コミュニケーションの特性を「生きづらさ」につなげないために――子どもたちの成長物語からヒントを見つけられる『子どもの「コミュ障」』
ライター:発達ナビBOOKガイド
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金子書房
子どもが発する見当違いなことばや、相手とのやりとりがうまくいかなくなる話し方。コミュニケーションに起こる障害、「コミュ障」について、「発達障害だからこうしよう」ではなく、コミュニケーションのギャップが起こる理由に焦点を当てて追究しているのが、新刊『子どもの「コミュ障」』(大井学著 金子書房)です。長年コミュニケーション障害について研究・実践してきた著者が学術的に事例を精査していく展開ですが、事例に登場する子どもの成長物語も縦糸として織り込まれています。
「コミュ障」とは、ことばの語用障害のこと
2017年3月に金沢大学を定年退職し、現在は同大学子どものこころの発達支援センターで特任教授を務める著者がまとめた『子どもの「コミュ障」』。著書の中には、たくさんの事例も登場します。
子どもの「コミュ障」: 発達障害のもう一つの顔
金子書房
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子どもの「コミュ障」って、なんでしょう。そもそも「コミュ障」って?会話がちぐはぐになりがちな大人の行動というイメージがありますが、実は子どもにも「コミュ障」はあります。頭の中にはいったいどんな仕組みがあって、コミュ障といわれる状態が起こるのでしょうか。第1章 「コミュ障」とはなにかでは、そもそものコミュ障の定義をしています。
「コミュ障」は,会話が苦手とか,一方的に話すとかいったさまを示す。ただこれは狭い意味でのコミュニケーション障害だ。広い意味でのコミュニケーション障害はいくつかのタイプに分かれる。聴覚障害,構音障害や吃音などのことばの発音の障害,失語症などでみられることばの意味の辞書的な知識の障害,ことばの形や並べ方といった文法の障害,それにことばの対人的な使い方の障害である。「コミュ障」はこれらの最後の,言葉の対人的な使い方に問題がある状態をさす。学問的にはことばの対人的な使い方の理論を語用論といい,「コミュ障」は語用論の障害すなわち語用障害である。(P1)
この定義から、子どもの「コミュ障」とは、子どもの「語用障害」として、この本では扱われています。考えてみれば、ことばの並べ方など文法の間違いや、誰に話すかによってことばの使い方を変えられないといったことは、子どもだったら普通に起こるわけです。そこは「子どもらしい話し方」の部分かもしれず、必ずしも「障害」ということばが当てはまるわけではなさそうです。だからこそ、ここでは「語用障害」に焦点を当てています。
そして、統計から子どもの場合は、発達障害・言語障害のある子どもの語用障害と、障害のない子どもの語用障害が起こる範囲が重なっている部分が大きくあり、発達障害と診断はされないかもしれないグレーな子どもにも、「コミュ障」はみられるということなのです。
そして、統計から子どもの場合は、発達障害・言語障害のある子どもの語用障害と、障害のない子どもの語用障害が起こる範囲が重なっている部分が大きくあり、発達障害と診断はされないかもしれないグレーな子どもにも、「コミュ障」はみられるということなのです。
第2章 「コミュ障」と生きづらさでは、コミュニケーションの失敗に由来する生きづらさについて書かれています。また、思春期特有の大人の話を聞きたがらない態度と、「コミュ障」による話の食い違いとが重なって、よりつらい体験になることも指摘されています。
書道教室で「スリッパに履き替えなさい」といわれたことをずっと覚えていたX君、就職活動の面接で、履歴書の書き方を指摘されて的外れなこだわりを見せた学生、就活セミナーで履歴書の現住所の書き方を「詳しく」と指導されて、「銀河系―太陽系―地球―日本」と書き、そこから都道府県名を書いたYさん。それぞれのエピソードを紹介することで、思春期から成人期以降、大人になっていく過程での生きづらさについて焦点を当てます。
