シングルマザーで挑んだ息子の発達障害と不登校。人に頼る強さを知り「助けられ上手」になるまで【体験談】

ライター:あき
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わが家の息子・コチ丸は、小学3年生のときにASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)の診断を受けました。
シングルマザーとして、不登校で発達障害の息子を一人で育てる日々は心身ともに追いつかないほど、大変な出来事の連続でした。一人では解決できない問題にも、たくさんぶつかりました。
「人に頼ること」が何より苦手だった私でしたが、日々の中で、私が生きるために心に決めたこと。それは、「躊躇せず、助けられ上手になること」でした。

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監修: 初川久美子
臨床心理士・公認心理師
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
臨床心理士・公認心理師。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。在学中よりスクールカウンセリングを学び、臨床心理士資格取得後よりスクールカウンセラーとして勤務。児童精神科医の三木崇弘とともに「発達研修ユニットみつばち」を結成し、教員向け・保護者向け・専門家向け研修・講演講師も行っている。都内公立教育相談室にて教育相談員兼務。

「ひとり親」というモノサシに縛られ、空回りしていた頃。

ひとり親家庭になってから、私が一番気にしていたのは「周りの目」でした。「自分が選んで一人になったのだから、コチ丸をとにかくちゃんと育てなくては」当時はそんな強い義務感と、張り詰めた責任感ばかりが空回りしていた気がします。

「ほかの子とちがわないように。ひとり親だからと指をさされないように……」

私は知らず知らずに、「世間の普通」というモノサシをコチ丸に当てはめて生活をしていました。食事の時は座って静かに食べる。買い物に行ったら手を繋いで横に並んで歩く。保育園のトイレトレーニングや勉強も、ほかの子と同じレベルでできるようになる。みんなと同じように習い事をさせて、みんなと同じように成長していく。

当時はまだ発達障害の診断も出ていなかったので、私は「コチ丸もやればできるはず」と信じて疑いませんでした。

でも、私の思いとは裏腹に、現実はオムツ離れは遅く、習い事へ行ってもほかの子が馴染んでいく中で、コチ丸は何週間経っても私の横で大声で泣いて離れない。街を歩けば、気になるものを見つけた瞬間に手を振りほどいてどこかへ行ってしまう。自分の思い通りにならないと、ひっくり返って大声で泣き喚く。
限界を迎えた私は、街中で「うるさいっ!」と大声で怒鳴り返し、余計に悪目立ちしてしまう……。毎日がそんな空回りの連続でした。

「一人で責任を持たなきゃ」と思い詰めていた私は、周囲にその現状を知られることも怖くて、誰にも相談ができませんでした。自分が目指していた「指をさされない子」から、かけ離れていくわが子を見て、「どうして私は子育てが下手なんだろう」と夜になると無力な自分に泣いてばかりいました。

今思えば、一番窮屈でかつらかったのはコチ丸の方だったはずです。保育園児のコチ丸にとっては、家だけが唯一の居場所。それなのに、頼るべき母親の私が、こんなにも未熟でギスギスとしていて。思い返しても、本当に申し訳なかったと深く胸が痛みます。
街中で「うるさいっ!」と大声で怒鳴り返し、余計に悪目立ちしてしまう……
街中で「うるさいっ!」と大声で怒鳴り返し、余計に悪目立ちしてしまう……
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「一人ではできない」と諦める、という強さ

そんな限界ギリギリの生活を送っていた小学校中学年の頃、コチ丸に発達障害の診断が出ました。その時の複雑な気持ちは、今でもはっきりと覚えています。

「ああ、コチ丸がほかの子と違うのは、私の育て方が悪いからじゃなかったんだ」「もう、こうなったらしょうがない。一人で背負うのは諦めて、いろんな人に頼って生きよう」

ストン、と何かが腑に落ちた瞬間でした。

とはいえ、私自身、そもそも人に頼ることは大の苦手でした。若い頃から自分の悩みや本心を人に明かせないタイプで、友だちにも、恋人にも、親にすら「助けてほしい」と言ったことがほとんどなかったのです。けれども、もうそんなプライドや体裁を気にしている場合ではありませんでした。

当時、地元の小学校では十分な支援を期待できず、むしろ学校から「コチ丸くんを見ていられる先生がいないので、今日は学校を休んでほしい」と言われるほど、わが家は小学校から孤立無援の状態でした。私が一人で戦うには、とっくに限界がきていたのです。

職場で始めた「助けてもらえる環境」づくり

当時、私は大好きなデザイン関係の仕事に就き、広告代理店で働いていました。仕事が大好きな私は、自分なりに会社に猛烈に尽くしました。誰よりも長く働き、誰よりも積極的に雑務をこなし、社内の流れを良くするために必死で動きました。

そんな頃に小学校から「お迎え要請」の電話が頻繁にかかってくるようになりました。「コチ丸くんが学校の落ち葉に火をつけました」「女の子にケガをさせました」……。

次は何を起こすのかと毎日電話に怯えながら仕事に出かけていました。仕事の途中で急に早退し、職場に迷惑をかけることも日常茶飯事。でも、ありがたいことに私が仕事を放り出して帰ることになっても、職場のスタッフは誰一人として嫌味を言いませんでした。それどころか、「大変だね、あとはやっておくから帰って大丈夫」と温かい言葉をかけてくれたのです。

そしてそれは、もちろんスタッフの優しさもありましたが、同時にそれまで私が一生懸命会社に尽くしていたことも周りは見ていてくれていたのだと思います。
これが私の「助けられ上手」への第一歩となりました。

