発達障害の息子を抱え、本を読み漁ったあの日――今、読み返して気づく、私の成長

ライター:林真紀
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数年前は目を皿のようにして読んでいた、発達障害のある子の育児本。ところが、今読んでみると、以前とは別の感慨がありました。不思議なことに、読みながら、懐かしく、笑みさえこぼれてくるのです。

それは、発達障害のある息子の育児に悩んだあのころが、まるで「物語」のように思えたから。

発達障害の本を積み上げた、あのころ

息子が発達障害と分かってから、買い漁った”発達障害のある子の子育てハウツー本”。わが家には山のようにハウツー本が積み上げられており、書き込みや付箋でいっぱいです。

息子の特性に右往左往していた幼児期、ハウツー本には本当に救われました。解決法が見えない困ったことが起きても、本を読めば必ず解決法は見つかる!と気持ちを強く持つことができたからです。

そういえば、最近すっかり発達障害児関連の本を読まなくなったなあ…と思い、久しぶりに話題の本をいくつか読んでみることにしたのです。そこで手に取ったのが、『赤ちゃん~学童期 発達障害の子どもの心がわかる本』(主婦の友社)。
赤ちゃん~学童期 発達障害の子どもの心がわかる本
笠原 麻里 (監修)
主婦の友社
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この本をパラパラと読み始めてすぐに、私は「そうだったそうだった」と息子が小さいころを懐かしく思い返しました。

言葉の遅れはないのに、会話は一方的。独特の大人びた口調で、まるでニュースのキャスターのような話し方をしていたり、出かければすれ違う人に「あの人太っているね!!」と指を差して大声で言ってしまい、殴られかけたり…。泥水に足が浸かっただけで、「足が気持ち悪い」とパニックになり、大泣きして止まらなかったことも。

「なんで?どうしてなの?君は何を考えているの?何が辛いの?」

パニックになって大泣きする息子の側で、ぐったりと膝を抱えていた私。息子の行動の一つひとつに、ちゃんと理由があったのだなあと、この本を読みながら改めて気づいたのです。本を読むと、自閉症スペクトラム障害の子どもの行動の意味を、子どもの側に立って理解できるようになります。そして、特性は「治す」ものではなく「寄り添う」ものだということを、教えてくれています。

実は、この本の感想をこうしてしたためるのに、大変な時間がかかってしまいました。書こうとしても書こうとしても書けないのです。すごい有用な情報が載っているなあ、そうそう、息子もこんなだったなあと思いましたが、やはり「感想」が書けないのです。

なぜだろう、と思いながら読み続けていて、ふと気づきました。

私はまるで、「物語」を読むような気持ちでこの本を読んでいたのです。

息子の成長を楽しむ

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2歳のころの息子。ミニカーを並べて、寝っ転がってタイヤを眺めていました。
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息子が発達障害だと診断を受けたのは3歳のころ。幼稚園に入園する直前でした。3歳とは思えないほど難しい言葉を使う子だったし、ニコニコと愛嬌があるタイプだったため、発達障害と言われても周囲は「??」という感じでした。

けれども当時、私は連日の息子の癇癪とこだわりの強さや偏食に、毎日途方に暮れていました。息子は可愛かったけれど、育児は常に不安がベースにありました。幼稚園入園にあたっても、あれもこれもできないんじゃないだろうか…と不安ばかりが頭にありました。

息子の多動が酷かったために家の外に出るのも面倒で、毎日のように発達障害についての本やネット情報を読み漁っていたものです。

将来に希望は持てませんでした。他の子とうまくやっていけるのか、小学校に入るまでに座って勉強ができるようになるか、大人になって普通に就職できるのか…。ごくごく当たり前に子どもの成長を願うその時期に、私は目の前の不安で押しつぶされていました。

息子の困り感や特性の強弱は、成長と共に次々と移り変わっていきました。さまざまな工夫により目立たなくなってきたと思えば、今度は新しい問題が出てきたり。それに必死に対処したり支援したりしているうちに、気づいたら本人がそれを克服する力をつけていたり。とにかく、息子も私も「今この瞬間」だけを見て生きてきたのでした。

そうしているうちに、幼少期のころの「なんで?どうしてなの?」という行動は減ってきていました。

そして、息子への育児は「不安」ベースではなく、「楽しみ」ベースになってきていることに気づきました。これは、大きな変化だったと思います。

「今この瞬間」が、いつか「物語」になる

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保育園の運動会で。メダルを首にかけようとしたらパニックになりました。
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そうして、目の前の育児に走り抜けた日々。息子は今、8歳になりました。

あのころ悩んでいたいろいろな特性は、療育や成長のおかげで、息子自身でコントロールすることができるようになっています。癇癪を起こすこともなくなりました。イライラしやすいところはありますが、自分でちゃんとそれを周りに訴えることができます。また、触覚過敏や味覚過敏についても、「無理はしない」というスタンスでお互いいるため、特別悩んだことはありません。

「無理はしない。でも頑張れるところは頑張る」という感じです。

ああ、息子可愛い、とやっと余裕を持って思えるようになりました。最近頭を巡らすのは、学習のこと、そして、友達関係のこと。実際、不安が強すぎたり、お友達とのコミュニケーションがうまくいかず、登下校で介入が必要だったときが何度もあったり、幼少期にはなかった課題も次々に出てきますが、息子と一緒に試行錯誤しながら、丁寧につき合っていっています。
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3歳のころ。等間隔に物を並べることへのこだわりが強かった。
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これからも、育児は続いていきます。でも、私にとって「もうお先真っ暗」「疲れて明日のことも考えられない」というような状態は、終わりました。毎日毎日息子の行動の課題や特性に悩まされ、他の子どもと比べて絶望感に打ちひしがれるような日々も、終わりました。

だから、久しぶりに発達障害のある子の育児本を読んだとき、私には一つの「物語」に思えたのです。当時はあまりに必死過ぎて、過去も未来も私にはなかったのに、息子幼少期の育児は、今「物語」になっていたのでした。

振り返ってみると、療育はとても楽しかった、幼稚園での支援は本当に有り難かった、たくさんの資料と本に埋もれての学びも多かった。でも…もう少し長い目で見て、肩の力を抜いて育児をすれば良かった。「物語」として受け止められるようになった今、さまざまな思いが去来します。

苦しく、必死で、未来が見えないとしても、やがてそんな日々は「物語」になっていくのだと、私はつくづく感じたのです。改めて、先が見えなくても、足元を見ながら前に進んで行こうと勇気づけられたのでした。

こうしたハウツー本のなかには「親ができること・するべきこと」についての記述がたくさんあります。それを知ることはとても大切なこと。でも、今こうして息子と過ごした日々を振り返りながら、発達障害のある子を育てるうえで、「親ができないこと・他人に頼るべきこと」についても、フォーカスしてほしいと思います。全部背負い込んで、疲れ果てていた自分のようにならないように。
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