大切なひとの「死にたい」に何ができるのか。その言葉の背景まで思いを至らせて――20代で自殺未遂を重ねながら生き永らえた私が心に誓うこと
ライター:鈴木希望
「死にたいと口にするのは生きたい気持ちの裏返し」とは、よく見聞きする言説である。確かにそうかもしれない。しかし、同じくよく見聞きする、「そう言う人間に限って絶対に死なない」というのは、果たして本当なのだろうか。もし大切な誰かが、そういう言葉を発したら、私ならどうしたいのか。なにができるのか。
かつては「死にたい」と繰り返し、44歳の現在まで生き永らえている私自身の経験に基づく考えを述べる。
春になると思い出す、言葉にできない生きづらさを抱えていた幼なじみの存在
3月になると、私はある大切な人の存在を思い出す。
保育園から小学校、中学校で学び舎を共にした、幼なじみでもある3月生まれの友人だ。名前を仮に「T」とする。
ADHD(注意欠如多動性障害)やASD(自閉症スペクトラム障害)のような傾向があったTと、後にADHD傾向のあるASDとの診断を受ける私は、共に「扱いにくい、変わり者の生徒」との対応を、多くの教師から受けており、理不尽に煙たがられていた。当時は言語にできなかった「生きづらさ」を抱え、それを共有できることも、Tと私の距離を縮めたのかもしれない。気をつけていても失敗が絶えないこと、場の空気に合わせた言動を選んだつもりなのに、自分が周囲から浮いていると感じられて苦しい、変人扱いされるのが悲しい、などとよく話していた。しかし、「発達障害」という概念さえ知らなかった、田舎に住まう30年前の女子中学生が、解決手段を見つけ出すことなどできようか。「どうしたらいいんだろうね…」とため息をつくばかりであったが、「自分の苦しみを理解してくれている人がいる」という事実は、私の心の支えとなっていた。
中学校卒業間近になった頃、どんなタイミングであったかは忘れてしまったが、Tが「死にたいと思ったことはある?」と質問してきた。
「あるよ。しょっちゅう。死にたいというか、自分をなかったことにしたいような」
同級生からのいじめや、教師からの吊し上げも経験した私は、素直に答えた。すると、Tは安堵したような表情を浮かべた。
「ああ、あるんだ。そうか」
「そういうこと言うな!とか怒られそうだから言わないようにしてるけど」
「同じだ。私も思っていたとしても黙ってた。でも、思っちゃうのは仕方ないよね」
「うん、仕方ない仕方ない。思いたくなくても思っちゃうんだもん」
自分の存在の重みなんて紙以下だと思っていたこの頃の私には、Tの質問を受けても深刻にならなかった、と申すべきか、「そうか、君もか」という、T同様、安堵に近い心理状態であった。
もしかしたら、この時Tはすでに追い詰められていたのかもしれない。しかし、自分のことで精一杯だった私は気づくことができなかった。
これも3月、彼女の誕生日を間近に控えた時であったと記憶している。
保育園から小学校、中学校で学び舎を共にした、幼なじみでもある3月生まれの友人だ。名前を仮に「T」とする。
ADHD(注意欠如多動性障害)やASD(自閉症スペクトラム障害)のような傾向があったTと、後にADHD傾向のあるASDとの診断を受ける私は、共に「扱いにくい、変わり者の生徒」との対応を、多くの教師から受けており、理不尽に煙たがられていた。当時は言語にできなかった「生きづらさ」を抱え、それを共有できることも、Tと私の距離を縮めたのかもしれない。気をつけていても失敗が絶えないこと、場の空気に合わせた言動を選んだつもりなのに、自分が周囲から浮いていると感じられて苦しい、変人扱いされるのが悲しい、などとよく話していた。しかし、「発達障害」という概念さえ知らなかった、田舎に住まう30年前の女子中学生が、解決手段を見つけ出すことなどできようか。「どうしたらいいんだろうね…」とため息をつくばかりであったが、「自分の苦しみを理解してくれている人がいる」という事実は、私の心の支えとなっていた。
中学校卒業間近になった頃、どんなタイミングであったかは忘れてしまったが、Tが「死にたいと思ったことはある?」と質問してきた。
「あるよ。しょっちゅう。死にたいというか、自分をなかったことにしたいような」
同級生からのいじめや、教師からの吊し上げも経験した私は、素直に答えた。すると、Tは安堵したような表情を浮かべた。
「ああ、あるんだ。そうか」
「そういうこと言うな!とか怒られそうだから言わないようにしてるけど」
「同じだ。私も思っていたとしても黙ってた。でも、思っちゃうのは仕方ないよね」
「うん、仕方ない仕方ない。思いたくなくても思っちゃうんだもん」
