当時の小学校教育との相性の悪さ
当時の小学校教育と私はとても相性が悪かったように思います。環境のしくみ自体が、私を不自由にし、苦しめるものでした。
学級担任制
全教科を担任が教える学級担任制は、私には合いませんでした。たとえば、算数に強烈な苦手意識を持ったのはもしかすると、丸呑みさせられるような形で算数を教えられたからかもしれません。
というのは、私はずっと算数や数学の成績がさんざんだったので、「私は計算が異常なほどできない」と思っていたのですが、30歳を過ぎて受けた知能検査の結果について、心理士さんから「数の処理の能力は普通程度。算数障害ということはないと思う」と指摘されたからです。
思い出してみれば、小学校で算数を教えられたときはたとえば以下のような感じでした。
「分数の割り算ではひっくり返してかけるのはなぜか、どういうしくみなのか」などと聞くと先生が「そういうものなんだ」などと言う。納得できないから質問しつづけていると「教師の指導は素直に聞くべきだ」などと怒りだす。
そのうち私は「こういった疑問を抱くのはいけないことなんだ。こういった疑問から脱出できない私は算数に向いてないし、先生を怒らせる理屈っぽすぎるダメな子なんだ」と思い込むようになってしまいました。
いま思えば「割り算はなぜひっくり返してかけるのか」の理屈は、先生本人がよく理解しないまま丸呑みで覚えてきたところで、自分のわからないところを繰り返し聞かれるのがプライドに障ったのかもしれません。だからといって指導者が子どもに対してこのように、子どもが理解できないのを子どものせいにしていいとは思いませんが。
学級制
学級制自体も私と相性が悪かったように思います。学級制はそれぞれのクラスでがっちりグループができてしまい、その中で一度それぞれの立ち位置が決まってしまうと立ち位置を動かすことは容易ではありません。また、学級担任に嫌われてしまえば終わりみたいなところもありました。当時の私のように、場へのなじみにくさ、ときに大人から嫌われやすい要素を抱えた子にはなかなか過酷でした。
私は個人的には、学級制を解体してしまえば、それぞれの子に多様な立ち位置や居場所ができて、いじめや、担任による虐待はほとんど解消するのではないかと思っています。
管理教育
当時私がいた地域でさかんだった管理教育も、私にとってかなり厳しいものでした。管理教育は、「いわゆる、『企業・団体の労働者として雇用しやすい、標準的な人』」を養成することがベースにある教育だと私は感じています。そこで、私のように標準的でない子はまず「矯正」の対象とされてしまうのです。なんでも「論理的な理由が納得できないと前に進めない」タイプだったので、「大人・目上の人の言うこと・決まっていることは素直に飲み込め」という指導とは相容れないものがありました。
いま振り返って思うこと
いま振り返ってみて何度でも強調したいのは、「社会や周囲の大人にもっと発達障害についての知識が広がっていれば…」ということです。
発達障害についての知識の普及も含め、私のような子どもがもっと多様な居場所や情報源に触れられる環境があったら良かったのに、と思います。
当時の私には、学校と家しか所属できるコミュニティがありませんでした。趣味や習い事、部活に打ち込めるだけの余剰の体力がなかったことも災いしたと思います。当時からインターネットやフリースクール、さまざまな特性に対応する特別支援学級、たとえば情緒学級や通級、ソーシャルスキルを学べる療育施設などが普及しており、いろいろな居場所が気軽に選択できるような環境であれば、私はもっと違った人生が送れたことでしょう。
いまの子どもたちには、私が子どもだったころと比べてずいぶん環境が整いつつあります。私は、いまの子たちを多少羨ましく思いながらも、希望を持って応援しているところです。困難を抱えた子どもたちが、少しでも楽に軽やかに人生を歩んでゆけますように。
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