書道教室で「スリッパに履き替えなさい」といわれたことをずっと覚えていたX君、就職活動の面接で、履歴書の書き方を指摘されて的外れなこだわりを見せた学生、就活セミナーで履歴書の現住所の書き方を「詳しく」と指導されて、「銀河系―太陽系―地球―日本」と書き、そこから都道府県名を書いたYさん。それぞれのエピソードを紹介することで、思春期から成人期以降、大人になっていく過程での生きづらさについて焦点を当てます。
第3章 教師たちが見た子どもの「コミュ障」のさまざまでは、子どもの「コミュ障」の様子について具体例がたくさん登場します。不適切コミュニケーションの例を分類した表があります。
たとえば「ことばの字義的解釈」としては、予約時間より早く入室して「時計見てごらん」といわれたら、ただ時計を文字通りに「見る」のではなくて、「まだ君の順番の時間になっていないよ」といった意味を含んでいることがあります。それに対して「見たよ」とだけ答えるのが「ことばの字義的解釈」。また、映像やゲームの中で使われる決めゼリフをそのまま使ったりする「定型化されたことば」、自己紹介できずにもじもじしている子に「なんで名前言わないの?」とはっきり言ってしまう「正直すぎ」。
ふだん、こうした子どもと密に関わり合っていない大人からすると、「子どもらしい」とクスッと笑って過ごしてしまうくらいの行き違いかもしれません。でも、保育者、指導者、保護者、あるいは周りにいる友だちからすると「またなのか」「ちょっとは考えてよ」「まじめになりなさい!」といった気持ちになるでしょう。こうしたことが、子どもの「コミュ障」では起こるのです。
ふだん、こうした子どもと密に関わり合っていない大人からすると、「子どもらしい」とクスッと笑って過ごしてしまうくらいの行き違いかもしれません。でも、保育者、指導者、保護者、あるいは周りにいる友だちからすると「またなのか」「ちょっとは考えてよ」「まじめになりなさい!」といった気持ちになるでしょう。こうしたことが、子どもの「コミュ障」では起こるのです。
スムーズなコミュニケーションはどうやって成り立っている?
この次に続く第4章 コミュニケーションの成り立ち、第5章 「コミュ障」の成り立ちの中では、何が問題なのかを整理していきます。
よくある事例として、こんな会話が登場します。
よくある事例として、こんな会話が登場します。
1.筆者:もしもし田中さんですか?
2.子ども:はい。
3.筆者:お母さんいる?
4.子ども:うん,いるよ。
5.筆者:お母さんに代わって。
6.子ども:うん。お母さん(大声で呼ぶ)。
(P29-30)
こうした例は未就学児によくあり、小学校1~2年生ごろ以降になると、3.で「お母さんいる?」と聞いた時点で、子どもは、「うん。お母さん(大声で呼ぶ)」ということができることが増えるといいます。相手が何をしてほしいかを察する能力が育ってくるからです。
これは、「文脈と関連付ける:互いの心を想像しながら伝え合うコミュニケーション」。相手の心を想像しながら伝え合えるということは、高度なことだと分かります。
「コミュ障」の成り立ちが分かったところで、第6章 意外に見つけにくい「コミュ障」、第7章 なぜ文字通りだったり文字通りでなかったりするのか?、第8章 「コミュ障」リスクを短時間で判定するには?といった、具体的な子どもの「コミュ障」例の解説がなされています。
調査をまとめたこんな表が登場します。
これは、「文脈と関連付ける:互いの心を想像しながら伝え合うコミュニケーション」。相手の心を想像しながら伝え合えるということは、高度なことだと分かります。
「コミュ障」の成り立ちが分かったところで、第6章 意外に見つけにくい「コミュ障」、第7章 なぜ文字通りだったり文字通りでなかったりするのか?、第8章 「コミュ障」リスクを短時間で判定するには?といった、具体的な子どもの「コミュ障」例の解説がなされています。
調査をまとめたこんな表が登場します。
これらの例の詳しい解説は、ぜひ本を読んでほしいのですが、一覧表を見ただけでも、「たしかに間違いではないけれど、そういう意味のとり方はおかしい」ということが並びます。ことばを状況に合わせて理解していくことがむずかしい、それが子どもの「コミュ障」が起こる原因だということもよく分かります。
「コミュ障」の子どもとの向き合い方
そして、「コミュ障」の子どもと関わる大人たちにとって大事な情報が、第9章 子どもの「コミュ障」を大人は補償している、第10章 「コミュ障」を責める大人、責めない大人には書かれています。
