登園拒否を経験した発達障害娘。場所見知り、人見知り、見通し不安…親子で追い詰められないために【専門家によるアドバイスも】
ライター:古都 コト子(koto)
こだわりや過敏などが強い子どもたちにとって、集団生活は大変な思いをすることも多く、園や学校に行きたがらなかったり、行けなくなってしまったりする場合もあると思います。保護者にとっても、仕事や子どもの集団生活の場がなくなる不安などから、とても深刻な問題になります。娘も「行きたくない」と言う日があります。
監修: 初川久美子
臨床心理士・公認心理師
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
臨床心理士・公認心理師。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。在学中よりスクールカウンセリングを学び、臨床心理士資格取得後よりスクールカウンセラーとして勤務。児童精神科医の三木崇弘とともに「発達研修ユニットみつばち」を結成し、教員向け・保護者向け・専門家向け研修・講演講師も行っている。都内公立教育相談室にて教育相談員兼務。
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
場所見知り・人見知りのある娘
発達障害のある娘は、療育に行き始めたばかりの幼児期に場所見知り&人見知りがあり、1年近く行き渋りをすることがありました。療育園だったので、娘にとって過ごしやすく楽しい場所になるようにたくさんの配慮がなされていたのですが、それでもこの世の終わりのように泣き叫び、そんな娘を無理矢理連れて行くことに疑問を感じる日も多々ありました。
これが学校のように義務とされている場所だったら、行き渋りはとても悩ましい問題だったと思います。通っていた療育園では、行き渋る子どもはパジャマのまま登園しても許され、活動に参加できないときも寄り添ってくれる先生がいました。そのうちに、娘も安心して心を開けるようになったのか、3年目からはむしろ喜んで行くようになりました。家族以外の人に心が開けるようになったのは良かったですが、時間が必要でした。
これが学校のように義務とされている場所だったら、行き渋りはとても悩ましい問題だったと思います。通っていた療育園では、行き渋る子どもはパジャマのまま登園しても許され、活動に参加できないときも寄り添ってくれる先生がいました。そのうちに、娘も安心して心を開けるようになったのか、3年目からはむしろ喜んで行くようになりました。家族以外の人に心が開けるようになったのは良かったですが、時間が必要でした。
行き渋りから登園拒否へ
娘はどの療育園でも大好きな先生やお友達と楽しく過ごせるようになりましたが、年齢が上がるにつれ、合理的配慮や手厚い支援の少ない場所で過ごすことに対し、不安感や拒否反応を示すようになりました。
療育園での過ごしやすさと比べてしまい、娘にとって居心地の悪さを強く感じる場所だったようです。みんなと同じように過ごすため、最初はかなり頑張っていましたが、徐々に「行きたくない」とこぼすようになりました。そして、それは行き渋りから登園拒否へとつながっていきました。
療育園での過ごしやすさと比べてしまい、娘にとって居心地の悪さを強く感じる場所だったようです。みんなと同じように過ごすため、最初はかなり頑張っていましたが、徐々に「行きたくない」とこぼすようになりました。そして、それは行き渋りから登園拒否へとつながっていきました。
コロナ禍ならではの不安も
朝起きると「行きたくない」と言い、朝ごはんを食べさせたり着替えをさせることが困難でした。それでも園に行けば楽しいこともあるので、必死に説得しながら身支度をしていました。また、ご褒美を用意しておくことが有効だったので、毎朝、行き渋る娘に「今日は帰りに〇〇(娘の好きなおやつ)を買って帰ろう」「次のお休みは〇〇(娘の好きな場所)に連れて行ってあげる」と声を掛け、やる気を引き出していました。
コロナ禍では、「健康な児童であっても休めるときはなるべく休ませてください」といった休園要請が出たためお休みする子どもが多くなり、娘もその影響で休園要請が終わっても休みたがる日がグッと増えました。今日は休めるのか休めないのか、クラスメイトは誰が来ているのか、当日になるまで分からないコロナ禍での日々は、ルーティーンを大事にする娘にとって、とても不安な毎日です。
コロナ禍では、「健康な児童であっても休めるときはなるべく休ませてください」といった休園要請が出たためお休みする子どもが多くなり、娘もその影響で休園要請が終わっても休みたがる日がグッと増えました。今日は休めるのか休めないのか、クラスメイトは誰が来ているのか、当日になるまで分からないコロナ禍での日々は、ルーティーンを大事にする娘にとって、とても不安な毎日です。