言語化されないところにこそある、当事者の本当の困りごと――「サポートのズレ」が生まれる理由について考えてみた

2020/03/12 更新
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発達障害について情報を集めると、よく発達障害当事者はさまざまな「困りごと」を抱えているといわれています。たとえば感覚の過敏さがあってまぶしいところが苦手だったり、相手の気持ちが想像できないということだったり。 困りごとを抱えている本人にとってはそれが「普通のこと」なので、それが「困りごと」だと気づくことがとても難しいと感じることが多いです。成人した私ですらそうなので、子どもの当事者にとってはより難しいのだろうと思います。
今回は当事者の目線から、その「困りごと」について書いてみようと思います。

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「困りごと」を誰かに伝えることはおとなになっても難しい

発達障害の診断を受けてから、発達障害当事者としてインタビューを受ける機会が何度かありました。そこではおおむね、当事者として発達障害の「困りごと」についてお話をすることが多いです。

しかし、たとえば以前視覚過敏についての「困りごと」を聞かれたとき、私はうまく答えることができませんでした。というのも、“視覚過敏がない状態では周りの景色がどう見えるのか”を知らないため、何をどう伝えればいいのかうまく考えをまとめることができなかったからです。視覚過敏がある状態が私にとっての通常の見え方なのです。
結局その場では、強い光を浴びると目が開けられないとか、夜は街灯や車のライトが拡散して見えるといったお話くらいしかできずにインタビューを終えました。

これをきっかけに、こういう「周りからは困っていそうに見えるが、本人はそれに気づいていない・あるいはうまく説明できないこと」というのは多いのではないかと考えはじめるようになりました。

そこで今回は、世の中でいわれている発達障害の特徴や困りごとと、自分が実際に感じている困りごとについてを書き出してみようと思います。

多分疲れやすいほうだし、そもそも自分の疲れぐあいに気づけない

さまざまな本やホームページなどをみてみると、“発達障害当事者は疲れやすい”と書かれることが多いと感じています。私も体感として、毎日仕事が終わって家に帰るとぐったりしてしまって何もできない時間が数時間あるし、自分はかなり疲れているんだろうなと感じています。

その疲れやすさが他のひとと比べてどうなのかと聞かれると、「言われてみれば自分は疲れやすいのかなと思う。ただ、他のひともこのくらい疲れるだろうと考えているので、自分が特別疲れやすいのかどうかはどうにも判断できません」という回答になります。

そもそもこのくらいの活動をしたからこのくらい疲れているかな?などと他人の疲れ具合を想像することも難しいので、比較して考えることも難しいのです。また、自分自身だけに視点を向けて、自分の疲れについてどう認識しているか聞かれるとすると、「多分いま疲れてると思うけど、正直よくわかりません」という回答になります。そもそも自分の状態に気づくということがとても苦手なのです。

たとえばお酒を飲んでいるときも自分がどのくらい酔っているのかわからずに飲みすぎてしまったり、体調が悪いときに自分に食欲があるのかがわからなかったりします。周りから見ても明らかに足元がフラフラしてからようやく酔っていることに気づいたり、すぐにお腹がいっぱいになって全然食べられなくなってから初めて食欲がなかったことに気づいたりします。

発達障害の当事者(というか私自身)が疲れやすい原因として、この「自分の状態に気づけない」というところも大きく影響しているのかなと感じています。自分の疲労に気づけないためにペース配分を考えなかったり休憩をとらなかったりして、エネルギーを使いすぎてしまうという側面もあると考えているからです。

発達障害のない人は、自分の体調に自分で気づいて適切にコントロールしていることが多いのかなと思います。それができる人から見ると、私のようにペース配分ができず疲労を溜め込んでいる人は「疲れやすい人」に見えるのでしょう。

空気を読めない・・・の背景にあるもの

これはASDの特徴になりますが、「周りの空気を読めない」とか「人の気持ちを想像できない」というものがあります。周りから見るとたしかにそう映るのだろうなと思うところではあるのですが、私としてはちょっとニュアンスが違うのかなと感じています。

私の場合、子どものころは「他人の気持ちが存在することを想像していなかった」ということはありましたが、思春期のころからいまもずっと周りの空気がどういう状態かとか、自分がどう振る舞うべきかを自然と察することが難しく、毎回意識的に考えるようにしています。考える練習を繰り返してきて、「何かやらなければいけない場面である(どうすればいいかはわからないけれど...)」ということと「結果、その場面がどうなったか」はある程度適切に理解できているのではないかと自分では思っています。

