味覚過敏…?小学校の思い出は「給食が怖い」―ー苦しむ僕を救ってくれた恩師への感謝、大人への願い【感覚過敏な15歳社長 連載2】
ライター:加藤路瑛
食べられるものが少なく給食が苦手で学校嫌いに。「好き嫌いの多い子」「わがままな子」「贅沢な子」「弱い子」と思われがちな少食や偏食の原因は味覚過敏かもしれません。他人とは比べられない自分の味覚について、その苦しさを表現できない子どもの生きづらさを考えます。
はじめての給食の日に
こんにちは。加藤路瑛です。僕自身、感覚過敏の特性があることから13歳のときに「感覚過敏研究所」を立ち上げ、感覚過敏の課題解決に取り組んでいます。当事者目線、特に子どもの視点で感覚過敏について話していきたいと思います。今回は連載2回目。学校の給食について、記憶を振り絞ってお伝えします!
小学校に入学して初めての給食の日。僕は、給食の時間に吐いてしまいました。なぜなら、牛乳がまずすぎたのです。牛乳は家でも時々飲んでいましたし、幼稚園でも出ていたような記憶があります。ですので、もともと牛乳が飲めないわけではないはずなのですが、学校の牛乳がぬるくて変な味だと感じました。
初めての給食で吐いてしまったことは、僕のトラウマになったのかもしれません。その後、僕は記憶がありませんが、朝、教室に入れず泣いていたそうです。先生が僕に声をかけたら、「給食が怖い」と言ったそうなのです。(この部分は記憶がなくて、母から聞いたエピソードです)
小学校の記憶はそれほど多くはありませんが、思い出すのは「給食が嫌だ」という負の感情ばかりです。楽しいこともたくさんあったはずですが、15歳の今、小学生の学校での思い出を思い出そうとすると給食への恐怖感ばかりが思い出されます。
初めての給食で吐いてしまったことは、僕のトラウマになったのかもしれません。その後、僕は記憶がありませんが、朝、教室に入れず泣いていたそうです。先生が僕に声をかけたら、「給食が怖い」と言ったそうなのです。(この部分は記憶がなくて、母から聞いたエピソードです)
小学校の記憶はそれほど多くはありませんが、思い出すのは「給食が嫌だ」という負の感情ばかりです。楽しいこともたくさんあったはずですが、15歳の今、小学生の学校での思い出を思い出そうとすると給食への恐怖感ばかりが思い出されます。
小学校入学前も少食・偏食でした
小学校の給食がまずいわけではなく、小さいころから僕はあまりごはんを食べない子どもでした。そのため、親は苦労したようです。つくっても食べないのですから。そのころの僕の感情は思い出せないのですが、食べなくて怒られて泣いていた記憶は少しあります。
僕の小さいころの偏食と母の戦いについては、母が感覚過敏研究所のサイトでコラムを書いているので、よかったら読んでみてください。母と同じように食べない子どもの子育て中の方には響く内容なのだと思います。
僕の小さいころの偏食と母の戦いについては、母が感覚過敏研究所のサイトでコラムを書いているので、よかったら読んでみてください。母と同じように食べない子どもの子育て中の方には響く内容なのだと思います。
幼稚園時代も食べない子どもでしたが、特別困ったという記憶はありません。幼稚園はお弁当の日と給食の日があって、給食は全く食べなかったみたいです。
中学は絶対に給食がない学校に行く
小学1年生のはじめての給食で吐いて以来、僕の中で「給食が嫌」という気持ちが日に日に大きくなっていきました。ある日、友達の家で遊んでいて、学校が楽しいか聞かれたので「給食が嫌だ」とこたえました。そうしたら、側にいた友達のお兄さんが「俺の中学校に来なよ。カフェテリアで好きなもの食べれるよ。カレーとかラーメンもある」と教えてくれました。
決まったメニューを強制されることなく、好きなものが食べられる学校があるなんて!家に帰って、母に言いました。「僕は絶対中学受験をして、カフェテリアがある学校に行くから」
お兄さんには「中学受験しないと入れない学校だから、勉強がんばれよ」と言われました。給食がない学校に行けるなら、なんだってやると思いました。確か、小学1年生の5月くらいの話です。
その日から、苦痛な給食の時間は「中学は絶対給食のない学校にいくんだ。それまでの我慢だ」と思っていました。小学校の6年間がどくれらい長かったかはよくわかりませんが、中学は給食のないところに行けるというのが本当に僕の希望でした。
ただ、今、振り返れば、もっと苦労しない選択はあっただろうと思います。しかし、小学生の僕には他の選択肢があることなんて分かりませんでした。
決まったメニューを強制されることなく、好きなものが食べられる学校があるなんて!家に帰って、母に言いました。「僕は絶対中学受験をして、カフェテリアがある学校に行くから」
お兄さんには「中学受験しないと入れない学校だから、勉強がんばれよ」と言われました。給食がない学校に行けるなら、なんだってやると思いました。確か、小学1年生の5月くらいの話です。
その日から、苦痛な給食の時間は「中学は絶対給食のない学校にいくんだ。それまでの我慢だ」と思っていました。小学校の6年間がどくれらい長かったかはよくわかりませんが、中学は給食のないところに行けるというのが本当に僕の希望でした。
ただ、今、振り返れば、もっと苦労しない選択はあっただろうと思います。しかし、小学生の僕には他の選択肢があることなんて分かりませんでした。