「発達障害かも」実母と義母へカミングアウトして後悔。私がほしかったのは「アドバイス」ではなくて…
ライター:星河ばよ
長男の発達特性のことを私の母や夫の母に話したとき、とても緊張しました。どんな反応をするのか、これまでと変わらず長男を受け入れてくれるのか、本当に怖かったです。
何しろ当時私自身もまだ受け入れられていなくて…(今は全然平気!)
監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。
1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。
子どもの発達特性の告知について
これはあくまで私の個人的な考えですが、周囲の人に必ずしも子どもの発達特性について告知しなければいけないとは思いません。
言うのがつらいなら無理をすることはないし、言って気持ちが少しでも楽になる、あるいは周囲の理解を得たい場合には言ってもいいと思います。
ただし、心から信頼する相手がいいのかなとは思います。
言うのがつらいなら無理をすることはないし、言って気持ちが少しでも楽になる、あるいは周囲の理解を得たい場合には言ってもいいと思います。
ただし、心から信頼する相手がいいのかなとは思います。
私は、長男に発達特性があるかもしれないと保育園から指摘されたとき、母や夫の母にその事実を伝えました。
ただそれは長男のことを理解してほしい、というよりは、今は自分一人ではとても持てそうにないこの”現実”を、一緒に持ってほしい(分かち合ってほしい)という精一杯な気持ちからでした。
ただそれは長男のことを理解してほしい、というよりは、今は自分一人ではとても持てそうにないこの”現実”を、一緒に持ってほしい(分かち合ってほしい)という精一杯な気持ちからでした。
長男の「発達障害かも」二人の祖母の反応
母とは3ヶ月に1回ほど会っています。ある日、母が私の家に来たときに、以下のことを伝えました。
・保育園の先生に療育センターをすすめられたこと
・長男は周りの子どもたちとは様子が違うこと
・長男に発達障害があるかもしれないということ
・保育園の先生に療育センターをすすめられたこと
・長男は周りの子どもたちとは様子が違うこと
・長男に発達障害があるかもしれないということ
言いながら私は母の顔色をうかがっていました。伝え終わると母は冷静にこう言いました。
「それは療育センターに行った方がいいんじゃないの?」
母は保育園に勤めています。そのため保育園での長男の様子がなんとなく想像できたのかも。
母の表情からも長男を否定するような気持ちはなさそうで、ホッとしました。
ただその後も続けて母は何か言っていたけど、私はもう耳が閉じてしまい何も聞こえてきませんでした…。
「それは療育センターに行った方がいいんじゃないの?」
母は保育園に勤めています。そのため保育園での長男の様子がなんとなく想像できたのかも。
母の表情からも長男を否定するような気持ちはなさそうで、ホッとしました。
ただその後も続けて母は何か言っていたけど、私はもう耳が閉じてしまい何も聞こえてきませんでした…。
夫の母にも同じように長男のことを伝えたところ、私の母と全く同じ反応でした。
「そうなの。それは療育センターに連れて行ってあげた方がいいんじゃないの?」
と義母は言いました。
「そうなの。それは療育センターに連れて行ってあげた方がいいんじゃないの?」
と義母は言いました。
アドバイスのような言葉はつらかった
今思えば実母と義母の反応はありがたいものだったかもしれません。なかなか長男の発達障害を受け入れられない私に反して、否定せずスッと受け入れてくれた二人の祖母。
けれどもそのときの私はいっぱいいっぱいで、「療育センターに連れて行った方がいい」というアドバイスのような言葉はただただつらいものでした。言われなくても十分に分かっていたから。
できればただ「そうだったんだね」とだけ言ってもらえれば私は救われたと思います。
けれどもそのときの私はいっぱいいっぱいで、「療育センターに連れて行った方がいい」というアドバイスのような言葉はただただつらいものでした。言われなくても十分に分かっていたから。
できればただ「そうだったんだね」とだけ言ってもらえれば私は救われたと思います。
実母と義母にはそれきり長男のことを相談しませんでした。二人からも特に長男のことをそれ以上聞かれることはなく、そっとしておいてくれたのは私にとってよかったです。
もし会いに行くたびに「その後どうなの?」などと聞かれていたら足が遠のいたかもしれません。当時の私はそのくらいふさぎ込んでしまっていました。
もし会いに行くたびに「その後どうなの?」などと聞かれていたら足が遠のいたかもしれません。当時の私はそのくらいふさぎ込んでしまっていました。