教師になった理由は「つらい思いは自分で最後にしたい」。文字が読めず死すら考えて――発達障害を描いたCMプロデューサーが聞く【連載 #見えない障害と生きる】
ライター:桑山 知之
本連載は、発達障害を描いたドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』でプロデューサーを務めた東海テレビの桑山知之が聞き手となり、さまざまな発達障害の当事者やその家族らと対談するコラムである。連載11回目となる今回は、学習障害(LD)の当事者で、岐阜特別支援学校で地域支援センター長なども務めた神山忠さん(55)に話を聞いた。
「頑張れ、フツウになれ」死を考えていた学生時代
2019年5月、ドキュメンタリーCM『見えない障害と生きる。』の取材で、筆者は初めて神山さんと出会った。「学校の先生が文字読めないなんて、悟られたくない。悟られちゃいけない」「どうやって死のう、ばっかり考えてましたね。『頑張れ頑張れ、フツウになれフツウになれ』って言われ続けると、そういうふうにならざるを得ない」彼は、文字が読めない教師。にこやかな表情とは裏腹に、これまで経験してきた生きづらさが言葉の節々からにじみ出ていた。
岐阜市で生まれ育った、すぐに熱を出してしまう、体の弱い男の子。自分は文字が読めないと知ったのは、小学2年の道徳の授業だった。B4見開きのプリントの文章を読み、感想を書くという課題で、一時間経って読めたのはわずか3~4行だけだった。「ぼくはみんなと違う」――。それからは、どう叱られずに一日を過ごすかが神山少年の課題となった。教科書が丸々覚えられるようにと、3歳上の姉が音読してオープンリールのテープに吹き込んでくれ、擦り切れるまで聴いて授業に臨んだこともあった。それも小学校高学年になると、文量が増えて立ち行かなくなってしまう。
「先生たちにも『あいつはどうしようもないやつだ』って言われて。『学校に来る価値のない人間』とか『教室に入るな』とか、そういった言葉は日常茶飯事で。先生がそういう風にみんなの前で叱って、つるし上げたりすると、クラスの雰囲気もそうなって、いじめられました。みんなにバカにされていました」(神山さん)
神山さんの母親は、端的に言えば世間体を気にしていたという。学校で何かがあると自宅に電話が入り、家に帰れば「あんたなんか産まなきゃよかった」「あんたのせいで近所も歩けない」と罵られた。中学、高校も含めて学生時代は「どうやって死のうか」とずっと考えていた神山さん。紆余曲折を経て選んだ道は、陸上自衛隊。活字とは縁遠い職業だった。
つらい思いは自分で最後に…決断、そして教師へ
18歳の神山青年は、2等陸士として京都・宇治市にある駐屯地にいた。誰も自分のことを知らないところへ行って、人生を再出発させる。体力に自信がある神山さんにとって、文字を使わないこの仕事はまさに天職だった。2年ほど過ごし、自衛隊の中で成人式をやってくれることになった。
「上官が『今までの20年間をしっかりと振り返って、今後どう生きていくか人生設計を立てなさい』と話をしてくれて、考える時間もくださって。そこで、自分のようにあんなにつらい思いをするのは自分で最後にしよう、そういう教育者になりたいな、自分がそういう教育を変えていけるようにしたいなと思ったんです」(神山さん)
「上官が『今までの20年間をしっかりと振り返って、今後どう生きていくか人生設計を立てなさい』と話をしてくれて、考える時間もくださって。そこで、自分のようにあんなにつらい思いをするのは自分で最後にしよう、そういう教育者になりたいな、自分がそういう教育を変えていけるようにしたいなと思ったんです」(神山さん)
すぐに上官と相談して、夜間の短大に通い始めた。朝6時に起きて夕方まで訓練をやったあと、大学に行き、帰ってくるのはいつも23~24時だった。それでも、「同じ苦しみを抱えている子たちを放っておけない」という一心で頑張れた。そして23歳の頃、教員採用試験に合格した。しかし、教え子に対しては、なかなか自分の苦手さを伝えられずにいたという。
「教科書は前日に丸暗記して、読んでいるフリをしていました。技術科の教師だったので、技術科の教科書と、自分が担任するクラスの道徳の授業ですね。行頭の文字とかキーワードだけで、そのあとの文章が出るように覚えたり。丸々暗記しようと思うと大変ですけど、段落の頭でその段落が思い出せるように、ブロックで覚えるのを毎授業やってました」(神山さん)
