二次障害、母からの依存、DV男との同棲…暗黒の大学時代。父の脅し文句が助け舟のように聞こえて

2020/12/04 更新
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苦労して入学した難関私大の日々は、冒頭から前途多難でした。私は1年次から不登校ぎみになり、母とのアンバランスな関係性に心身の調子を崩しました。また、この年の秋からうっかり、DV傾向のある男性とつきあうようになってしまい…

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宇樹義子
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母との確執、長距離通学に疲弊して

私は、過労で倒れてまでの受験勉強を経て難関私大に入学したものの、さまざまな二次障害を起こして不登校ぎみになりました。母との確執も合わせ、詳細は過去記事に書いています。
最難関私大に進学したけれど――二次障害を発症、身支度すらできず引きこもる私に母が放った「こんな時間が永遠に続けばいいのに」のタイトル画像

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交際相手のエスカレートする独占欲

私がのちに問題となる男性とつきあいはじめたのは1年次の秋口。年が明けてバレンタインを迎えるころには、私はすでに彼の態度に違和感を感じていました。

手作りのチョコレートには、材料の関係でつくりやすい分量があります。レシピに従ってつくったら、靴一足が入る程度の箱ひとつにいっぱいのチョコレートができました。

男性に箱ごとチョコレートを渡し、「じゃあ余ったぶんはみんなと分けようね」と言ったら、「嫌だ、俺が全部食う!」と言って箱を抱え込みます。最初冗談だと思って笑っていたら、彼は真顔。私はぞっとして、身体が硬直するのを感じました。

同じころから、彼は私が家に帰ろうとすると怒って駅前で大声で騒いだり、停めてある自転車を蹴り倒して威嚇したり、私を脇に抱えて無理やり引きずったりと、暴力的な方法を使って彼の下宿に連れ帰ろうとするようになりました。なんとか振り切って帰ると、夜中に何十回も電話をかけてきます。留守電を聴くと恨みがましい声で死んでやるとか殺してやるとか言い募っている… 私は恐ろしくなって、彼に逆らうことができなくなりました。これはいわゆるデートDVの状態だったと思います。

やっかいな人と関わりを持ってしまったと後悔しましたが、ときすでに遅し。私は当時友人も少なく、頼れる大人もおらず、支援ともつながっていない。いまの自分がどのような状態なのかを知るすべもない。総合して私は、彼のような男性との危険な関係性から抜け出すための力を持ち合わせていませんでした。

どうしてこんなことになってしまったんだろう

朝帰りや外泊を繰り返し、しょっちゅう未明に男性と電話で話している私を見て、母は「男にうつつを抜かしている」と言い放ちました。

私はこのときかなり困っていたのですが、すでに母は私の中で、困ったときに頼るような相手ではなくなっていました。

私が母に悩みごとを相談するのをやめたのは、私が中学生ぐらいのときだったと思います。母にショックを与えるようなことを相談するとすぐに泣き出したり寝込んだりしてしまうし、私が風邪を引いたときも看病するどころかあからさまに「うつるから近寄らないでほしい」という感じの表情をする。それどころか、「私を不安にさせてひどい」みたいなことを言いだすので、私は母には心のうちも体調の変化も必死に隠すようになっていたのでした。

こうした感じだったので、私は母には本当の事情を開示することはありませんでした。「開示したらかえって面倒なことになる、下手したら母が考えなしの行動に出て男性の感情を逆撫でし、結果的に誰かの命に危険が及ぶ」と思ったのです。

母は単純に、「娘をとられてなるものか」といった感じで男性に嫉妬したように見えました。そして、家庭内ストーカーのようになりました。家の中にいれば私を終始追い回す。1時間外出しただけで10回以上電話をかけてくる。

こうして私は、「男性から右腕を、母親から左腕をぎゅうぎゅう引っ張られてちぎれそうになる」ような事態に陥りました。しばらくの間、二人の「ストーカー」の間でどちらの機嫌もとろうと懸命でしたが、結局疲れきり、2年次の夏休みに入ると男性の下宿に転がり込んで、家に帰らなくなりました。彼の望むとおりにしなければ自分は殺されると思ったのです。

そんな状況でも多少なり甘い夢を見て始めた同棲生活でしたが、私はすぐに「どうしてこんなことになってしまったんだろう」という思いでいっぱいになりました。

日雇いのアルバイトで生活費を稼ぎ、男性のお下がりの服を着回す。洗濯機はない。男性の下宿は6畳のワンルームで、折り畳みのシングルベッドを広げたらもういっぱい。窓には網戸もなく、蚊に刺されほうだい。あいた時間はいつも男性と一緒にいて、一挙一投足を男性の思うとおりにしなければ凄まれたり暴力をふるわれたりする。彼が好きだと言ったものを好きだと言わなければいけないし、彼の嫌いなものをうっかり好きだと言ってはいけない。まるで精神的な首輪のつけられたペットだと思いました。

私は当時の幼い頭で、当面の命の危険を避けるためにできるだけよい選択肢をとったつもりだったのですが、私は命の保証の代わりに、自分がまがりなりにも20年ひとりの個人として積み重ねてきたものを、環境も意志もすべて捨てなければならなかったのです。

