小3から不登校だった息子、学びの多様化学校へ。文化祭で活躍、生徒会長に!?変化に驚いた中学校生活

ライター:あき
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わが家の息子・コチ丸は小3の時にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断されています。
中学受験を終え、学びの多様化学校(不登校特例校)の私立中学に入学したコチ丸。小学校にはほとんど通えていなかったこともあり、私の気持ちの中では「ここで変わってくれたら良いな」という思いの反面、「通えなかったとしても受け止めよう」という覚悟もしていました。
通えなかったとしても、一緒に次の道を考える気持ちの切り替えがすぐできるような準備をしておこうと自分に言い聞かせて過ごしていました。

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監修: 新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
2003年信州大学医学部卒業。小児科医師として、小児神経、発達分野を中心に県内の病院で勤務。2010年信州大学精神科・子どものこころ診療部で研修。以降は発達障害、心身症、不登校支援の診療を大学病院及び一般病院専門外来で行っている。グループSST、ペアレントトレーニング、視覚支援を学ぶ保護者向けグループ講座を主催し、特に発達障害・不登校の親支援に力を入れている。 多様な子育てを応援するアプリ「のびのびトイロ」の制作スタッフ。

全てが初めてで手探り状態……。コロナ禍でオンライン授業から始まった中学校生活!

小学校の卒業式の1か月くらい前から新型コロナウイルス感染症の流行が始まりました。小学校の卒業式はなんとか行えたものの、せっかく入った中学校もどうなるのかいろいろな意味で想像がつかない状態でした。

コチ丸が入学した私立中学は「学びの多様化学校」(当時の名称は「不登校特例校」)でした。不登校の児童生徒に配慮して特別に編成された教育課程に基づく教育を行う学校だったため、オンライン授業もすでに導入されていました。当時、日本各地の小中学校でタブレットの導入が始まった時期でしたが、コチ丸の学校では入学当初からタブレットが配られており、当たり前のようにオンラインでの授業が始まりました。

オンライン授業では、授業開始時に名前を呼ばれたら返事をするなど、いくつかの決められた規定を守れば授業に出席したことになります。理解ある上司に恵まれたこともあり、オンライン授業に慣れるまでは、会社にコチ丸を連れて行かせてもらい個室を借りて授業を受けるなど、周囲の協力も得ながら学習を習慣づけるようにしていきました。

秋口からは、いよいよ学校での授業が始まりましたが、ほとんどの生徒は引き続き自宅からオンラインで授業を受けていました。コチ丸は、田舎の自宅からバスと電車を乗り継ぎ、片道約2時間くらいの道のりを通うことになりました。最初は週に2~3日ほどは学校へ通い、残りは自宅でオンライン授業を受けるという通い方をしていました。

また、小学校の時からそうでしたが、「今日は学校行く?」という声かけでコチ丸の意思を確認する毎日でした。それがどんな回答でも受け入れ、「今日は何して過ごすの?」と聞き、本人の意思を尊重するようにしました(もちろん、コチ丸が計画通りに動くことはほとんどないのですが……)。
バスと電車で片道2時間かけての通学。母は心配だったけれど……
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好きなドラムを武器に大活躍した文化祭で学校生活も一変!

そんな中、コチ丸の学校生活を大きく変える、おそらく地元の中学では体験できなかった出来事が2つありました。

1つは部活動です。ドラムを習って1年ほど経っていたコチ丸は、地元の中学校にはなかった、軽音楽部に入ることを入学前から楽しみにしていました。入学後はもちろん、軽音学部に入部。初めての文化祭では、1年生ながら先輩たちと共にステージに立ち、会場を沸かせていました。

そしてもう1つは、軽音楽部で同じバンドのメンバーになった先輩たちに勧誘されて、生徒会に立候補したことです。元来、目立つことが嫌いじゃないコチ丸の性格も幸い(?)して、コチ丸は学年でも一目置かれる存在になっていきました。1年生の後半から生徒会活動にずっと参加するようになり、3年生では生徒会長として活躍をしました。

振り返れば小学校の時のコチ丸からは想像もつかない変貌でした。
部活動や生徒会活動にも参加。小学校時代からは考えられない変貌
部活動や生徒会活動にも参加。小学校時代からは考えられない変貌
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徐々に安定してきた特性の凸凹や多動な行動。でも勉強は相変わらず……

中学校に通うようになると、小学校時代とは打って変わって、席にもちゃんと座り(よく居眠りはしていましたが……)、教室を飛び出すことなく授業も受けられるようになりました。年齢を重ねたせいで落ち着いたというのもあったと思いますが、授業や行事の内容がユニークだったのが良かったのかもしれません。例えば歴史の授業では教科書通りに進むのではなく、自分で興味のある時代や出来事について、とことん調べてまとめて発表するという課題が出ました。あんなに文字を書くのが苦手だったコチ丸がポスターサイズくらいある紙に、びっちり書きこんでいたのを見た時には正直驚きました。

しかし、小学校3年間の不登校での勉強の遅れは、なかなか取り戻すことはできませんでした。保護者の中には高校からは普通科高校に通ってほしいと考える方もいましたが、わが家は高校に行かないならそれでも良いと思っていました。本人が必要だと思ったときに勉強をすれば良いと思っていましたし、それが例え社会人になってからでも遅くはないと思っていました。

私がここまできて気がついたのは、学校の学年は目安でしかなくて、その子その子に合った学ぶ年齢があるということでした。しかもその学びは「Aを最初に学ぶ子」もいれば、「Bを最初に学ぶ子」もいたりして、みんなバラバラなんだなということです。

あんなに小学校で暴れていたコチ丸も中学に入ったらすっかり落ち着き、人付き合いも上手になっていました。このまま高校に行かずに社会に出ても、案外うまくやっていけるのかもしれないなという雰囲気すらありました。
小学校の時とは打って変わって、勉強にも進んで取り組むように
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