父からの脅しのような助け舟「このまま帰らないなら学費を払わないぞ」

大学の後期開始が近づいてきたある日、父から一本の連絡が入ります。

「このまま家に帰らないと言うなら勝手にしたらいい。その代わり勘当だ。もううちの子ではないとして、後期の学費も払ってやらない。好きなように堕ちていけばいい」

父は私が家出してわりとすぐに一度、私を呼び出して説得しようとしましたが、このとき父は、私と母との関係性の問題、父が不在がちなことによる困難を訴える私に対し、相変わらず取りつくしまもない態度でした。それで私は悲しくなって、引き続き男性の家にいつづけることを選んだのでした。

あれから1ヶ月ほどして出された「帰らないなら学費は払わない宣言」は、父の悩み抜いた末の最後の助け舟のように思えました。

このまま彼と一緒にいれば、自分はいずれにしろもっと「堕ちて」いくのだろう、と私は想像していました。自分は学業もまともにしないまま大学を辞めるだろうし、子どもができるなどして身動きができなくなったら彼の支配するDV家庭のいっちょあがり、彼はきっとそれを狙っているだろう、と思っていたのです。

でも、父の「帰らないなら学費は払わない」とは、よく読めば「帰れば学費は払ってやる」ということです。父は不器用な人。まがりなりにも親子として長年つきあってきた中で、私にもそれぐらいの裏の意図は読めました。いま正直に事情を話せば、さすがにあの母も含めて、私を家庭を挙げて守ってくれるのではないかと思えました。

だったら私は「堕ちない」ほうをとりたい…そもそも、私は堕ちようと思ってこの男性とつきあいはじめたわけではありません。

私はこの男性とつきあうまで、(当時発覚していなかった)発達障害や両親とのアンバランスな関係性からくる、生きづらさや居場所のなさに汲々としていました。「生きるのがつらい、寂しくてどうにかなりそうだ」と思い始めたのはいつだったか、うまく思い出せないほどです。高校生ぐらいのときにはすでに、誰か私だけを見てくれる異性がいてくれないと死んでしまいそうな気持ちでした。

そんな調子でしたから、初めてつきあった人には「重たい」とすぐにふられてしまいました。それで私は「誰でもいいから私を求めてくれる男性が欲しい」と思い詰めて、うっかりこのDV傾向の男性とつきあってしまうに至ったのです。ときどき今でも「自分が浅はかだったのではないか」と後悔することがありますが、一生懸命トラウマ治療をして、自分の中の罪悪感や恥に対処しています。

そんなわけで私は、大学の後期が始まる前に、数ヶ月ぶりに家に帰りました。あまりのストレスによる解離性健忘だと思うのですが、その前後のことはほとんど覚えていません。

世界同時多発テロ事件、そして学生運動が交際相手から離れるきっかけに

家に戻り、事情も家族に話して少し理解を得たものの、彼ときっぱり離れるのにはそれから1年近く時間がかかりました。一度生命の危険を覚えるような支配を受けてしまったからだと思います。

1年後、2001年9月に世界同時多発テロ事件が起こりました。じわじわと彼との距離をとりながら少しずつ勉強の楽しさを取り戻していた私は、あるクラスの先生と仲間の「今は小説なんか書いている場合ではない、反戦運動をしなければ!」という主張に共鳴して、にわか左翼学生になります。

男女混じった10人ほどの仲間と平和や文学について語り合う日々に、私は初めて、中距離の友人関係というものの良さを味わいました。それでよけいに彼から離れようとしました。

私の心境の変化を敏感に感じ取った彼はある日、私を大学近くのカフェに呼び出して「別れよう」と言います。私は1年前からずっと別れたかったので、「いいよ! 別れよう!」と二つ返事で答えますが、私の返答に彼は激怒します。別れ話でよくあることではありますが…。

その日はリベラルな活動家が講演に来るという日で、学生運動の仲間たちともども楽しみにしていた日でした。それで私はなんとか彼を振り切って、キャンパス内の仲間が集まっているところに行きましたが、そこへ彼が飛び込んできて私を輪からひきずり出しました。

彼はそのまま暗がりに私を引きずっていって、私を地面に引き倒しました。コンクリートに頭を打った私はうずくまります。皆がざわついて、一瞬のうちに宇樹親衛隊が結成されました。皆で私を彼から匿(かくま)います。体格のいい男子学生数人が彼を囲み、「宇樹はもう帰った、しつこいようなら警察を呼ぶぞ」と凄むと、彼は悪態をつきながら帰っていきました。

この一件で彼はみんなに面が割れて、二度と私に近寄ってこなくなりました。彼がこの程度の人で幸いだったと思いますが、私は怖くて、ふたたび大学に行けるようになるまでだいぶ時間がかかりました。

つい最近まで、ときどき急に当時の光景が蘇り、身体が凍りつくPTSDの症状に悩まされていました。「万一街中で彼に出会ったら、私は彼に殺されるのではないか」と怯えてしまったり。トラウマ治療でずいぶん楽になりましたが、今もときどき蘇ってくる恐怖感と戦っています。

交際相手からは離れられたけれど…

私はこうして、大学3年の秋にようやく問題の男性と離れることができました。

けれど、私がこの男性の件でトラブルに巻き込まれている間、家の中ではもうひとつの問題が深刻化していました。

それまで病弱ながらもフルタイムの仕事で千葉県から都内まで通勤していた母でしたが、私が外泊を繰り返すようになったあたりで本格的に仕事に行けなくなり、休職しました。

もともと休みの日は寝込んでいるか、家で一日中、録画した映画を観ているかの超インドア派な母でしたが、一歩も家を出ない日がほとんどになりました。彼女は居間の真ん中に、手の届く範囲にリモコンなどを置いた「コックピット」を築き…。

このあとの展開は、次回以降の記事でお伝えします。

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