小2まで娘の発達の凸凹に気づかず、失った母としての自信。コロナ禍で分離不安症、睡眠障害…自閉症娘、小6の今は

ライター:スパ山
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小6の長女「姉子」は自閉スペクトラム症、知的ボーダー、場面緘黙、小3の長男「ハジュ」は自閉スペクトラム症、ADHD、小1の次女「にの」は発達グレーゾーン、3人全員が発達凸凹があるわが家の子どもたち。
今回は小6の長女「姉子」が発達障害と診断されるまでをお話しようと思います。

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監修: 森 しほ
ゆうメンタル・スキンクリニック理事
ゆうメンタルクリニック・ゆうスキンクリニックにて勤務。産業医として一般企業のケアも行っている(産業医のご依頼を随時受付中)。 ・ゆうメンタルクリニック(上野/池袋/新宿/渋谷/秋葉原/品川/横浜/大宮/大阪/千葉/神戸三宮/京都/名古屋):https://yuik.net/ ・ゆうスキンクリニック(上野/池袋/新宿/横浜):https://yubt.net/ ・横浜ゆう訪問看護ステーション(不登校、引きこもり、子育て中の保護者のカウンセリング等お気軽に):https://yokohama.yuik.net/shinyoko-houkan/

寝つきが悪い、激しい後追い…赤ちゃんの頃から繊細だった長女。初めての育児で悩み続けた日々

現在小学6年生のわが家の長女『姉子』は、赤ちゃんの頃からとにかく繊細な子どもでした。一日のなかでも機嫌の良い時間が短く、寝つきも悪い、やっと寝たかと思ってもすぐ起きては泣き、手間暇かけてやっと熟睡に持ち込んでも、“膝のパキ音”だけで完全覚醒するような赤ちゃんでした。
私は姉子が初めての育児だったので「赤ちゃんとはこういうものなんだ」と思っており、どうにかご機嫌になってくれないかと日々試行錯誤していました。

そして、姉子がハイハイできるようになると、トイレも食事もできないほどに私を追いかけて来て、後追いがかなりひどかったと思います。言葉が出るのも少しゆっくりだったものの、1歳半健診の時には「姉子ちゃーん」の呼びかけに3回に1回くらいの成功率で「はい」と返事ができていました。

それでも日常的に機嫌はあまり良くなく、なんで泣いているのか、なにが正解なのか、なにをすれば笑ってくれるのか……。子どもが産まれたら『いいお母さんになりたい』と強く思っていたことも重なって、私は悩み続けていました。
膝の「パキッ!」と鳴った音だけで覚醒していた赤ちゃんの頃。
眠っていたはずなのに……!
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小学1年生の冬、「発達検査を受けてみては?」と担任から急に言われて

2歳3歳と年齢が上がるにつれ、夜泣きや後追いは少しづつ減っていきました。そして姉子が3歳の時に弟が生まれ、年少から幼稚園に通うようになると、「お姉さんになった」という自信をつけたようで、楽しく幼稚園生活を送っていました。

年少の途中で夫の仕事の都合で転勤があり引っ越しをしましたが、転園した幼稚園でもすぐに馴染んでいたように見えました。相変わらず言葉はゆっくりだったものの、少しづつ増え、コミュニケーションがとれるようになってからは笑顔になってくれることも多くなりました。私はそんな娘を見て「ひょうきんで明るい子になったなあ」、とうれしく思っていました。

しかし、小学校に入学してすぐに行き渋るようになりました。そのため、私がつき添って登校をして、校門まで先生に迎えに来てもらうという形で小学校生活をスタートしました。私は「小学生の頃は、最初はこんなもんだろう」と、のん気に思っていて、その時は何も心配していませんでした。

まさかこの子が? 学校での姿を聞いて

そして小学1年生の冬、個人懇談会で担任の先生から学校での様子を聞いて、本当に姉子のことなのかと私は耳を疑いました。全体指示が伝わりにくい、少しのことで大泣きする、ほとんどのテストが白紙、授業中に教室から飛び出して校舎の外で泣いていたなど……。

そして担任の先生から「発達検査(WISC)を受けてみてはどうでしょうか」と言われ、そこで初めて姉子にも発達障害があるのかもしれないと思いました(弟のハジュが既に発達障害の診断を受けていた)。
まさに寝耳に水。いや、寝耳に氷水くらいの衝撃でした。正直なところ「あ、この子もか」と目の前が真っ暗になりました。そして同時に、乳児期からの育てにくさを思いだし、何となく腑に落ちる点もありました。

すぐに発達支援センターへ相談に行き、2年生になってすぐWISCを受けました。結果はかなり凸凹があり、これまで相当しんどい思いをしてきたのではないかということが分かりました。私は姉子に申し訳ない気持ちでいっぱいで、今まで気づかなかった自分をすごく責めました。そして、わずかにあった母親としての自信のようなものを完全に失ったのでした。
小学1年生の冬に担任の先生から「発達検査を受けてみては」と言われ、戸惑う母。
まさか……、と思った瞬間
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小学2年生で自閉スペクトラム症と診断。ストレスがかかり、分離不安症と睡眠障害にも……

