【発達障害の支援】"正しさ"で「エネルギー赤字」にならないために。期待と諦めの狭間で細く長く続けていく知恵
ライター:丸山さとこ
Upload By 丸山さとこ
神経発達症(発達障害)がある高校生の息子と暮らす中で、「正しい支援の姿勢は、なぜこんなに疲れるのだろうか?」と思うことがあります。期待を調整し続ける難しさと、エネルギーが赤字になりやすい構造について、改めて考えてみました。
監修: 初川久美子
臨床心理士・公認心理師
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
臨床心理士・公認心理師。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。在学中よりスクールカウンセリングを学び、臨床心理士資格取得後よりスクールカウンセラーとして勤務。児童精神科医の三木崇弘とともに「発達研修ユニットみつばち」を結成し、教員向け・保護者向け・専門家向け研修・講演講師も行っている。都内公立教育相談室にて教育相談員兼務。
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
いい支援、やってみたいと、思うけど(五七五)
「こうあるべき」と言われる支援の姿勢
神経発達症(発達障害)がある息子のコウは現在高校生です。療育、児童発達支援などの言葉が私の子育てに登場してから、かれこれ10年以上経っていることになります。
発達に凸凹がある子どもを育てていると、環境調整を行い、支援を提供する必要が出てきます。その中で、「こういう姿勢が大切ですよ」と語られる支援の在り方があると思います。
変えられない部分は受け入れること。
スモールステップで進めていき、成果を急がないこと。
子どもの主体性を尊重すること。
特性の受容や課題の見極めとしてよく言われることですね。どれも本当にその通りだと思います。私もそうありたいと考え、実際にその姿勢で向き合おうとしています。
ただ、その「正しさ」を日々実践していく中で、「これは、かなり難しいことを求められているのでは……」と感じることがあります。最近、その難しさについて改めて考えてみると、そこには、人間の仕組みとぶつかるような負荷があるのではないかと思えてきました。
発達に凸凹がある子どもを育てていると、環境調整を行い、支援を提供する必要が出てきます。その中で、「こういう姿勢が大切ですよ」と語られる支援の在り方があると思います。
変えられない部分は受け入れること。
スモールステップで進めていき、成果を急がないこと。
子どもの主体性を尊重すること。
特性の受容や課題の見極めとしてよく言われることですね。どれも本当にその通りだと思います。私もそうありたいと考え、実際にその姿勢で向き合おうとしています。
ただ、その「正しさ」を日々実践していく中で、「これは、かなり難しいことを求められているのでは……」と感じることがあります。最近、その難しさについて改めて考えてみると、そこには、人間の仕組みとぶつかるような負荷があるのではないかと思えてきました。
働きかけながら、期待は抑える
支援では、働きかけを続けながらも、結果を求めすぎない姿勢が求められます。
理屈としては理解できますし、必要なことだとも思っています。けれど、この構えを保ち続けるのは、想像以上にエネルギーを使います。
- 対策は取る。でも期待はしすぎない
- 諦めもする。でも見捨てない
- 関係は保つ。でも主体性は侵さない
理屈としては理解できますし、必要なことだとも思っています。けれど、この構えを保ち続けるのは、想像以上にエネルギーを使います。
「正しいこと」なのに難しいのは、なぜなのか。
期待は本来、燃料になるもの
人は、何かを働きかければ、どこかで変化を見込むものです。努力と結果がある程度結びついているとき、次の一歩を踏み出す力が湧きやすくなります。「うまくいくかもしれない」という見通しが、行動の燃料になることは少なくありません。
ですが支援の場では、その「期待」を前面に出しすぎないことが大切だとされます。焦らず、急がず、子どものペースを尊重する。親の期待と、子どもの現実やニーズはきちんと分けて考える。それは確かに、親子関係を守るうえで大事な姿勢です。
ただ、期待を強く持ちすぎないようにしながら、働きかけは続ける。この状態は、思っている以上に消耗します。
