発達凸凹娘がうつ発症で命の危機!?激やせ、不眠、投薬で錯乱…家族で支えた回復までの軌跡
ライター:ラクマ/ワッシーナ/ニャーイ
わが家は家族のほぼ全員が個性いろいろな発達凸凹タイプです。それぞれの特性をキャラクター化しており、動物の顔をしています。
今回は、長女ニャーイが社会人になったばかりの16年ほど前のエピソードです。
(今回のイラストは父ラクマが担当しました!)
監修: 井上雅彦
鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授
LITALICO研究所 スペシャルアドバイザー
ABA(応用行動分析学)をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉スペクトラム症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のためのさまざまなプログラムを開発している。
LITALICO研究所 スペシャルアドバイザー
親子で心療内科を受診して、まさかの診断を受ける
わが家は母である私・ワッシーナを筆頭に、家族のほぼ全員が個性いろいろな発達凸凹タイプです。それぞれの特性をキャラクター化しており、動物の顔をしています。
スケジュール管理の苦手さから、商業デザインのイラストレーターになる夢を諦めた長女ニャーイは、新たに「教師になる」という目標を見つけ、努力を続けていました。アメリカの大学を卒業し日本に帰国すると、ニャーイは地元のインターナショナルスクールの教師として採用されました。憧れ続けていた教師の仕事でしたから、ニャーイは張り切って働いていました。
ところが勤務が始まってから数ヶ月過ぎたあたりから、だんだんとニャーイの元気がなくなっていきました。半年も経つと顔色が悪くなり、体重が10キロも落ちてしまいました。本人に「体調が悪いの?」と聞くと「大丈夫、疲れているだけ」と答えました。
ある日のことです。ニャーイは、授業で使う教材や書類を山のように抱えて帰ってきていました。玄関から「ただいま」の声が聞こえたのに、いくら待っても家族が夕食中の居間に入ってきません。気になって見に行くと、ニャーイは書類や鞄を手に持ったまま、玄関に倒れています。私は怪我でもしたのかと驚いて駆け寄りましたが、なんとニャーイは熟睡していたのでした。
そのうち、どうやらニャーイは夜眠れていないようだということが分かってきました。夫のラクマがニャーイの体調をかなり心配して、本やネットで調べたり、似た症状の人への聞き取りを重ねたりした結果を私に伝えました。
「ニャーイはもしかしたら、うつかもしれない。仕事を休んで心療内科を一緒に受診する」とラクマは言いました。ニャーイは受診することをとても嫌がりましたが、ラクマと2人で説得し、私も同行して3人で受診しました。
その結果、うつの中期だと診断されました。医師は「仕事ができる状態ではありません。明日から半年間、休職してください。半年で回復できない場合は、さらに半年間休職してください」と告げました。私とラクマとニャーイは、とても驚きました。まさかそこまで進行しているとは想像していなかったのです。
ラクマは「発達障害の二次障害でうつを発症したのでは?」と質問しましたが、医師は首をひねるばかりで明快な答えはありませんでした。当時、わが家の地元では、大人の発達障害を診断・治療する病院がほぼないという状態でした。発達凸凹問題に取り組んだばかりの私たちは、そんなことも知りませんでした。
診察を終えて自宅に帰ると、ニャーイは激しく落ちこみました。「私は普通よ。うつでも発達障害でもない」と言うばかりで現実を受け止めることができませんでした。
スケジュール管理の苦手さから、商業デザインのイラストレーターになる夢を諦めた長女ニャーイは、新たに「教師になる」という目標を見つけ、努力を続けていました。アメリカの大学を卒業し日本に帰国すると、ニャーイは地元のインターナショナルスクールの教師として採用されました。憧れ続けていた教師の仕事でしたから、ニャーイは張り切って働いていました。
ところが勤務が始まってから数ヶ月過ぎたあたりから、だんだんとニャーイの元気がなくなっていきました。半年も経つと顔色が悪くなり、体重が10キロも落ちてしまいました。本人に「体調が悪いの?」と聞くと「大丈夫、疲れているだけ」と答えました。
ある日のことです。ニャーイは、授業で使う教材や書類を山のように抱えて帰ってきていました。玄関から「ただいま」の声が聞こえたのに、いくら待っても家族が夕食中の居間に入ってきません。気になって見に行くと、ニャーイは書類や鞄を手に持ったまま、玄関に倒れています。私は怪我でもしたのかと驚いて駆け寄りましたが、なんとニャーイは熟睡していたのでした。
そのうち、どうやらニャーイは夜眠れていないようだということが分かってきました。夫のラクマがニャーイの体調をかなり心配して、本やネットで調べたり、似た症状の人への聞き取りを重ねたりした結果を私に伝えました。
「ニャーイはもしかしたら、うつかもしれない。仕事を休んで心療内科を一緒に受診する」とラクマは言いました。ニャーイは受診することをとても嫌がりましたが、ラクマと2人で説得し、私も同行して3人で受診しました。
その結果、うつの中期だと診断されました。医師は「仕事ができる状態ではありません。明日から半年間、休職してください。半年で回復できない場合は、さらに半年間休職してください」と告げました。私とラクマとニャーイは、とても驚きました。まさかそこまで進行しているとは想像していなかったのです。
ラクマは「発達障害の二次障害でうつを発症したのでは?」と質問しましたが、医師は首をひねるばかりで明快な答えはありませんでした。当時、わが家の地元では、大人の発達障害を診断・治療する病院がほぼないという状態でした。発達凸凹問題に取り組んだばかりの私たちは、そんなことも知りませんでした。