父からの脅しのような助け舟「このまま帰らないなら学費を払わないぞ」

大学の後期開始が近づいてきたある日、父から一本の連絡が入ります。

「このまま家に帰らないと言うなら勝手にしたらいい。その代わり勘当だ。もううちの子ではないとして、後期の学費も払ってやらない。好きなように堕ちていけばいい」

父は私が家出してわりとすぐに一度、私を呼び出して説得しようとしましたが、このとき父は、私と母との関係性の問題、父が不在がちなことによる困難を訴える私に対し、相変わらず取りつくしまもない態度でした。それで私は悲しくなって、引き続き男性の家にいつづけることを選んだのでした。

あれから1ヶ月ほどして出された「帰らないなら学費は払わない宣言」は、父の悩み抜いた末の最後の助け舟のように思えました。

このまま彼と一緒にいれば、自分はいずれにしろもっと「堕ちて」いくのだろう、と私は想像していました。自分は学業もまともにしないまま大学を辞めるだろうし、子どもができるなどして身動きができなくなったら彼の支配するDV家庭のいっちょあがり、彼はきっとそれを狙っているだろう、と思っていたのです。

でも、父の「帰らないなら学費は払わない」とは、よく読めば「帰れば学費は払ってやる」ということです。父は不器用な人。まがりなりにも親子として長年つきあってきた中で、私にもそれぐらいの裏の意図は読めました。いま正直に事情を話せば、さすがにあの母も含めて、私を家庭を挙げて守ってくれるのではないかと思えました。

だったら私は「堕ちない」ほうをとりたい…そもそも、私は堕ちようと思ってこの男性とつきあいはじめたわけではありません。

私はこの男性とつきあうまで、(当時発覚していなかった)発達障害や両親とのアンバランスな関係性からくる、生きづらさや居場所のなさに汲々としていました。「生きるのがつらい、寂しくてどうにかなりそうだ」と思い始めたのはいつだったか、うまく思い出せないほどです。高校生ぐらいのときにはすでに、誰か私だけを見てくれる異性がいてくれないと死んでしまいそうな気持ちでした。

そんな調子でしたから、初めてつきあった人には「重たい」とすぐにふられてしまいました。それで私は「誰でもいいから私を求めてくれる男性が欲しい」と思い詰めて、うっかりこのDV傾向の男性とつきあってしまうに至ったのです。ときどき今でも「自分が浅はかだったのではないか」と後悔することがありますが、一生懸命トラウマ治療をして、自分の中の罪悪感や恥に対処しています。

そんなわけで私は、大学の後期が始まる前に、数ヶ月ぶりに家に帰りました。あまりのストレスによる解離性健忘だと思うのですが、その前後のことはほとんど覚えていません。

世界同時多発テロ事件、そして学生運動が交際相手から離れるきっかけに

家に戻り、事情も家族に話して少し理解を得たものの、彼ときっぱり離れるのにはそれから1年近く時間がかかりました。一度生命の危険を覚えるような支配を受けてしまったからだと思います。

1年後、2001年9月に世界同時多発テロ事件が起こりました。じわじわと彼との距離をとりながら少しずつ勉強の楽しさを取り戻していた私は、あるクラスの先生と仲間の「今は小説なんか書いている場合ではない、反戦運動をしなければ!」という主張に共鳴して、にわか左翼学生になります。

男女混じった10人ほどの仲間と平和や文学について語り合う日々に、私は初めて、中距離の友人関係というものの良さを味わいました。それでよけいに彼から離れようとしました。

私の心境の変化を敏感に感じ取った彼はある日、私を大学近くのカフェに呼び出して「別れよう」と言います。私は1年前からずっと別れたかったので、「いいよ! 別れよう!」と二つ返事で答えますが、私の返答に彼は激怒します。別れ話でよくあることではありますが…。

その日はリベラルな活動家が講演に来るという日で、学生運動の仲間たちともども楽しみにしていた日でした。それで私はなんとか彼を振り切って、キャンパス内の仲間が集まっているところに行きましたが、そこへ彼が飛び込んできて私を輪からひきずり出しました。

彼はそのまま暗がりに私を引きずっていって、私を地面に引き倒しました。コンクリートに頭を打った私はうずくまります。皆がざわついて、一瞬のうちに宇樹親衛隊が結成されました。皆で私を彼から匿(かくま)います。体格のいい男子学生数人が彼を囲み、「宇樹はもう帰った、しつこいようなら警察を呼ぶぞ」と凄むと、彼は悪態をつきながら帰っていきました。

この一件で彼はみんなに面が割れて、二度と私に近寄ってこなくなりました。彼がこの程度の人で幸いだったと思いますが、私は怖くて、ふたたび大学に行けるようになるまでだいぶ時間がかかりました。

つい最近まで、ときどき急に当時の光景が蘇り、身体が凍りつくPTSDの症状に悩まされていました。「万一街中で彼に出会ったら、私は彼に殺されるのではないか」と怯えてしまったり。トラウマ治療でずいぶん楽になりましたが、今もときどき蘇ってくる恐怖感と戦っています。

交際相手からは離れられたけれど…

私はこうして、大学3年の秋にようやく問題の男性と離れることができました。

けれど、私がこの男性の件でトラブルに巻き込まれている間、家の中ではもうひとつの問題が深刻化していました。

それまで病弱ながらもフルタイムの仕事で千葉県から都内まで通勤していた母でしたが、私が外泊を繰り返すようになったあたりで本格的に仕事に行けなくなり、休職しました。

もともと休みの日は寝込んでいるか、家で一日中、録画した映画を観ているかの超インドア派な母でしたが、一歩も家を出ない日がほとんどになりました。彼女は居間の真ん中に、手の届く範囲にリモコンなどを置いた「コックピット」を築き…。

このあとの展開は、次回以降の記事でお伝えします。

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