ここには、大人の関わり方の例がいくつも登場します。
自閉症スペクトラム障害のあるHくんは、嫌いな曲をラジカセで爆音でかけた友だちに対して「てめえ殺してやる!」と、いつもの声とは違う芝居がかかった声ですごみました。そこに偶然居合わせた筆者は、なぜそんなことを言ったのか、Hくんに問いかけます。すると、
ここには、大人の関わり方の例がいくつも登場します。
自閉症スペクトラム障害のあるHくんは、嫌いな曲をラジカセで爆音でかけた友だちに対して「てめえ殺してやる!」と、いつもの声とは違う芝居がかかった声ですごみました。そこに偶然居合わせた筆者は、なぜそんなことを言ったのか、Hくんに問いかけます。すると、
H君はごく普通のいつも通りの小声で「ラジカセで僕の嫌いな曲を鳴らさないでほしい」と答えた。声の調子がころころ変わることからしても「殺してやる!」はどうやら借りてきたセリフと思われた。「じゃあ,そういえば?」と促した筆者のことばに押されてH君は小学生のほうに向き直り,普通の話し方で「すみませんがラジカセでその曲を鳴らさないでください」といった。(P80)
また、7歳の自閉症スペクトラム障害のあるL君は大学院生と週1回のセッションの話。終了時間が近づいてもL君はなかなかブロックを片づけようとしませんでした。大学院生はお片づけをそれとなくやさしく促そうとしますが、うまく伝わりません。最後には
「L君,さっきお母さんとね,あの時計が4か5くらいになったら終わりにしますって言ったんだけど,だからお姉さんはそろそろ終わらせたいんですが,L君はいつ終わりにしたいですか?」と聞きます。するとすんなりと「もう終わらせたい」とL君は答えました。(P88)
大学院生自身は、あからさまにL君に終了を促したことについて、L君は本当は終わらせたくなかったのかもしれない、と引っかかっている様子。でも、大人が自らの意図を可能な限り詳しくかつはっきりと言うということは、「支援では考慮すべき事項である」と筆者は書いています。
もうひとつ、興味深いのは、第10章の中に登場する、1.自閉症指数が高いほど母親は「コミュ障」を責めない というテーマです。
このような、子どもの「コミュ障」と大人の関わり方について、事例とともにさまざまな角度から検証してします。
もうひとつ、興味深いのは、第10章の中に登場する、1.自閉症指数が高いほど母親は「コミュ障」を責めない というテーマです。
このような、子どもの「コミュ障」と大人の関わり方について、事例とともにさまざまな角度から検証してします。
「コミュ障」の子どもの、成長にともなう生きづらさは環境次第で変わる
本書の中では、事例として何人かの子どもの「コミュ障」エピソードが登場し、繰り返し検証されています。その中のひとり、小学校5年生で自閉症スペクトラム障害と診断されたX君がクローズアップされていくのが第11章 「コミュ障」な子どもと定型発達の仲間とのかかわりあい(幸運なケース)。「幸運な」とついている通り、これはレアケースなのかもしれません。
X君の周りには、理解してくれる友達がいて、その友達の保護者同士も連携がありました。さらに著者のような専門家が継続的に観察しサポートしてくれた、という恵まれた環境です。こうした環境の中にあると、子どもにコミュニケーションにおける特性があったとしても、周りの人が作る環境によって、育ち合う関係性が作れるということがよく分かります。
X君の周りには、理解してくれる友達がいて、その友達の保護者同士も連携がありました。さらに著者のような専門家が継続的に観察しサポートしてくれた、という恵まれた環境です。こうした環境の中にあると、子どもにコミュニケーションにおける特性があったとしても、周りの人が作る環境によって、育ち合う関係性が作れるということがよく分かります。
X君には,10歳から15歳で高校がバラバラになるまで,仲のよい男の子の友達が3人いた。家も近所で放課後も小学校時代はしょっちゅう一緒で,中学に入ってからも時折一緒に遊んでいた。(P102)
仲間関係の中で、当然ケンカやトラブルは起こります。その中で著者が関わる機会があり、彼らのトラブルの場面を動画に撮り、彼らに見せました。X君が言いたいことを3人が誤解していることも著者は伝えています。「それ以降、3人はX君が何か不適切なことをしても強く非難せず、軽くいなすようになった」という変化が起こります。