自分の存在の重みなんて紙以下だと思っていたこの頃の私には、Tの質問を受けても深刻にならなかった、と申すべきか、「そうか、君もか」という、T同様、安堵に近い心理状態であった。
もしかしたら、この時Tはすでに追い詰められていたのかもしれない。しかし、自分のことで精一杯だった私は気づくことができなかった。
これも3月、彼女の誕生日を間近に控えた時であったと記憶している。
「吐き出すことさえ許されないの⁉」――電話の向こうで泣きじゃくる幼なじみ。その時私は。その後、彼女は…
卒業後、Tと私は別々の高校に進学。Tは卒業後、県外の専門学校に進み、私は高校を中途退学して働き始めた。その後、私が新潟を離れて生活するようになると、入れ違いのかたちでTが新潟に戻った。進学先で身心のバランスを崩したため、実家で療養、精神科などに通院するのだと教えてくれた。あらぬ誤解を避けたいので、彼女の診断名は伏せる。私は私で季節性のうつを発症し、やはり精神科に通っていた。
ここに至るまでも、交流は続いていた。月に何度かの手紙の交換や電話、私が帰省した折や、彼女が私の暮らすまちまで出向いてくれた時に対面できる程度ではあったが、まだまだインターネットが普及していなかったという背景を考えると、頻繁だったように思える。家と病院の往復生活で人と会う機会が少なかったTと、やはりなかなか人とは会えない生活をしていた私は、双方が地元で暮らしていた頃以上に親密度を増していた。「死にたくなることがある」というようなことを吐き出すこともあったが、お互いに騒ぎ立てることはなく、お互いに話を聞き、最後にはいつでも笑いながら話を終わらせていた。
ところがある日のTは、電話の向こうで泣きじゃくっている。そして、「死にたい、死にたい」と繰り返すのだ。一進一退を繰り返しつつも、希死念慮と戦っていることを、彼女は私に教えてくれた。当然私はTには生きていてほしい。でも、今以上に未熟だった20代の私は、かけるべき言葉を見つけられず、「落ち着け!まず落ち着け!」ばかりを繰り返していた気がする。「うん、うん」と、絞り出すように相づちを打ち、少し落ち着いてからTは、途切れ途切れになりつつも、私に訴えた。
「私が“死にたい、消えてなくなりたい”、って言うと、“そんな悲しいことを言わないでほしい”って返ってくるんだけどさ…私だって、死にたいとか思わなくて済むようになりたいよ。誰かを悲しませることなんて言いたくないよ。でもそういう気持ちが浮かんでしまうし、黙っていると苦しくて…。でも、“そんな悲しいことを言わないでほしい”って言われたら、吐き出すことさえ許されないのか、ってますます苦しくなるし、死にたくなる…。どうしたらいいのか分からない、すべての感情をなくしてしまいたいよ…」
苦しみを訴えるTに「そんな悲しいことを言わないで」と伝えた人は、彼女を大切に思い、共に生きていきたいからこそ、その言葉を選んだのだろう。しかしTは、吐き出す口を封じられたように感じられてしまったのだ。私だってTには生きていてほしい。でも、彼女の気持ちは否定したくない。私は「生きていてほしい。でも気持ちは分かるんだよ」というようなことを繰り返すしかできず、どういう過程で彼女が冷静さを取り戻したのか一切覚えていないのだが、「また連絡するね!」という元気なTの声を聞いて終話した直後、脱力した記憶がある。
以後も彼女が泣きじゃくりながら、あるいは沈み切った声で電話をかけてくることはしばしばあったが、おおむね穏やかな交流は続いていた。そしてある日、「臨時収入が入ったし時間が取れそうだから、近々希望ちゃんのところに遊びに行っていい?」という申し出があった。当時の私は初めての結婚生活を送っていたのだが、配偶者もTとは面識があり、互いに友人と認識している関係であったため、夫婦揃って歓待の構えであった。
「じゃあ、詳しい日程が決まったら連絡するね!」
明るくはずんだ声だった。それなのに。
数日後、私の携帯電話に、Tの番号から着信があった。こちらに来る日程が決まったのかとニヤニヤしながら受話した私の耳に響いたのは、彼女のご家族の声だった。
死にたい気持ちに襲われ、言葉にしながらも、必死で生きる理由を模索していたTは、唐突に自らの生を終わりへと導いた。
ここに至るまでも、交流は続いていた。月に何度かの手紙の交換や電話、私が帰省した折や、彼女が私の暮らすまちまで出向いてくれた時に対面できる程度ではあったが、まだまだインターネットが普及していなかったという背景を考えると、頻繁だったように思える。家と病院の往復生活で人と会う機会が少なかったTと、やはりなかなか人とは会えない生活をしていた私は、双方が地元で暮らしていた頃以上に親密度を増していた。「死にたくなることがある」というようなことを吐き出すこともあったが、お互いに騒ぎ立てることはなく、お互いに話を聞き、最後にはいつでも笑いながら話を終わらせていた。
