ひらがなは読めるのに「おかあさん」と言えなかった自閉症息子。3歳で突然流暢に語りだした内容は……!?
ライター:星あかり
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息子のスバルは1歳半健診で言葉の遅れを指摘されました。その後も言葉がほとんど増えず、2歳から簡易なものも含めて数回の発達検査を受けました。毎回「言葉が遅いだけ。様子を見ましょう」と言われ、じっくり様子を見続け3歳になりようやく言葉があふれ出ました。そんなスバルも小学6年生になりました。言葉が遅かったスバルの今の様子は……。
監修: 室伏佑香
東京女子医科大学八千代医療センター 神経小児科
名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
筑波大学医学部卒。国立成育医療研究センターで小児科研修終了後、東京女子医科大学八千代医療センター、国立成育医療研究センター、島田療育センターはちおうじで小児神経診療、発達障害診療の研鑽を積む。
現在は、名古屋市立大学大学院で小児神経分野の研究を行っている。
名古屋市立大学大学院 医学研究科 生殖・遺伝医学講座 新生児・小児医学 博士課程
1歳半健診で言葉の遅れを指摘されて
息子のスバルは1歳半健診で言葉の遅れを指摘されました。私が住んでいる地域では1歳半健診で「3つ単語が言えるか」聞かれるのですが、スバルは「あー(Car)、バイ(バイバイ)、ばあ(いないいないばあ)」の3つの言葉で挑み、再検査となりました。再検査となった家庭には2歳になると電話がかかってきます。
ただ、たまたま一緒になったお子さんが「パナ(パパ)、パマ(ママ)、ナナ(バナナ)」の3つの言葉で挑み、再検査とならなかったので「はは~ん、私の担当の保健師さんがたまたま厳しい人だったんだな」と楽観的に考えていました。当時、言葉が遅い以外ではなんの困りごともなく、むしろ教科書通りの成長をしていたので「そのうち喋るでしょ」とのんきに過ごしていました。
とはいえ何も手を打たなかったわけではなく、来たる2歳の誕生日に向けて絵本の読み聞かせを強化しました。スバルは絵本が好きなので、それまでも毎日絵本を読んでいましたが、1歳半健診のあとは毎日10冊でも20冊でもスバルが求めるだけ読みました。
するとなんと言うことでしょう!2歳の誕生日には発語が増えないまま、平仮名が10個くらい読めるようになりました。
言葉は出ませんが、むしろ天才を産んでしまったのではないかと思いました。なので2歳の誕生日を過ぎた頃かかって来た電話にも自信満々で受け答えしたのですが、結果「発達検査をしましょう」と言われたのでした。
ただ、たまたま一緒になったお子さんが「パナ(パパ)、パマ(ママ)、ナナ(バナナ)」の3つの言葉で挑み、再検査とならなかったので「はは~ん、私の担当の保健師さんがたまたま厳しい人だったんだな」と楽観的に考えていました。当時、言葉が遅い以外ではなんの困りごともなく、むしろ教科書通りの成長をしていたので「そのうち喋るでしょ」とのんきに過ごしていました。
とはいえ何も手を打たなかったわけではなく、来たる2歳の誕生日に向けて絵本の読み聞かせを強化しました。スバルは絵本が好きなので、それまでも毎日絵本を読んでいましたが、1歳半健診のあとは毎日10冊でも20冊でもスバルが求めるだけ読みました。
するとなんと言うことでしょう!2歳の誕生日には発語が増えないまま、平仮名が10個くらい読めるようになりました。
言葉は出ませんが、むしろ天才を産んでしまったのではないかと思いました。なので2歳の誕生日を過ぎた頃かかって来た電話にも自信満々で受け答えしたのですが、結果「発達検査をしましょう」と言われたのでした。
言葉が遅い以外は育てやすい?2歳時の葛藤
その後も言葉がほとんど増えず、2歳から簡易なものも含めて数回の発達検査を受けました。毎回「言葉が遅いだけ。様子を見ましょう」と言われました。
周りの反応も2歳までは「男の子はそんなものよ」「一人っ子は言葉が遅いよ」と言ったものでしたが、2歳をすぎると「発語がない⁉心配ね」「絵本をたくさん読んであげないと」に変わってきました。不安が募る中、2歳半の頃にはひらがなの基本の50音が読めるようになりました。うちの子天才~!という気持ちもありましたが「お、か、あ、さ、ん」が読めて発音できるのに「おかあさん」と言えないのは、やはり何かあるのかもしれないと思い始めました。
ただインターネットでよく見る発達障害のチェックリストでは当てはまらない項目の方が多く、「そうなると専門家の言う通り『言葉が遅いだけ』なんだろうな」と自分を納得させるのでした。2人きりの家の中でも会話はできないものの意思の疎通ができるようになってしまってお互いに不自由なく生活できたので、言葉が遅い以外は育てやすい子だと思っていました。
しかし発語を促すために入園したプレ幼稚園で、2人きりだった時には気付かなかった集団の中での困り事が浮き彫りになり、ほかの親子が母子分離通園になる中、私とスバルだけが母子同伴通園を続けていました。そしてスバルが3歳直前の頃、私はにっちもさっちも行かなくなって心が苦しくなってしまい、プレ幼稚園をお休みして1か月ほど実家に帰りました。