さらに、
さらに、
こうした仲間関係は,X君の母親,3人の友人たちの母親,学校,それに筆者の連携にバックアップされていた。周囲の大人が自閉症の子供を含む仲間関係を気長に見守り,ここぞという必要な時に支援を行うことが有用なケースであった。(P103)
3人の友達とX君の関係はだんだん変わっていきます。「3人のうそや冗談、からかいなどが理解できない、X君自身のことばの選び方や使うタイミングが悪く、3人から思わぬ反撃にあう、授業で自分の思うようにできなかったり点数が悪かったりするときれるといった具合である。」といったことが現れます。
その中で3人が起こした、ある「チャレンジ」ともいえる行動がありました。X君に悪口をわざといい、X君はそれを15分我慢するという特訓を行ったのです。これによってX君は耐性がつき、ほかの人とのコミュニケーションの中で突然きれるということを減らしていった、というのです。
ほかにも、どうしたら「コミュ障」の子どもが、コミュニケーションの面で成長できるのか、あるいは、「コミュ障」の子どもの友達関係が育まれていくのか、「幸運な例」としてのエピソードが書かれています。
その中で3人が起こした、ある「チャレンジ」ともいえる行動がありました。X君に悪口をわざといい、X君はそれを15分我慢するという特訓を行ったのです。これによってX君は耐性がつき、ほかの人とのコミュニケーションの中で突然きれるということを減らしていった、というのです。
ほかにも、どうしたら「コミュ障」の子どもが、コミュニケーションの面で成長できるのか、あるいは、「コミュ障」の子どもの友達関係が育まれていくのか、「幸運な例」としてのエピソードが書かれています。
第12章 「コミュ障」との付き合い方、第13章 「コミュ障」な大人が見た子どもの「コミュ障」と続き、今、成人して会社勤めをするようになったX君のお母さんからは、こんなコメントもあります。
今の環境でトラブルがあって解決できなくても「どこがずれているんやろなあ」と二人で悩み,様子見をすることができます。そして、ずれの存在に気付くまでの過程を思うと,アスペルガー症候群をよく知らない人に理解してもらうことの難しさも痛感し,アスペルガーの人たちの生きづらさを再認識します。(P122)
一方で、この本の各章末に、20代前半で自閉症スペクトラム障害と診断された「コミュ障」Yさんの視点から見た事例への解説「Yさんの思い」があります。32歳のYさんの言葉遣いは独特ですが、独特ながらに「そう解釈するのか!」と読者が納得する発言がコラムとなっています。
X君は10歳で診断を受け,母親は本書で見たようにX君との会話に工夫を凝らしながら,絶えず相談相手となって彼の成長を支えた。この時期からの密度の濃い親子コミュニケーションがX君の現在の社会適応につながっている可能性も考えるべきであろう。これに対しYさんは診断を受けたのが職場不適応を起こした後の24歳であった。(P125)
Yさんは、優秀な知能のおかげもあって、相談相手を持たずに、ひとりで子ども時代を乗り切った結果、彼女独自のコミュニケーション戦略を獲得したのだろう、と著者も想像しています。
子どもの「コミュ障」を、成長してからの「生きづらさ」につなげないためのヒント
周りのサポートが厚かったX君と、知能の高さで独自に乗り切ったYさんの事例は、対極にある究極の例かもしれませんが、たくさんのヒントがそこにはあるでしょう。
子どもの「コミュ障」は、そのこと自体を問題にするのではなく、思春期から成人期にかけて「生きづらさ」につなげないようにするにはどうしたらいいか、コミュニケーションの特性がある子ども達はどのような環境の中で育つことが必要なのか、そうしたことを考えるほうが意義があり大切であると『子どもの「コミュ障」』は示唆してくれているようです。
文/関川香織
子どもの「コミュ障」は、そのこと自体を問題にするのではなく、思春期から成人期にかけて「生きづらさ」につなげないようにするにはどうしたらいいか、コミュニケーションの特性がある子ども達はどのような環境の中で育つことが必要なのか、そうしたことを考えるほうが意義があり大切であると『子どもの「コミュ障」』は示唆してくれているようです。
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