ところがある日のTは、電話の向こうで泣きじゃくっている。そして、「死にたい、死にたい」と繰り返すのだ。一進一退を繰り返しつつも、希死念慮と戦っていることを、彼女は私に教えてくれた。当然私はTには生きていてほしい。でも、今以上に未熟だった20代の私は、かけるべき言葉を見つけられず、「落ち着け!まず落ち着け!」ばかりを繰り返していた気がする。「うん、うん」と、絞り出すように相づちを打ち、少し落ち着いてからTは、途切れ途切れになりつつも、私に訴えた。
「私が“死にたい、消えてなくなりたい”、って言うと、“そんな悲しいことを言わないでほしい”って返ってくるんだけどさ…私だって、死にたいとか思わなくて済むようになりたいよ。誰かを悲しませることなんて言いたくないよ。でもそういう気持ちが浮かんでしまうし、黙っていると苦しくて…。でも、“そんな悲しいことを言わないでほしい”って言われたら、吐き出すことさえ許されないのか、ってますます苦しくなるし、死にたくなる…。どうしたらいいのか分からない、すべての感情をなくしてしまいたいよ…」
苦しみを訴えるTに「そんな悲しいことを言わないで」と伝えた人は、彼女を大切に思い、共に生きていきたいからこそ、その言葉を選んだのだろう。しかしTは、吐き出す口を封じられたように感じられてしまったのだ。私だってTには生きていてほしい。でも、彼女の気持ちは否定したくない。私は「生きていてほしい。でも気持ちは分かるんだよ」というようなことを繰り返すしかできず、どういう過程で彼女が冷静さを取り戻したのか一切覚えていないのだが、「また連絡するね!」という元気なTの声を聞いて終話した直後、脱力した記憶がある。
以後も彼女が泣きじゃくりながら、あるいは沈み切った声で電話をかけてくることはしばしばあったが、おおむね穏やかな交流は続いていた。そしてある日、「臨時収入が入ったし時間が取れそうだから、近々希望ちゃんのところに遊びに行っていい?」という申し出があった。当時の私は初めての結婚生活を送っていたのだが、配偶者もTとは面識があり、互いに友人と認識している関係であったため、夫婦揃って歓待の構えであった。
「じゃあ、詳しい日程が決まったら連絡するね!」
明るくはずんだ声だった。それなのに。
数日後、私の携帯電話に、Tの番号から着信があった。こちらに来る日程が決まったのかとニヤニヤしながら受話した私の耳に響いたのは、彼女のご家族の声だった。
死にたい気持ちに襲われ、言葉にしながらも、必死で生きる理由を模索していたTは、唐突に自らの生を終わりへと導いた。
希死念慮を打ち明けることは「かまってちゃん」的行動なのか?
少し前、とある著名人の言葉がSNSを駆け巡った。
【「死にたい」という友人からのメールに、自分はこう返信した、「死にたいというのは、生きたい気持ちの裏返し。わざわざ周りにそんなことを訴えるのは、生きたい気持ちを確認しているだけ。だから君は絶対死なない」と】
文面は変えてあるが、上記のような内容だった。正直、げんなりするくらいに見聞きしている言説である。
この投稿は、「まさにその通りだ」という絶賛と共に拡散されたが、同時に「その言葉を本人に向けるのはいただけない」という批判も多く、たちまち炎上した。
「死にたいというのは、生きたい気持ちの裏返し」というのは分かる。もう少し細かく言えば、「死にたいほどに現状が辛いが、この苦しみが和らぐのならば生きていたい」というのが私の知っている感覚だし、Tの一件から、「死にたいとわざわざ口にする人間に限って死なない」なんてことはないと痛感した。
「死にたいと口にして、実際死を選んだ人はもうこの世にいないから、死にたいと口にして死を選んだ人がいない、もしくはごく少数に見えるだけ」というような意見をどこかで目にして、その通りだと私はうなずいたものだ。まさに「死人に口なし」、語るすべのない人の話は聞くことができない。そして私は、自分が生きてこられたのはたまたま、ほんのちょっとの偶然で「死ぬ」という選択をせずにいられただけだと思っている。
だから私も、先述の投稿には首をかしげざるを得なかった。
話は変わるが、Tの逝去から数年後に、私は2度目の結婚生活をスタートさせ、夫からのDVを受ける羽目に陥った。DVを受けているという自覚がないため周囲に助けを求めることができず自責を繰り返し、身心共に衰弱。通勤途中や帰路、無意識のうちに駅の線路へと身を投げようとして、見知らぬ方々に羽交い絞めにされて正気に戻る、ということが日常と化した。さすがにまずい、どうするべきかと友人に相談したところ、戻ってきたのは「そうやって死を掲げて同情を引こうとするのはやめろ」という言葉だった。
