「おかあさん、みえて」…?会話ができるようになっても難しい、言葉の使い分け。伝えたい気持ちは人一倍のASD息子を見守りながら

ライター:丸山さとこ
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今では大分スムーズに話すようになったコウですが、以前は「あれ?」と思うような不思議な話し方をする子どもでした。

見てほしい時には「みえて」、聞いてほしい時には「きこえて」と言っていた彼の、これまでの話し方を振り返ってみました。

幼いころのコウの話し方は少し独特!?

「これねー、お父さんがあげてくれたの」と言うコウと、「あげて…くれた…?」と戸惑う私。
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今ではペラペラとよく話すようになったコウですが、今でも時々「おかえり」に対して「おかえり」を返すことがあります。また、言葉のニュアンスを掴むのが苦手だったりします。

言いたいことを言葉にすること自体がやや苦手なようで、状況や考えを説明する時は「待ってて、頭の中では分かってるんだけど…」とアワアワしながら話すこともしばしばです。

それでも、以前に比べるとかなり話すのが上手になったなぁと感じます。幼いころのコウは、少し独特な話し方をしていたのです。

未就学児のころ…「見て」が「見えて」になる不思議

「おかーさん、みえて」と描いた絵を見せるコウ。
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見て欲しい時は「みえて(見えて)」

幼い子どもがよく言うセリフに「見て」がありますが、コウの場合は「見えて」でした。「おかあさん、みえてー」と言いながら見せたいものを見せに来るのです。

聞いて欲しい時も「聞いて」ではなく「聞こえて」となるので、「おかあさん、きこえて」と言いながら話しかけてきます。

「見て・聞いて」はちょっと特殊な言葉?

考えてみれば、“食べる”をして欲しければ「食べて」、“話す”をして欲しければ“話して”となるのですから、“見える”をして欲しければ「見えて」、“聞こえる”をして欲しければ「聞こえて」になるのは案外おかしなことではないのかもしれません。

ですが、“見る・聞く”をして欲しければ「見て・聞いて」と言うのが正しい言葉づかいです。それは「文法がどうの」と理屈で覚えるのではなく、聞いている内に自然と身につけるものだと思っていましたが、コウはそうではないようでした。

小学校入学後も、「行く・来る」「あげる・もらう」は苦手?

問題として聞かれれば”あげる・もらう”も分かるコウ。
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「国語」として分からないわけではないらしく…?

コウは他にも“行く・来る”“あげる・くれる・もらう”などの言葉を使い分けることが苦手なようで、「“する側・される側”などの視点の切り替えが苦手なのかな?」と感じました。

これは小学校低学年のころまで続きましたが、国語の問題として出題された時には「あげる」「もらう」などの言葉も適切に使えていました。どうやら、“問題”として会話を考える時には使い分けができていても“自分と相手”のことになるとこんがらがってしまうようでした。

「お父さんが僕にあげてくれたの」

お父さんに物をもらった時も「お父さんが僕にあげてくれたの」と不思議な言い方をしていましたが、多分「お父さんが僕に“あげる”をしてくれた」という文の組み立て方をしていたのではないかな?と思います。

これも、「貸す」という言葉で考えてみれば「お父さんが僕に“貸す”をしてくれた→お父さんが僕に貸してくれた」になるわけで、『確かにそういう組み立て方の文章は珍しくないな…』と面白く感じました。

「もらう」で考えてみても、「もらう+してくれた」で「もらってくれた」になります。コウはコウなりに考えて文を組み立てていたのだなと思いました。
次ページ「“自覚”も“正しい文章の組み立て”も、少しずつ…」

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