不登校の息子と卒業式。小学校と特別支援学校、大きく違った学校の対応と親子の本音

ライター:花森はな
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自閉スペクトラム症(ASD)と強度行動障害のある息子は、小学校3年生の3学期から登校が難しくなり、不登校になりました。その後、再登校や不登校を繰り返し、特別支援学校中等部を卒業後、現在は通信制高校に在籍しています。今回は、小学校と特別支援学校中等部で、卒業式という特別な日にどのような配慮や対応をしていただいたのかを、当時のことを振り返りながらお話していこうと思います。

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監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。 1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。

不登校の子どもの卒業式、どんな形が正解?

息子が本格的な不登校になったのは、コロナ禍1年目の小学校6年生の時でした。相次ぐ臨時休校や分散登校、マスク登校というこれまでの日常からかけ離れた生活の中で、もともと息苦しかった学校生活がさらに息苦しくなりました。それでも「友だちに会いたい」と頑張って登校していた時期もあったのですが、日々変わりゆく学校の決まりごとに戸惑い、特別支援学級の新しい先生の指導方法が息子には合わず、支援教室にたった一人で取り残されることが多くなり、とうとう限界が来て登校できなくなってしまいました。

「卒業式をどうするか」という話を持ちかけられたのは、3学期の始めでした。その頃、特別支援学級に所属はしていたものの、担当の先生とのコミュニケーションが難しく、ほとんど会話ができない状態だったため、提案してきたのは学校管理職である教頭先生でした。私は息子の気持ちと心身の状態が第一だったので、正直卒業式などどうでもよく「息子が出たいなら全力でサポートするけども、出たくないなら出なくてもよい」というスタンスでした。

学校側から出していただいた提案はこんな感じでした

・頑張って卒業式に出る
・卒業証書授与だけでも出る
・卒業式終了後に校長室で卒業証書授与を行う
・卒業式終了後に体育館にて教職員のみで簡易卒業式を行う

全てが出席を前提とするもので、人前や集団が難しい息子の状態を考えるととてもじゃないけれど現実的と思えませんでした。「とにかく卒業式には出てほしい」という学校の意思だけは伝わりましたが、私は「大変申し訳ありませんがどれも難しいと思います」と答えました。すると教頭先生はこのような提案をしてきました。

「じゃあお母さんだけ!教職員一同と体育館でお母さんに卒業証書を授与させてください!」

それではただの見せ物でしかないように思えました。泣きたい気持ちを抑えながら、「では出れたら出る。これでいいですか?」とその場限りの答えを出しました。学校側も一旦それで納得してくれました。
学校側から出していただいた卒業式の提案は……
学校側から出していただいた卒業式の提案は……
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それぞれの未来へと向かう卒業式

小学校の卒業式当日。私はすぐにでも家を出られるよう、メイクも洋服もそれなりに整えた状態で、息子にどうしたいか、最終的な気持ちを聞きました。結果はやはり「行きたくない」とのことでした。

式はもうとっくに始まっていましたが、卒業証書と記念品を受け取るためだけに、私は下の娘だけを連れて学校に向かいました。ちょうど学校に着いた頃、卒業生たちがたくさんの拍手と祝福を浴びながら、体育館を出てくるところでした。顔見知りの子どもたちに写真撮影を頼まれて、「おめでとうー!」と言いながら笑顔で何度もスマホのシャッターを押しましたが、心の中ではずっと泣いていました。息子の出席を望んでいた訳ではないのですが、『どうして息子はここにみんなといられないのだろう。みんなと卒業したかったのに』という思いが拭いきれませんでした。息子が「行きたくない」と言ったのは『卒業式』で、みんなと『卒業』はしたい気持ちはあったのです。みんなは地元の公立中学校に進むけれど、息子が進学するのは特別支援学校で、道は完全に別れてしまいます。友だちと笑い合うことのできる、最後の機会でした。

卒業式が終わったばかりでお忙しいだろうと思い、廊下で隠れるように卒業証書を受け取りました。教頭先生は「せめてちゃんと授与を……」と最後まで仰ってくださいましたが、私は固辞しました。小学校の半分を、行き渋りや不登校、付き添い登校からの再登校、そしてまた不登校と輝かしい学校生活を送ることができなかった私たちには、この形が一番ふさわしいと思いました。担任の先生に感謝の気持ちをお伝えして、未来への喜びあふれる学舎を後にしました。それが私たちの卒業式でした。
心の中ではずっと泣いていました
心の中ではずっと泣いていました
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特別支援学校の卒業式は…?

特別支援学校中等部に進学した息子ですが、環境が変わったからといってすぐに登校できるようになったわけではありませんでした。大人への信頼を失くしてしまった息子が、もう一度『大人』や『先生』に心を許すことは難しく、それでも特別支援学校の先生方は根気強く息子と向き合ってくださいました。小学校高学年の時は、私の付き添いなしでは授業が受けられなかった息子が、登校できた日は1人で1日学校で過ごしてくることができたのです。特別支援学校の先生の細やかな気遣いや配慮が、息子の固く冷たく閉ざされた心を溶かしていくのが分かりました。1人の人間として尊重し、成長をサポートしてくださるその姿勢がありがたくてしょうがありませんでした。

中学3年生の3学期を迎え、卒業式が近づいてきましたが、正直なところ、卒業式のことを考える余裕は全くありませんでした。息子も私も、特別支援学校高等部への進学ではなく、外部の通信制高校を受験するための試験対策でいっぱいいっぱいだったのです。作文や面接の練習には先生も付き合ってくださり、なんとか受験を終えることができた私たちは、そこでやっと「卒業式」の話し合いをすることとなりました。

小学校の卒業式のことを先生方に話しました。特別支援学校の先生方の意見は「今の息子くんの状態でも卒業式はしんどいんじゃないかなと思うんです。でも、僕たちはここで息子くんとお別れになってしまうので、せめてさよならは言いたいです。卒業証書がもし受け取れそうなら、教室で。担任陣と息子くんとお母さんでお別れ会をしましょう。無理はしなくていいです。息子くんがもし来れなかったら、何人かだけでも息子くんにお別れを言いに行かせてください」と仰ってくださいました。息子の答えは「行きたい。最後やから、先生に会いたい」でした。
卒業式に行きたい、先生に会いたいと言う息子
卒業式に行きたい、先生に会いたいと言う息子
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