今なら分かる。詳しい事情も知らされずに「無意識の自殺未遂が日常化していて…」などと相談されたら困惑するだろう、無理もない。しかし当時の私には相手の気持ちを慮る余裕がなく、「私は苦しみを吐き出すことも許されない人間なのか」とさらにふさぎ込み、亡きTへと思いを馳せていた。
さて、このような行為は「かまってちゃんの困った大げさ行動」のように捉えられがちだが、果たしてすべてそうだと判断しても良いのだろうか。精神科医の松本俊彦氏は、自傷について下記の見解を記している。
【「死にたい」という友人からのメールに、自分はこう返信した、「死にたいというのは、生きたい気持ちの裏返し。わざわざ周りにそんなことを訴えるのは、生きたい気持ちを確認しているだけ。だから君は絶対死なない」と】
文面は変えてあるが、上記のような内容だった。正直、げんなりするくらいに見聞きしている言説である。
この投稿は、「まさにその通りだ」という絶賛と共に拡散されたが、同時に「その言葉を本人に向けるのはいただけない」という批判も多く、たちまち炎上した。
「死にたいというのは、生きたい気持ちの裏返し」というのは分かる。もう少し細かく言えば、「死にたいほどに現状が辛いが、この苦しみが和らぐのならば生きていたい」というのが私の知っている感覚だし、Tの一件から、「死にたいとわざわざ口にする人間に限って死なない」なんてことはないと痛感した。
「死にたいと口にして、実際死を選んだ人はもうこの世にいないから、死にたいと口にして死を選んだ人がいない、もしくはごく少数に見えるだけ」というような意見をどこかで目にして、その通りだと私はうなずいたものだ。まさに「死人に口なし」、語るすべのない人の話は聞くことができない。そして私は、自分が生きてこられたのはたまたま、ほんのちょっとの偶然で「死ぬ」という選択をせずにいられただけだと思っている。
だから私も、先述の投稿には首をかしげざるを得なかった。
話は変わるが、Tの逝去から数年後に、私は2度目の結婚生活をスタートさせ、夫からのDVを受ける羽目に陥った。DVを受けているという自覚がないため周囲に助けを求めることができず自責を繰り返し、身心共に衰弱。通勤途中や帰路、無意識のうちに駅の線路へと身を投げようとして、見知らぬ方々に羽交い絞めにされて正気に戻る、ということが日常と化した。さすがにまずい、どうするべきかと友人に相談したところ、戻ってきたのは「そうやって死を掲げて同情を引こうとするのはやめろ」という言葉だった。
今なら分かる。詳しい事情も知らされずに「無意識の自殺未遂が日常化していて…」などと相談されたら困惑するだろう、無理もない。しかし当時の私には相手の気持ちを慮る余裕がなく、「私は苦しみを吐き出すことも許されない人間なのか」とさらにふさぎ込み、亡きTへと思いを馳せていた。
さて、このような行為は「かまってちゃんの困った大げさ行動」のように捉えられがちだが、果たしてすべてそうだと判断しても良いのだろうか。精神科医の松本俊彦氏は、自傷について下記の見解を記している。
自傷ほど誤解されることの多い行動もありません。大人たちはともすれば、「甘えている」、「弱い」、「人の気を惹こうとしている」と捉えがちですが、それは違います。じつは自傷の多くは、怒りや不安、絶望感といったつらい感情をやわらげるために行われます。自傷を繰り返す子どもの96パーセントは、ひとりきりの状況で自傷におよび、そのことを誰にも告げないこともわかっています。つまり、自傷とは、周囲の関心を惹くのとは正反対で、むしろ困難な状況において独力で生き延びるための行動なのです。
なぜ彼らは人に助けを求めないのでしょうか? おそらくその子の周囲には、「この人ならば信頼できる」と感じることができる大人がいないか、あるいは、その子が自分のことを「価値がない存在、生まれてこないほうがよかった人間」と考えていて、「こんな自分のために忙しい大人の手を煩わせてはいけない」と考えているのでしょう。もしかすると、かつて勇気を出して大人に助けを求めたものの、「つらい状況は何も解決しなかった」、「もっとひどい目にあった」という体験をしている可能性もあります。
「「誕生学」でいのちの大切さがわかる?」『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(松本俊彦、姜昌功、ほか/星海社新書)P149より