診察を終えて自宅に帰ると、ニャーイは激しく落ちこみました。「私は普通よ。うつでも発達障害でもない」と言うばかりで現実を受け止めることができませんでした。
強い副作用で錯乱し、大きなピンチをなんとか切り抜ける
職場に診断書を提出し、休職願いが受理され、ニャーイの長い自宅療養が始まりました。
ところが処方された薬はニャーイに合わなかったようで、かなり激しい副作用に悩まされました。薬を服用したニャーイはまっすぐ歩くことができず、トイレはあっちこっちにぶつかりながら、ときには這って行くありさまです。友人や知人に電話をかけまくるものの、本人は自分の言動についてまったく記憶も自覚もありません。ほとんど錯乱状態なのです。ラクマは心配して私に「頼むからしばらく仕事を休んで、つきっきりでニャーイを見ていてくれないかな」と頼んできました。
結果的にニャーイのひきこもり生活は2年半、続きました。日中はほとんど外出できないのに深夜に家を飛び出したり、誰もいない原野で倒れたり、夜の海に身を投げようとしたりして、命の危機が2度ありました。
その都度、ニャーイは婚約者に命を助けられました。1度目は偶然通りかかり、2度目は事前に危機を察知して駆けつけてくれました。この婚約者は、その後、ニャーイが回復してから結婚しました。それが婿ゴリマッチョです。
ところが処方された薬はニャーイに合わなかったようで、かなり激しい副作用に悩まされました。薬を服用したニャーイはまっすぐ歩くことができず、トイレはあっちこっちにぶつかりながら、ときには這って行くありさまです。友人や知人に電話をかけまくるものの、本人は自分の言動についてまったく記憶も自覚もありません。ほとんど錯乱状態なのです。ラクマは心配して私に「頼むからしばらく仕事を休んで、つきっきりでニャーイを見ていてくれないかな」と頼んできました。
結果的にニャーイのひきこもり生活は2年半、続きました。日中はほとんど外出できないのに深夜に家を飛び出したり、誰もいない原野で倒れたり、夜の海に身を投げようとしたりして、命の危機が2度ありました。
その都度、ニャーイは婚約者に命を助けられました。1度目は偶然通りかかり、2度目は事前に危機を察知して駆けつけてくれました。この婚約者は、その後、ニャーイが回復してから結婚しました。それが婿ゴリマッチョです。
ペアトレを基本に工夫し、絵本づくりをきっかけに社会復帰を実現
休職から1年が過ぎて、一進一退を繰り返しながらも、ニャーイは次第に落ち着いてきました。私とラクマは代わる代わるニャーイに話しかけつつ、朝の散歩から回復の第一歩をスタートしました。
朝の爽やかな空気の中、私はニャーイと二人でおしゃべりをしながら、公園を歩いていました。すると、ニャーイはしきりに時間を聞いてきます。私が「なぜ時間が気になるの?」と聞くと「お父さんとお母さんが『ニャーイは時間の感覚がない』と言っていたことは本当だと今は分かる」と言うのです。
今振り返ると、夫婦で受講したペアレント・トレーニングで身につけた、子どもの言動を認めてオーバーに励ますという環境づくりの結果が出てきていたのかもしれません。ニャーイは自分から「発達障害の相談機関に通いたい」と伝えてきました。少しずつ、自分の特性に向き合おうとしているようでした。
このように、次第に前向きに変わっていったニャーイでしたが、気分のアップダウンはまだまだ残っており、体調も安定しておらず、就労にはまだ遠いという感じでした。
そこでラクマと相談した結果、家族みんなで知恵を出し合って絵本づくりをしようと決めました。ニャーイが子どもの頃から一番得意な絵を描くことで社会復帰の足がかりになるのではないかと考えました。絵本は、わが家の家族が発達凸凹に気づいてから元気になり、それぞれが個性を発揮していくというストーリーで、数年かけて3冊作りました。
ニャーイはかなり苦しそうでしたが、きょうだいたちの励ましを受けて、なんとか仕上げることができました。この絵本づくりをきっかけにしてニャーイは立ち直り、苦手な事務作業のない英会話のレッスンコーチの仕事につきました。
その後、この絵本をネットで公開したところ地元新聞社の目にとまり、紙上でのマンガ・エッセイの連載が始まり、やがて出版社から書籍化されました。
朝の爽やかな空気の中、私はニャーイと二人でおしゃべりをしながら、公園を歩いていました。すると、ニャーイはしきりに時間を聞いてきます。私が「なぜ時間が気になるの?」と聞くと「お父さんとお母さんが『ニャーイは時間の感覚がない』と言っていたことは本当だと今は分かる」と言うのです。
今振り返ると、夫婦で受講したペアレント・トレーニングで身につけた、子どもの言動を認めてオーバーに励ますという環境づくりの結果が出てきていたのかもしれません。ニャーイは自分から「発達障害の相談機関に通いたい」と伝えてきました。少しずつ、自分の特性に向き合おうとしているようでした。
このように、次第に前向きに変わっていったニャーイでしたが、気分のアップダウンはまだまだ残っており、体調も安定しておらず、就労にはまだ遠いという感じでした。
そこでラクマと相談した結果、家族みんなで知恵を出し合って絵本づくりをしようと決めました。ニャーイが子どもの頃から一番得意な絵を描くことで社会復帰の足がかりになるのではないかと考えました。絵本は、わが家の家族が発達凸凹に気づいてから元気になり、それぞれが個性を発揮していくというストーリーで、数年かけて3冊作りました。
ニャーイはかなり苦しそうでしたが、きょうだいたちの励ましを受けて、なんとか仕上げることができました。この絵本づくりをきっかけにしてニャーイは立ち直り、苦手な事務作業のない英会話のレッスンコーチの仕事につきました。
その後、この絵本をネットで公開したところ地元新聞社の目にとまり、紙上でのマンガ・エッセイの連載が始まり、やがて出版社から書籍化されました。