ASD娘の育児、離婚を経て40代未経験から支援の道へ。支援員から教員免許取得まで「再出発」の記録【読者体験談】

ライター:ユーザー体験談
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離婚という大きな転機のなかで、私はかつて娘を救ってくれた「特別支援」の世界に飛び込みました。どうすればと頭を抱えた日から、通信制大学を経て教員免許を手にするまでの経験をお話しします。【発達ナビではユーザーさんからの子育てエピソードを募集中!今回は「保護者のキャリア」についてのエピソードをご紹介します。】

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監修: 藤井明子
小児科専門医
小児神経専門医
てんかん専門医
どんぐり発達クリニック院長
東京女子医科大学大学院修了。東京女子医科大学病院、長崎県立子ども医療福祉センターで研鑽を積み、2019年よりさくらキッズくりにっく院長に就任。2024年より、どんぐり発達クリニック院長、育心会児童発達部門統括医師に就任。お子様の個性を大切にしながら、親御さんの子育ての悩みにも寄り添う診療を行っている。 3人の子どもを育児中である。

モヤモヤから始まった第二の人生

この記事で分かること

  • 支援員の現場で直面する、教科書通りにはいかない「特性」への対応
  • 未経験から通信制大学で教員免許を取得するまでのリアルな苦労
  • 「自分らしく生きる」場所を見つけるための、一歩の踏み出し方

お子さんの情報

  • エピソード当時の年齢:40代(投稿者本人)
  • お子さんの年齢:(保護者が支援員を開始した時)13歳
  • お子さんの診断名:ASD(自閉スペクトラム症)
  • お子さんの診断時期:3歳
娘は3歳の時にASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。おっとりした性格ですが、コミュニケーションが極端に苦手。それでも、小学校の自閉症・情緒障害特別支援学級で素晴らしい先生方に出会い、「学校楽しい!」と言えるまでに成長しました。今の娘の姿があるのは、間違いなくあの時の手厚い支援のおかげです。

一方で、娘の交流学級には同じASD(自閉スペクトラム症)の特性がありながらも、苦しんでいる女の子がいました。友だち関係がうまくいかず、つらそうだったその子を見て、私は強いモヤモヤを感じていました。

「支援ひとつで、子ども時代が変わってしまう。でも、その支援を受けるかどうかを決められるのは保護者しかいない……」
困っている子をなんとかしてあげられないだろうか……。でも、通常学級の先生は業務が多忙で十分に個別対応をする余裕はなく、どうすることもできない自分を不甲斐なく感じていました。

ちょうどこの頃、私は夫と離婚をしました。「これからは娘と二人で食べていかなきゃいけない。だったら、第二の人生はやりたかった支援の仕事を頑張って、楽しみながら生きていこう!」
第二の人生はやりたかった支援の仕事を頑張って、楽しみながら生きていこう!と決意
第二の人生はやりたかった支援の仕事を頑張って、楽しみながら生きていこう!と決意
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衝撃の連続だったけど……大変だった毎日から見えた小さな光

私はまず、支援員として小学校の支援の現場に立つことになりました。しかし、その初日……私は衝撃を受けました。

配属されたのは、やんちゃな子、支援が必要な子、家庭環境に課題を抱える子などが入り混じり、常に誰かしらに対応が必要なクラスでした。最初はどのように支援をしたらいいのか分からずに毎日精一杯の状態。精神をすり減らす日々でしたが、不思議と心は軽やかでした。目の前の子どもたちに必死に向き合っている間だけは、離婚に伴うドロドロとした悩みから解放されていたのです。

ASD(自閉スペクトラム症)の娘を育てた経験があるから大丈夫、という私の自信はすぐ打ち砕かれました。娘とは真逆の、衝動性が強く授業中に脱走する男の子。 「何時になったら教室に戻ろうね」と約束しても守ることが難しく、思い通りにならなければ自傷や他害につながる。私の「鉄板」だった「褒め」作戦も、彼には全く通用しません。

「私の声かけが悪いのかな……どうすれば教室に戻ってくれるんだろう」毎日悩みましたが、同時に「どうすればこの子に響くのか」と試行錯誤することにもやりがいを感じるようになりました。10回中9回うまくいかなくても、残りの1回で子どもが「できた!」と達成感を見せてくれた瞬間、すべての疲れが吹き飛ぶ。そんなワクワクを、初めて仕事で実感したのです。
子どもが「できた!」と達成感を見せてくれた瞬間、すべての疲れが吹き飛ぶ
子どもが「できた!」と達成感を見せてくれた瞬間、すべての疲れが吹き飛ぶ
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教育実習という壁。わが子との二人三脚で築いた信頼関係

「この仕事で食べていきたい。もっと深く、子どもたちの『学校が楽しい』を支えたい」。そう決意し、私は働きながら通信制大学へ入学しました。

最大の難所は、40代での教育実習でした。 指導案の作成と授業準備に追われ、寝る時間も食べる時間も惜しんで机に向かう日々。完璧にこなせない自分に焦り、家事もままならず、協力してくれているわが子に愚痴をこぼしては泣いた夜もありました。そんな私を支えてくれたのは、ASD(自閉スペクトラム症)の特性がありながら彼女らしく成長した娘と、指導してくださる現場の先生方、そして私の拙い授業を一生懸命聞いてくれる子どもたちでした。

大学での理論も大切ですが、一番の学びは現場にありました。娘の担任がそうであったように、「安心して失敗させてくれる場所」をつくること。それが信頼関係の土台になると、実習を通して肌で感じたのです。
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