにいる場合が多いようです。

そんなときは、具体的な数値を入れた声かけなどで、「翻訳」してあげると良いと思います。
たとえば、

・「ちょっとって言うのは、3日くらい待って欲しいって意味だよ」
・「ほとんどって言うのは、90%くらいできてるってことだよ」

といったように、具体的な程度を示します。

また、実際に目の前で

・「大体って言うのは、ここからここまでのことね」

と、線等を引いて、見えるように範囲を示してあげると、分かりやすくなると思います。

鮮烈で力強い色彩が魅力のゴッホですが、もしかしたら、曖昧な中間色のグレーやパステルカラーなどを多用していたら、考え方は、もう少し柔軟になっていたのかもしれませんね(そのときの絵画としての価値は分かりませんが)。

断定的に決めつけない声かけ

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「夜のカフェテラス」1888、クレラー・ミュラー美術館蔵
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次に、「絶対〜すべきだ」「必ず〜しなくてはならない」というような極端で決めつけた表現は、自分自身の思い込みも強めてしまうので、意識的に次のような言葉を使うようにしてみます。

・「私は、多分〜だと思う」
・「私は、なるべく〜したい」
・「私は、できれば〜であって欲しい」

このように、「例外」があることを受け容れる幅を持たせてあげるのです。同時に、「私は」と入れることで、主語を明確にすることも意識してみるといいと思います。

日本人の場合は特に「私は、私は」と、主語を明示する言いまわしは馴染みが薄いかもしれません。ですが、主語を入れることで、その考えがあくまで「自分のもの」だと意識できるので、他の人の考え方との間に線引きをする練習になります。またこれは、こちらがゴッホのようなタイプに接するときにも、あくまで自分の意見であると伝えられるので、不要な対立を防ぐことができるかもしれません。

もしかしたら、こんな風に、ほんの少しだけ、言葉の表現をマイルドにしていれば、仲違いをしてしまったゴッホとゴーギャンも、もうちょっと、うまくいったかもしれませんね。

できてるところに気づかせる声かけ

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「カラスのいる麦畑」1890、ファン・ゴッホ国立美術館蔵
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そして、誰でも挫折や失敗を繰り返していれば、どうしても自信をなくしてしまいます。

自信をなくすと、余裕がなくなり、ますます他人の意見を受け容れる柔軟さが持てなくなったり、「次は失敗できない」と、自分自身にプレッシャーをかけて、不安感から思い込みを強めてしまいがちです。

もしも私が、ゴッホの身近な人物だったら、「できているところに気づかせる」声かけなどをしていたかもしれません(ひょっとしたら、弟テオも実践済みだったかもしれませんが…)。

・「結果的には残念だったけれど、こういった成果があったよね」
・「(あなたは)失敗だと言うけれど、ここまではできているよね」

…というように、結果や部分ではなく、物事をトータルで全体的に捉えられるように、気づかせてあげるといいと思います。

また、
・「Aという選択には、こんな良い点があるが、こんなデメリットもある」
・「AとB以外にも、Cという選択もあるし、A+Bという方法もある」

…と、「0か100か」の絶対的な2択にせず、複数の選択肢や、折衷案の提示などをしてあげると、物事を両面から見たり、多角的に捉えたりできるようになるかもしれません。また、他人に言われると納得できないことも、自分でメリット、デメリットを一覧表に書き出して点数などをつけて、比較検討する習慣などもいいと思います。

実際、この後の時代の天才画家ピカソは、ゴッホと同じく突出した才能がありながら、画風の数々の変遷やキュビズムの表現に見られるように、物事を多角的に捉え、違った価値観を受け容れる柔軟さがあったようです。それにより少し要領よく世渡りし、生きてるうちに経済的にも成功し、女性にもモテ、91才まで長生きしたようです(でも、個人的には、私はピカソよりゴッホの絵のほうに、惹かれますが…)。
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