兄弟全員、発達障害。私たちがとても「仲がいい」ワケは、両親の育て方にあった…!?
ライター:凸庵(とつあん)
私には2つ年の離れた兄と3つ年の離れた弟がいます。いままで特に意識したことはありませんでしたが、社会人になってからさまざまな人と話す中でどうも私たち兄弟はかなり仲が良いのではないかと思いうようになりました。
兄は典型的なアスペルガー気質、弟はADHDと診断済み。私も20代後半でアスペルガー症候群とADHDと診断されています。
今回はそんな"発達兄弟"の私たちが、なぜ仲が良いのかを回想してみたいと思います。
これって普通じゃないの?社会人になってから気づいた兄弟仲の良さ
先日、突然弟から連絡がありました。弟は昔から自分が好きなことに周りを巻き込んで楽しむタイプで、今回も急に何かを思いついて私に連絡してきたようでした。よくよく話を聞いてみると、近いうちに兄の誕生日があるので、それに合わせてプレゼントを贈りたい!ということでした。
兄は流行りものにはまったく興味がなく自分が好きなことに黙々と取り組むタイプだったので、プレゼントの選定はかなり迷いました。いろいろと話し合った結果、私も弟もワインが好きだったので「兄にもワインを好きになってもらおう!」ということになりました。そして私はワイングラスとソムリエナイフを、弟はワインをそれぞれ購入してプレゼントしました。
兄は突然送られてきたプレゼントに驚いたようですが、後日「おいしく飲んだよ」という連絡をくれました。
そんなことを会社の同僚に話してみたところ「きみの兄弟はずいぶん仲がいいんだねぇ。私なんてもうずいぶんプレゼントなんて贈っていないし、たまに帰省したときに顔をあわせてもお互い好きなように過ごしているよ」と言われました。
それほど特別なことをやっていたつもりはなかったのでかなり驚きました。これまで特段に仲が良いと思ったことがなかったのですが、今のような私たちの関係ができたのは「人と比較されないで育った」ことがポイントだったのではないかと思い始めてきました。
兄は流行りものにはまったく興味がなく自分が好きなことに黙々と取り組むタイプだったので、プレゼントの選定はかなり迷いました。いろいろと話し合った結果、私も弟もワインが好きだったので「兄にもワインを好きになってもらおう!」ということになりました。そして私はワイングラスとソムリエナイフを、弟はワインをそれぞれ購入してプレゼントしました。
兄は突然送られてきたプレゼントに驚いたようですが、後日「おいしく飲んだよ」という連絡をくれました。
そんなことを会社の同僚に話してみたところ「きみの兄弟はずいぶん仲がいいんだねぇ。私なんてもうずいぶんプレゼントなんて贈っていないし、たまに帰省したときに顔をあわせてもお互い好きなように過ごしているよ」と言われました。
それほど特別なことをやっていたつもりはなかったのでかなり驚きました。これまで特段に仲が良いと思ったことがなかったのですが、今のような私たちの関係ができたのは「人と比較されないで育った」ことがポイントだったのではないかと思い始めてきました。
「周りの子と比べてこの子は…」と言われなかった環境
私の実家は新興の住宅街だったので、近所には同年代の子どもがたくさん住んでいました。
運動が得意な子や勉強が得意な子などいろいろな子がいましたが、両親は「その子たちと比べてうちの子は…」ということはまったく言いませんでした。
例えば、私が小学生で不登校になったころ、両親はきっと「どうしてうちの子だけ学校にいけないんだろう」と何回も思っんじゃないかなあと今も想像します。ですが、実際にそういうことを言われたことは一度もなかったのです。また、「兄弟がちゃんと登校してるのになんでお前はできないんだ!」と兄弟を引き合いに出すこともありませんでした。
ところが何回か「兄弟全員がそろって登校するところを見てみたいなぁ…」と言われたことはありました。それを受けて、数日だけ登校した記憶があります。その日の夜は両親とも、とてもうれしそうでした。もちろん学校に行くことは当時の私にはとても強いプレッシャーでした。でも、人と比べられている訳ではなかったので、行ってみようという気になったのかもしれません。