ただ、期待を強く持ちすぎないようにしながら、働きかけは続ける。この状態は、思っている以上に消耗します。
支援は「エネルギー赤字」になりやすい
使うエネルギーに対して、補充されるエネルギーが少ない。だから、続けていると、じわじわと消耗していくのかもしれません。
正しいことをしているはずなのに、手応えが薄い。努力してもすぐ結果が見えるとは限らない。でも、簡単に手を引くわけにもいかない。
働きかけを続けながら、自分の期待を常に調整する。その繊細な作業が含まれているからこそ、支援は構造的にエネルギーが赤字になりやすいのではないか……そんなふうに思うようになりました。
正しいことをしているはずなのに、手応えが薄い。努力してもすぐ結果が見えるとは限らない。でも、簡単に手を引くわけにもいかない。
働きかけを続けながら、自分の期待を常に調整する。その繊細な作業が含まれているからこそ、支援は構造的にエネルギーが赤字になりやすいのではないか……そんなふうに思うようになりました。
燃料をどこから補充する?という問題
子ども以外の回復スポットを持つということ
エネルギーが赤字になりやすい支援は、それでも、続けていく必要があります。だからこそ、保護者は「子どもに関すること以外の燃料」を持つことが必要なのかもしれません。
私にとっては、ゲームや園芸、筋トレのような、自分で完結する小さな楽しみがそれにあたります。適度な揺らぎと予測可能性があり、働きかければ何かが返ってくる場所。ただ自分のための回復時間です。
私にとっては、ゲームや園芸、筋トレのような、自分で完結する小さな楽しみがそれにあたります。適度な揺らぎと予測可能性があり、働きかければ何かが返ってくる場所。ただ自分のための回復時間です。
正しさだけでは回せない私なりの持続可能性とは?
支援の場で求められる姿勢は、正しいものだと思います。そして、正しいからこそ無視することもできず、難しいのだろうと思います。
対策を取りながら、うまくいかないことも受け入れる。
期待しすぎず、それでも見放さない。
そんなバランスの中で日々を過ごしている保護者の皆さんは、どのような「自分を保つための燃料」を持っていますか?
以前、スクールカウンセラーの先生から『高校生になってからも、距離感は変化しつつも支援は必要になる』と言われたことがあります。
足場や燃料は、もう数個くらいあってもいいのかもしれない。そう思いながら、私は改めて「趣味」というものに目を向け始めています。持とうと思って持てるものではないと思いますが、“推し”という存在があってもいいのかもしれないな?と考えるこの頃です。
対策を取りながら、うまくいかないことも受け入れる。
期待しすぎず、それでも見放さない。
そんなバランスの中で日々を過ごしている保護者の皆さんは、どのような「自分を保つための燃料」を持っていますか?
以前、スクールカウンセラーの先生から『高校生になってからも、距離感は変化しつつも支援は必要になる』と言われたことがあります。
足場や燃料は、もう数個くらいあってもいいのかもしれない。そう思いながら、私は改めて「趣味」というものに目を向け始めています。持とうと思って持てるものではないと思いますが、“推し”という存在があってもいいのかもしれないな?と考えるこの頃です。
執筆/丸山さとこ
専門家コメント 初川久美子先生(臨床心理士・公認心理師)
支援にあたっての「姿勢」と、それを保ち続ける難しさについてのコラムをありがとうございます。神経発達症など、お子さんに発達的な課題や育てづらさ、一筋縄ではいかない様子がある場合、保護者の方は療育や環境調整に日々心を尽くされていることと思います。このコラムを読まれているのも、そのご尽力の一端ですね。
具体的な支援を実践する中で、「期待しすぎないように」「うまくいかなくても見捨てずに」といった支援に関する“正しい姿勢・心構え”を実行し、維持するのは非常に難しいものです。保護者の目線からすると、大なり小なりお子さんに合わせて時間や精神的なコストを払って良きことをしているので、それが成就してほしいというのは当然の期待だと思います。
