「幼稚園いや!」グレーゾーン娘の激しい登園渋りに休む電話をするのもつらく…そんなとき思わず語りかけたこととは
ライター:とまぱん
こんにちは、とまぱんです。発達グレーゾーンの4歳の娘を育てています。現在娘は年中ですが、年少のころは登園渋りが激しい毎日でした。今回は当時の苦悩と登園渋りが少し和らいだちょっと意外なきっかけを振り返ってお話ししたいと思います。
監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。
1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。
発達ゆっくりな娘、初めての社会へ
発達グレーゾーンの娘は去年の4月、年少さんになりました。入園した当時、娘は3歳半ごろ。単語もたくさん出始め、意思疎通がなんとなくできるようになりました。とは言えスラスラ話せるわけではなく、同じ月齢の子と比べたら明らかに発語はゆっくり。
ある日、娘を教室まで送ると、子どもたちが自分の持ち物を一斉に自慢してくれました。
ある日、娘を教室まで送ると、子どもたちが自分の持ち物を一斉に自慢してくれました。
私は子どもたちのおしゃべりの上手さにびっくり。みんなこんなに自分の言いたいことをちゃんと言葉にできるんだ、と驚きました。それと同時に、こんなに発達の度合いが違う中で娘に友達ができるのだろうか、仲間はずれにされたらどうしよう、と一気に不安が膨らんでしまいました。
入園後すぐに激しい登園渋りで疲労困憊
娘の登園渋りはとても激しく、制服なんて着せられませんでした。着せられたとしても暴れる鯉状態で、紐でぐるぐる巻きにしない限り連れて行くのは無理でした。こういうときは行くのを諦め、幼稚園に休む電話をするのですがこの電話が私には苦痛で…。
初めは体調不良でと言ってましたが、途中から正直に「娘が行き渋ってしまい…」と話しました。そうすると電話に出た先生は「お昼からもし来られたら来てね」と気遣って言ってくださるのですが、変に真面目な私は「お昼から行かせなきゃ!」と思ってしまい。
そうしてまたお昼ごろ登園を試みてまた激しい拒否をされ、2倍の疲れを味わうのでした。幼稚園を休んで家で楽しく過ごしている娘を見て、私は複雑な気持ちになり娘に優しくできませんでした。
初めは体調不良でと言ってましたが、途中から正直に「娘が行き渋ってしまい…」と話しました。そうすると電話に出た先生は「お昼からもし来られたら来てね」と気遣って言ってくださるのですが、変に真面目な私は「お昼から行かせなきゃ!」と思ってしまい。
そうしてまたお昼ごろ登園を試みてまた激しい拒否をされ、2倍の疲れを味わうのでした。幼稚園を休んで家で楽しく過ごしている娘を見て、私は複雑な気持ちになり娘に優しくできませんでした。
「みんなと同じように幼稚園へ行ってほしい」「もう娘と家に二人っきりはつらい」と…。
でも娘が幼稚園を拒否する気持ちも分かります。急に親と離れて大勢の知らない人たちの中で過ごさなければいけないし、周囲の子たちは自分より成長も早くて。娘なりの疎外感、恐怖があるのかなと…。娘に寄り添おうとしてる気持ちと、幼稚園に行かないことへの焦りとで感情がごちゃごちゃでした。
でも娘が幼稚園を拒否する気持ちも分かります。急に親と離れて大勢の知らない人たちの中で過ごさなければいけないし、周囲の子たちは自分より成長も早くて。娘なりの疎外感、恐怖があるのかなと…。娘に寄り添おうとしてる気持ちと、幼稚園に行かないことへの焦りとで感情がごちゃごちゃでした。
教室の前で大声で泣きわめく娘。そんな中、先生に助けられ…
どうにか制服に着替えさせ、幼稚園に登園できた日のこと。教室の前で私と別れるときに案の定、泣きわめいてしまいました。娘は声がものすごく大きいので一気に注目の的に。ほかのお母さんからの視線が痛い….。すると先生が教室から出てきて娘に声をかけてくれました。
先生「ほらとまちゃん見て、鯉のぼり大きいね~いろんな色のがあるね。とまちゃんは何色のが好きかな?」
少し落ち着き始めた娘。また離れるときは泣いてしまいましたが、この時期は何度も先生に助けられたのを覚えています。
先生「ほらとまちゃん見て、鯉のぼり大きいね~いろんな色のがあるね。とまちゃんは何色のが好きかな?」
少し落ち着き始めた娘。また離れるときは泣いてしまいましたが、この時期は何度も先生に助けられたのを覚えています。