タイトル通り、子どもを守るためのアドバイスがつづられた本なので、「子ども」を苦しみの渦中にいる人、「大人」を苦しみを打ち明けられた人に置き換えて読んでほしい。Tも私も自傷の経験はないが、【勇気を出して助けを求めたものの、つらい状況は何も解決しなかった】体験があり、自殺未遂を繰り返した末に彼女は自らの生涯にピリオドを打ち、私はどうにか生き永らえた。
そして「死にたい」と口にする心理についても説明がなされていた。
そして「死にたい」と口にする心理についても説明がなされていた。
「死ぬ」、「死にたい」と言った場合はどうでしょうか。口にしてはいけないと禁止すべきでしょうか? まさか。そもそも、心の中が100パーセント、「死にたい」気持ちで埋め尽くされていたならば、わざわざ誰かに伝えたりせずに黙って行動に移します。言い換えれば、誰かに「死にたい」と告げるのは、「死にたいくらいつらいけど、もしもそのつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい」という気持ちがあるからです。だから私たちは、その発言を子どもからのSOSとして捉えなければなりません。
「「誕生学」でいのちの大切さがわかる?」『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』(松本俊彦、姜昌功、ほか/星海社新書)P155より
DVを奮う夫から逃げての帰郷後、私は【死にたいくらいつらいけど、もしもそのつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい】という自分の気持ちと向き合う体験をすることになる。
PTSD様の症状から、精神科での治療を始めたばかりの頃、「つらい思いが浮かんだら、それを紙に書く」というワークを、当時の主治医から勧められた。「死にたい」「消えてなくなりたい」などと頭に浮かんだら、そのまま紙に書く。誰かに読ませることなど意識せず、考えず、ひたすら書く。しばらく続けていたところ、いつの間にか「生きたい」「生きたい」「生きたい」と、嗚咽しながら、自分ですら読めないような文字で書きなぐっている自分がいたのだ。「死にたい」「消えてなくなりたい」と思うたび、本当は生きたい自分がいることに気づかされた。何度も何度も、繰り返し。
(※上記は個人の体験であり、誰にでも有用かつ無害なワークであると保証するものではありません。お試しになる場合、精神科医や臨床心理士など、身近な医療従事者にご相談ください)
私はこの体験によって【死にたいくらいつらいけど、もしもそのつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい】という心の奥底にある思いを知ることができた。しかし、「死にたいというのは、生きたい気持ちの裏返し。わざわざ周りにそんなことを訴えるのは、生きたい気持ちを確認しているだけ。だから君は絶対死なない」と第三者に言われたら、受け入れることができただろうか? おそらく、無意識での自殺未遂を繰り返していたあの頃のように、泣きじゃくりながら私に電話をくれたTのように「私は苦しみを吐き出すことも許されない人間なのか」とふさぎ込んでいたように思える。
PTSD様の症状から、精神科での治療を始めたばかりの頃、「つらい思いが浮かんだら、それを紙に書く」というワークを、当時の主治医から勧められた。「死にたい」「消えてなくなりたい」などと頭に浮かんだら、そのまま紙に書く。誰かに読ませることなど意識せず、考えず、ひたすら書く。しばらく続けていたところ、いつの間にか「生きたい」「生きたい」「生きたい」と、嗚咽しながら、自分ですら読めないような文字で書きなぐっている自分がいたのだ。「死にたい」「消えてなくなりたい」と思うたび、本当は生きたい自分がいることに気づかされた。何度も何度も、繰り返し。
(※上記は個人の体験であり、誰にでも有用かつ無害なワークであると保証するものではありません。お試しになる場合、精神科医や臨床心理士など、身近な医療従事者にご相談ください)
私はこの体験によって【死にたいくらいつらいけど、もしもそのつらさが少しでもやわらぐのであれば、本当は生きたい】という心の奥底にある思いを知ることができた。しかし、「死にたいというのは、生きたい気持ちの裏返し。わざわざ周りにそんなことを訴えるのは、生きたい気持ちを確認しているだけ。だから君は絶対死なない」と第三者に言われたら、受け入れることができただろうか? おそらく、無意識での自殺未遂を繰り返していたあの頃のように、泣きじゃくりながら私に電話をくれたTのように「私は苦しみを吐き出すことも許されない人間なのか」とふさぎ込んでいたように思える。