しかし肝心の「自分がどう行動するのがその場にふさわしいのか」というところのすれ違いが本当に多いです...結果として周りからは「空気を読めない」とか「人の気持ちを想像できない」というように映るのかなと思います。

空気を読んだつもりが…新入社員時代の失敗

たとえば私が新卒で入った会社でのできごとなのですが、入社してすぐに新人研修が開催されました。その研修講師の方は私たちの上司や同期にもウケがよかったこともあり、研修の全日程が終わったあとに新人主催で講師を交えた飲み会が開かれました。

半月後、別の研修があったのですが、その講師の方は私たちの上司や同期からのウケがあまりよくありませんでした。
ところが「この前は飲み会があったし、今回もやるんだろうな」と思った私は、講師の方に「今日の飲み会はいらっしゃるんですか?」とダイレクトに質問してしまいました。
慌てて他の同期がフォローしていたのですが、後日その同期から「きみが空気読まずに講師の方に飲み会の話をするからびっくりしたよ」と冗談交じりのクレームを受けました。

私としては『研修が終わったら講師を交えて飲み会をするもの』なのかなと思っていたのですが、いま振り返ってみると私たちの上司や同期が“一緒にお酒を飲みたいなと思うかどうか”がポイントだったのです。そのとき私以外の社員の中では「今回の講師は一緒に飲みに行きたいタイプの人ではないな」という空気ができていたようなのですが、私は全く気づいていませんでした。
私なりに新人として研修後の飲み会のことで率先して動いたつもりが、そのときの周囲の気持ちとはズレた行動になってしまったのです。

発達障害のない人は、自分自身から一歩離れて客観的に考えて状況を把握し、適切な振る舞いをすることが自然とできるのだと思います。当事者である私も適切に状況を判断しているつもりなのですが、もしかしたら自分の疲れに気づけないのと同じように、周りの状況にも気づけていない部分がたくさんあるのかもしれません。

私の本当の困りごとは「周りの状況を適切に把握できないこと」なのか「自分が適切だと考えている振る舞いが実際には適切ではないこと」なのか、あるいはその両方なのか。正直なところ自分ではわかりませんし、周りから見たら結果としては同じ「困りごと」として映ることでしょう。
自分のことに気づききれていないこと、周囲の状況を適切に捉えられていないかもしれないこと。それぞれ解決していくとしてもまったく異なるアプローチとなってしまうため、ひとりで克服していくのはかなり難しいなと感じています。

周りから見える困りごとの奥に本当の困りごとがあるかも?

ここまで私自身が感じている困りごとについて書いてきましたが、もしかしたらこの記事を読まれている方の周りにいる当事者の方も同じように、周りから見えている困りごとと本人が感じている困りごとが、実はちょっと違うことがあるのかもしれません。表面化している事象だけでなく、根底にあるその人の特性や苦手に関してのサポートが必要な場合もあります。

当事者をサポートしていてあまりサポートの効果がないなと感じるような場合、もしかしたら当事者の方が本当に困っている部分とサポートしている部分がずれているのかもしれません。そのような場合、その困りごとに直面しているときに本人がどう感じているのかを確認したり、普段の様子を観察して他に困っているポイントはないかを探ったりすることも必要かもしれません。

当事者としてもこのあたりをうまく言葉にして伝えるのはかなり難しいところなので、サポートする際に「どう感じているの?」と質問して、本人の困りごとや必要なサポートについてすり合わせをしていくことが大切だと思います。ただ、感覚的な部分などは自分にとっては“当たり前”になっていて、困りごととして認識していない場合もあります

そのため当事者が自身の困りごとについて言語化するのはなかなか難しいと思いますが、言語化する機会を増やしていくことで、自分の感じ方や考え方を振り返る機会も増えます。自分の状態を他のひとに伝えることができるようになると、対処法が見つかったり環境面の工夫で解決できたりと、当事者の生きづらさが軽減されるのではないでしょうか。

どういうところに困っているかとか、困っているときにどう感じているのかというところは、自分ひとりではなかなか考えることが難しいところになるのかなと思っています。そのあたりを考えたり言葉にして話したりする機会があると、当事者にとってはとてもありがたいサポートになるのではないかと思います。
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