発達検査を受けた翌年、姉子が小学2年生の夏にまた転勤がありました。今度は地方から都心部への引っ越しです。姉子も、都会の小学校に転校したことで環境がガラリと変わりました。

姉子は、ストレスからか眠れないことが増え、食事もとれたりとれなかったり……。学校も休みがちになっていきました。そして、引っ越しをしたことで病院も変わり、また一から診察予約をして順番待ちをすることに。発達外来の予約が取れたのは、なんと9ヶ月後でした。
その頃には、姉子は小学3年生になっていました。やっと初診の日を迎え、そこからまた検査の予約を取り、2回目のWISCを受けました。やはり凸凹がある結果となり、そこで自閉スペクトラム症と診断されました。

コロナ禍の強い不安で、学校はおろか外出さえできない状態に

さらにコロナ禍で、学校や世の中のただごとではない雰囲気を感じ取った姉子は、登校することはおろか、外出もできなくなりました。

姉子はただでさえ小柄なのにどんどん痩せていき、夜泣きをするようになりました。そんな姉につられるようにきょうだいたちも夜泣きをして、寝不足から家族全員が「ここはどこ? 私は誰?」みたいな状態で、ぼんやりした日々を送っていました(当時の記憶があやふやです)。

そして、何度目かの通院で姉子は分離不安症と睡眠障害の診断を受け、投薬治療を開始することになりました。医師から診断を受けた時、私の想像をはるかに超えた不安を娘は感じているのだと知り、「この子が消えてしまうのではないか」という気持ちに襲われました。そして、「なんとかして生きてほしい、この子を助けたい」と必死でした。
転校とコロナ禍で強いストレスがかかり、姉子は分離不安症と睡眠障害だと医師から診断された。
この子を助けたい……!
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小学3年生で再び転勤。3つ目の小学校へ転入

そして姉子は、だんだんと回復に向かい、母子登校をしつつ学校にも足が向くようになりました。声をかけてくれるクラスメイトもいて、手を振ったりできるまでになりました。食事や睡眠がとれるようになると、笑顔になることも増え、周囲の協力もあって少しずつ姉子らしさを取り戻していきました。しかし、やっと2つ目の小学校にも慣れてきたタイミングで、またもや夫に転勤辞令が出たのです。

慣れてきてこれから……! というタイミングでまた転勤

姉子は小学3年生で、3つ目の小学校へ転入しました。
ここでも母子登校を続けていましたが、やはり環境の変化が与える影響は大きかったようです。すぐ家にこもるようになりました。

私は、「前の学校の転入時のようになってはならない!」と思い、SNSやインターネット、役所や病院など……思いつく限りの所で相談をして情報を集めました。そして姉子と一緒に悩みに悩みぬいて、小学4年生に進級するタイミングで特別支援学級へ転籍をしました。

小学6年生になった現在は

4年生で特別支援学級に転籍した頃は、最初は母子登校から始めました。じっくりゆっくり姉子のペースに合わせて、『焦らずあきらめず、ときどきほんの少し背中を押す』というスタイルで、先生方にも協力していただきました。

6年生になった現在では、学校の委員会活動をしたり、下級生の子どもたちの面倒を見たり、私から離れて修学旅行に行ったり(心配で私のほうが一睡もできず(笑))と、姉子の成長に驚きの毎日です。

何度もぶつかった大きな壁をぶち破ってはないけれど、その壁に緩やかな階段をつくってみんなでゆっくり乗り越えてきたから今の姉子が笑っているんだなと思います。
この個性にあふれる姉子と出会えたこと、どこでもなく、私のもとに生まれてきてくれたことを感謝しています。『いいお母さんとは何なのか』、それは今も分からないのですが、これからも子どもたちの一番の味方でいたいと思っています。
小学6年生になった現在の姉子。
私のもとに生まれてきてくれて、ありがとう。
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執筆/スパ山

(監修:森先生より)
環境の変化には、大人だって戸惑いがあります。スパ山さんのように、役所や病院などで相談をしてできる限りの情報を集め、頼れるところは全て頼る姿勢はとても大切です。
ゴールは「学校に行くこと」ではありません。お子さんが笑顔で過ごせるように、お子さんのペースを尊重しながらゆっくり環境に慣れることができるよう、まずは睡眠食事などの生活を整えていくことです。
「何度もぶつかった大きな壁をぶち破ってはないけれど、その壁に緩やかな階段をつくってみんなでゆっくり乗り越えてきた」と言える子育て、大変素晴らしいですね。
前の記事はこちら
https://h-navi.jp/column/article/35029633
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(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。

※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

知的発達症
知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

ADHD(注意欠如・多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。


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