そこでスバルは私の母から衝撃的な量の「言葉のシャワー」を浴び、なんと言葉が溢れたのです。黄色い車を指差して「きいろ」と言ったのを皮切りに言葉のコップが溢れるようにあっという間に単語で会話できるようになりました。
周りの反応も2歳までは「男の子はそんなものよ」「一人っ子は言葉が遅いよ」と言ったものでしたが、2歳をすぎると「発語がない⁉心配ね」「絵本をたくさん読んであげないと」に変わってきました。不安が募る中、2歳半の頃にはひらがなの基本の50音が読めるようになりました。うちの子天才~!という気持ちもありましたが「お、か、あ、さ、ん」が読めて発音できるのに「おかあさん」と言えないのは、やはり何かあるのかもしれないと思い始めました。
ただインターネットでよく見る発達障害のチェックリストでは当てはまらない項目の方が多く、「そうなると専門家の言う通り『言葉が遅いだけ』なんだろうな」と自分を納得させるのでした。2人きりの家の中でも会話はできないものの意思の疎通ができるようになってしまってお互いに不自由なく生活できたので、言葉が遅い以外は育てやすい子だと思っていました。
しかし発語を促すために入園したプレ幼稚園で、2人きりだった時には気付かなかった集団の中での困り事が浮き彫りになり、ほかの親子が母子分離通園になる中、私とスバルだけが母子同伴通園を続けていました。そしてスバルが3歳直前の頃、私はにっちもさっちも行かなくなって心が苦しくなってしまい、プレ幼稚園をお休みして1か月ほど実家に帰りました。
そこでスバルは私の母から衝撃的な量の「言葉のシャワー」を浴び、なんと言葉が溢れたのです。黄色い車を指差して「きいろ」と言ったのを皮切りに言葉のコップが溢れるようにあっという間に単語で会話できるようになりました。
3歳目前、発語ほぼなし。自閉症息子があふれるように話し出したきっかけは「祖母の言葉のシャワー」だった!?
「言葉が遅いだけ」と言われていたスバル。
言葉の問題をクリアしたら、もう怖いものなし!というわけにもいかず、3歳の誕生日を過ぎてから受けた発達検査で「ASD(自閉スペクトラム症)」と診断され、プレ幼稚園からは退園勧告を受けてしまうのでした。
言葉の問題をクリアしたら、もう怖いものなし!というわけにもいかず、3歳の誕生日を過ぎてから受けた発達検査で「ASD(自閉スペクトラム症)」と診断され、プレ幼稚園からは退園勧告を受けてしまうのでした。
幼稚園生活での言葉の成長
プレ幼稚園を退園後に通い始めた別の幼稚園で良い刺激をもらい、単語だけだった会話は二語文、三語文へと順調に成長していきました。このまま順調に文章で話すようになるのかと思っていたところ、異変が起こりました。突然流暢な敬語で話し始めたのです。
全ての言葉が流暢と言うわけではありませんでした。
毎日繰り返し見ているテレビでの挨拶や、絵本のセリフ、いわゆる定型文をインプットし会話に応用しているのです。逆にインプットしていない言い回しは自分の言葉を使って話すので、たどたどしい二語文、三語文で話しました。
毎日繰り返し見ているテレビでの挨拶や、絵本のセリフ、いわゆる定型文をインプットし会話に応用しているのです。逆にインプットしていない言い回しは自分の言葉を使って話すので、たどたどしい二語文、三語文で話しました。
その結果
「今日は幼稚園から公園まで散歩に行きました。あっ……スバルのおてて、サクラちゃんのおてて、もって。公園に到着するとまず最初にすべり台をしました。えっと……大きいすべり台、シューして、3回、シューして。そのあとお弁当をいただきました」
定型分と自分の言葉を組み合わせて話すようになりました。
どうやら、アナウンサーが使うようなかっちりした言い回しがインプットしやすく、方言混じりで毎回言い方が変わる話し言葉はインプットしにくいようでした。
「自分の言葉」自体はゆるやかに成長しつつ、定型文の敬語と自分の言葉を組み合わせる話し方は小学校低学年まで続きました。中学年頃から方言をバリバリ使って話す友だちに憧れ、会話の中で定型文を使うことが減りました。
「今日は幼稚園から公園まで散歩に行きました。あっ……スバルのおてて、サクラちゃんのおてて、もって。公園に到着するとまず最初にすべり台をしました。えっと……大きいすべり台、シューして、3回、シューして。そのあとお弁当をいただきました」
定型分と自分の言葉を組み合わせて話すようになりました。
どうやら、アナウンサーが使うようなかっちりした言い回しがインプットしやすく、方言混じりで毎回言い方が変わる話し言葉はインプットしにくいようでした。
「自分の言葉」自体はゆるやかに成長しつつ、定型文の敬語と自分の言葉を組み合わせる話し方は小学校低学年まで続きました。中学年頃から方言をバリバリ使って話す友だちに憧れ、会話の中で定型文を使うことが減りました。
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