運動が得意な子や勉強が得意な子などいろいろな子がいましたが、両親は「その子たちと比べてうちの子は…」ということはまったく言いませんでした。
例えば、私が小学生で不登校になったころ、両親はきっと「どうしてうちの子だけ学校にいけないんだろう」と何回も思っんじゃないかなあと今も想像します。ですが、実際にそういうことを言われたことは一度もなかったのです。また、「兄弟がちゃんと登校してるのになんでお前はできないんだ!」と兄弟を引き合いに出すこともありませんでした。
ところが何回か「兄弟全員がそろって登校するところを見てみたいなぁ…」と言われたことはありました。それを受けて、数日だけ登校した記憶があります。その日の夜は両親とも、とてもうれしそうでした。もちろん学校に行くことは当時の私にはとても強いプレッシャーでした。でも、人と比べられている訳ではなかったので、行ってみようという気になったのかもしれません。
耳が痛い忠告をしてくれた両親
高専に入ったとき、私はとにかく自分が好きなプログラミングだけに夢中になっていました。将来のために何か資格を取ろうなんていう気もさらさらありませんでした。
一方で、兄は高校に通う間に10以上の資格を取っていました。ここでも両親は「お前は資格とらないんだ?お兄ちゃんはいっぱいとってるよ!」という話はまったくしてきません。その代わり、成人してから数十の資格を取った父から「大人になってから資格を取るのはとても難しいから、今のうちに取っておいたほうがいいよ」と言われました。
苦労した経験がある父からそう言われたことで、私は少し危機感を持ちました。おかげで、すぐに資格勉強にも取り組むようなったのです。その結果、卒業するまでに情報系の国家資格をいくつか取ることができました。
弟が同じ高専に入ってから1年目にして留年しそうになったこともありますが、やはり両親は私と比べたりはしませんでした。とは言え、留年しそうな状況を簡単に認めるのではなく「留年した分まで学費を払うのはうちの家計では難しいよ」という忠告をしていました。(この顛末は以前コラムにも書かせていただきました)
両親の私たちへの接し方は、誰かと比較することで「負けず嫌い」な気持ちを刺激したり、やる気を出させようというのとはちょっと違います。自分たちがかつての経験から得た教訓のようなものや、私たちが置かれている状況がどうなのかを教えてくれていました。そして3人の息子に同じように接してくれていたのは、私たちの兄弟関係にも良い影響があったのではないかなと考えています。
一方で、兄は高校に通う間に10以上の資格を取っていました。ここでも両親は「お前は資格とらないんだ?お兄ちゃんはいっぱいとってるよ!」という話はまったくしてきません。その代わり、成人してから数十の資格を取った父から「大人になってから資格を取るのはとても難しいから、今のうちに取っておいたほうがいいよ」と言われました。
苦労した経験がある父からそう言われたことで、私は少し危機感を持ちました。おかげで、すぐに資格勉強にも取り組むようなったのです。その結果、卒業するまでに情報系の国家資格をいくつか取ることができました。
弟が同じ高専に入ってから1年目にして留年しそうになったこともありますが、やはり両親は私と比べたりはしませんでした。とは言え、留年しそうな状況を簡単に認めるのではなく「留年した分まで学費を払うのはうちの家計では難しいよ」という忠告をしていました。(この顛末は以前コラムにも書かせていただきました)
両親の私たちへの接し方は、誰かと比較することで「負けず嫌い」な気持ちを刺激したり、やる気を出させようというのとはちょっと違います。自分たちがかつての経験から得た教訓のようなものや、私たちが置かれている状況がどうなのかを教えてくれていました。そして3人の息子に同じように接してくれていたのは、私たちの兄弟関係にも良い影響があったのではないかなと考えています。
「落ちるところまで落ちてみる」!留年の危機までとことん勉強しない、私と弟の実験