「教科書は前日に丸暗記して、読んでいるフリをしていました。技術科の教師だったので、技術科の教科書と、自分が担任するクラスの道徳の授業ですね。行頭の文字とかキーワードだけで、そのあとの文章が出るように覚えたり。丸々暗記しようと思うと大変ですけど、段落の頭でその段落が思い出せるように、ブロックで覚えるのを毎授業やってました」(神山さん)
27歳で知った 自分はディスレクシア
自己の学習障害を隠したまま、神山さんは通常学級を6年間受け持った。そんなとき、NHKのとある番組でアメリカの小学校のことが報じられていた。それがディスレクシア(識字障害)だった。
「そこではディスレクシアとかいう言葉は使われていなかったですね。読み障害とかそういう感じ。でもアメリカは移民の国なので、そういう子たちのプログラムで教育は保障できるっていう。その子たちの特性はこうです、というもの全部が自分に当てはまるから、本当に驚きました」(神山さん)
「そこではディスレクシアとかいう言葉は使われていなかったですね。読み障害とかそういう感じ。でもアメリカは移民の国なので、そういう子たちのプログラムで教育は保障できるっていう。その子たちの特性はこうです、というもの全部が自分に当てはまるから、本当に驚きました」(神山さん)
その後、神山先生は特別支援学級を受け持つようになる。テレビでディスレクシアを知って「自分の中でつっかえていたものが取れた」ため、自分の苦手なこともすべてオープンに話した。劣等感を抱えている子どもたちの心に寄り添うことができた。
特別支援学級を5年間受け持ったあと、特別支援学校で17年間にわたり勤務。そして、主幹教諭という立場で3年間、岐阜市内の小中高などを回っていろんなアドバイスや支援をおこなった。いつしか神山さんの存在は全国各地で知られるようになり、講演依頼が絶えないほどになった。現在は、岐阜市内の小学校の用務員をやりながら、子どもたちや保護者らの相談を受けている。
「日本の教育って無意識に人との比較をしてしまっているんですよね。人との比較で自分を評価することを学んでしまっているんです。それよりも、過去の自分と比べる方が自然かなって。もっと言えば、『あなたはそのままでいいんだよ』ではなくて、『あなたはあなただからいいんだよ』って僕は言いたいです」(神山さん)
「日本の教育って無意識に人との比較をしてしまっているんですよね。人との比較で自分を評価することを学んでしまっているんです。それよりも、過去の自分と比べる方が自然かなって。もっと言えば、『あなたはそのままでいいんだよ』ではなくて、『あなたはあなただからいいんだよ』って僕は言いたいです」(神山さん)
桑山知之プロフィール
平成元年愛知県名古屋市生まれ。
慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。
2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。
2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。
主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
慶應義塾大学経済学部在学中からフリーライターとして活動。
2013年に東海テレビ入社後、東京支社営業部を経て、報道部で記者/ディレクター。
2018年から公共キャンペーンのプロデューサーとして「いま、テレビの現場から。」や「見えない障害と生きる。」、「この距離を忘れない。」といったドキュメンタリーCMを制作。
主な受賞歴は、日本民間放送連盟賞CM部門最優秀賞、ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSゴールド、JAA広告賞 消費者が選んだ広告コンクール経済産業大臣賞、ギャラクシー賞CM部門優秀賞、広告電通賞SDGs特別賞など。
東海テレビ 公共キャンペーン・スポット「見えない障害と生きる。」
取材・文:桑山知之
取材協力:若者支援ネットワーク研究会in東海
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