ただ、それがいつも成就するとは限りません。簡単に言うと、「自分の子どもとはいえ、結局のところ別の生き物」であり、本人の意志や価値観といった、外からはどうにも届かない領域が生まれるからです(まずは自分はこうしたいという意志の持てる人に育ってほしいところですね)。そして、良き働きかけをしたら必ず良きように変化してほしい(成長してほしい)ですが、持って生まれたものや特性、思いなどによってそんなに分かりやすい因果関係を描かないことも残念ながら多いです
何らか課題のあるお子さんの支援をされる保護者の方が、どうしても期待しすぎてしまったり、お子さんの意志に関して領域侵犯的な関わりをしてしまったりするのは、良き働きかけをするのに一生懸命であられるがゆえに、お子さんとの境界線(バウンダリー)が重なり、「AをしたらBが起きる」という理科の実験のような因果関係を信じてしまうのだろうと思います。実際にはお子さんのコンディションや偶発的な出来事など、多くの要因が影響します。
頑張っているのに報われない疲れを感じるときは、バランスが崩れているのかもしれません。さとこさんはそこについて「子ども以外の回復スポット」「自分を保つための燃料」と書かれていましたが、まさにそこが大事です。子どもへ注いだエネルギーを子どもから回復(回収)しようとするのではなく、別のところから補給していく。お子さんのことに一生懸命になりすぎてしまうと、「趣味:子育て」「特技:子育て」になり、すべてがお子さん一色になります。お子さんが幼いときはそうせざるを得ない場合もあるでしょう。ただ、お子さんが育つにつれ、保護者の方には保護者の方独自の大切なもの・活動・場を持っておけるとバランスを取りやすくなると思います。
ちなみに私は、歩きながら木々を観察するのが息抜きなのですが、2月の梅や5月の新芽のエネルギーに感心していると、自分のちっぽけさを感じ、多少のうまくいかなさも「地球からしたら何でもないことだ」と妙な勇気をもらうのが好きです。(監修:臨床心理士・公認心理師 初川久美子先生)
具体的な支援を実践する中で、「期待しすぎないように」「うまくいかなくても見捨てずに」といった支援に関する“正しい姿勢・心構え”を実行し、維持するのは非常に難しいものです。保護者の目線からすると、大なり小なりお子さんに合わせて時間や精神的なコストを払って良きことをしているので、それが成就してほしいというのは当然の期待だと思います。
ただ、それがいつも成就するとは限りません。簡単に言うと、「自分の子どもとはいえ、結局のところ別の生き物」であり、本人の意志や価値観といった、外からはどうにも届かない領域が生まれるからです(まずは自分はこうしたいという意志の持てる人に育ってほしいところですね)。そして、良き働きかけをしたら必ず良きように変化してほしい(成長してほしい)ですが、持って生まれたものや特性、思いなどによってそんなに分かりやすい因果関係を描かないことも残念ながら多いです
何らか課題のあるお子さんの支援をされる保護者の方が、どうしても期待しすぎてしまったり、お子さんの意志に関して領域侵犯的な関わりをしてしまったりするのは、良き働きかけをするのに一生懸命であられるがゆえに、お子さんとの境界線(バウンダリー)が重なり、「AをしたらBが起きる」という理科の実験のような因果関係を信じてしまうのだろうと思います。実際にはお子さんのコンディションや偶発的な出来事など、多くの要因が影響します。
頑張っているのに報われない疲れを感じるときは、バランスが崩れているのかもしれません。さとこさんはそこについて「子ども以外の回復スポット」「自分を保つための燃料」と書かれていましたが、まさにそこが大事です。子どもへ注いだエネルギーを子どもから回復(回収)しようとするのではなく、別のところから補給していく。お子さんのことに一生懸命になりすぎてしまうと、「趣味:子育て」「特技:子育て」になり、すべてがお子さん一色になります。お子さんが幼いときはそうせざるを得ない場合もあるでしょう。ただ、お子さんが育つにつれ、保護者の方には保護者の方独自の大切なもの・活動・場を持っておけるとバランスを取りやすくなると思います。
ちなみに私は、歩きながら木々を観察するのが息抜きなのですが、2月の梅や5月の新芽のエネルギーに感心していると、自分のちっぽけさを感じ、多少のうまくいかなさも「地球からしたら何でもないことだ」と妙な勇気をもらうのが好きです。(監修:臨床心理士・公認心理師 初川久美子先生)
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。