さらに私は、コチ丸の「頼れる居場所」を増やす行動に出ました。コチ丸が「やりたい」、「行きたい」と言った場所には、できる限り連れていき、挑戦を見守りました。私自身もコチ丸が楽しめそうなイベントがないか、常にネットや地域の情報にアンテナを張り巡らせました。

好奇心旺盛なコチ丸のこれからの可能性を広げたいという思いもありましたが、同時に「母子二人きりで煮詰まらないために、コチ丸にも私にも、頼れる場所や人をたくさん作っておきたかったから」という思いもありました。

当時のコチ丸は新しい環境が苦手。実は私もかなりの人見知り(笑)。でも、そんなことは言っていられません。あえて知っている人が誰もいないイベントに飛び込み、私が知らない人と楽しそうに話す姿を、コチ丸の目の前で積極的に見せ続けました。「人に頼ることは、怖くないんだよ」と、背中で教えたかったのです。
「人に頼ることは、怖くないんだよ」と、背中で教えたかった
「人に頼ることは、怖くないんだよ」と、背中で教えたかった
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墓場まで持っていく、社長からの「一生忘れない恩」

コチ丸が小学6年生になったとき、最大の壁が立ちはだかりました。学校の先生から「このまま地元の公立中学に行くなら、特別支援学級を選択してほしい」と言われたのです。納得のいかなかった私は、コチ丸が通える次の居場所探しに必死になりました。

仕事が終わると、毎晩のようにネットにかじりつき、フリースクールや適応教室を探しまくりました。しかし、どれもしっくりきません。当時の私のイメージでは、フリースクールは少人数で自由に過ごす場所という印象が強く、「ここで3年間なんとなく通ったり通わなかったりして過ごして、その先の高校受験はどうなるんだろう?」と、コチ丸の未来の姿が描けなかったのです。

私は特別支援学級じゃなくても、フリースクールじゃなくても、コチ丸は環境さえ合えば、ちゃんとやれるという根拠のない自信がありました。『学校』というシステムに近い場所で、先を見据えて進むことだって、コチ丸なら本当はできるはず。

そう直感していたものの、当時は今のように「学びの多様化学校(不登校特例校)」のような選択肢はほとんどなく、県内に1校、私立中学校があるだけでした。

最終的にその私立中学校へコチ丸は進学する気になってくれたものの、わが家には私立に通わせるための十分なお金が、正直どこを叩いてもありませんでした。国の教育ローンも適用外。実家の両親は離婚していて自分たちの生活で精一杯。それに父は、「公立の学校があるんだから私立なんかに行く必要はない」というスタンスだったため、頼れないことは雰囲気で察していました。

途方に暮れた私は、腹を括りました。「ここまで頑張ってきたけれど、この会社を辞めて、もっとお給料の良い仕事を探すしかない」

覚悟を決めて、会社の社長に退職の相談をしました。すると、事情を聞いた社長は、思いもよらない言葉をかけてくれたのです。

「それなら、コチ丸くんがその学校に通えるように、お給料を上げよう」

社長は私に新しい役職を与えてくれ、息子の学費を全額払えるだけのベースアップをしてくれたのです。普通、一社員の家庭の事情で、そんな急激に給料が上がることなんてあり得ません。この社長の決断が、のちのわが家のすべての運命を好転させてくれました。この恩は、私が墓場まで持っていくつもりの、一生忘れない大切な宝物です。

誰かと比べるのではなく、息子なりの幸せな形を見つける方法

ひとり親で子どもを育てるだけでも大変なことです。それがもし、不登校や発達障害のあるお子さんであれば、大変さは何倍にも膨れ上がります。学校への付き添い、地元の学校以外の選択肢探し、急な通院や呼び出しで休まなければいけない仕事、そしてイレギュラーにかかるお金……。親一人で抱え込むには、あまりにも荷物が重すぎます。

だからこそ、人に頼ることが苦手だった私は「誰かの手を借りることは、悪いことじゃない」と実感しました。
そしてそれがいつでも遠慮なくできるよう、自分も常日頃から、いろんな人と積極的に関わり、基本的に何事に対しても一生懸命向き合おうと心掛けてやってきました。

当時は誰かと比べるモノサシでコチ丸を測ろうとしていた自分がいましたが、今はそんなことより、コチ丸なりの幸せな形を模索するために、いろんな人と関わり、助けてもらう方法を学んでいってくれたらと思います。

実際、中学を卒業する頃にはコチ丸は親のもとを離れ、自分の夢を叶えるために寮に入り高校に通いました。そこでは当然親に頼ることはできず、自分で生きていく術を考え、いろんな人に頼りながらやってきた3年間だったと思います。親としては早い独り立ちに寂しさもありましたが、いずれは誰しもが通る道。周りに助けてもらう土台があったからこそ、コチ丸は一歩を踏み出すことができたのだと思っています。

不登校・発達障害・ひとり親……と、なかなか人の目が気になったり、子どもの発達過程が気になって孤立してしまいがちな環境が揃ってしまったわが家でしたが、思い切って外に出ることでいろいろな人と関わり、支えられ、良い循環を作ることができたと、これまで関わってくれた人たちに感謝でいっぱいです。

執筆/あき
思い切って外に出ることでいろいろな人と関わり、支えられ、良い循環を作ることができました
思い切って外に出ることでいろいろな人と関わり、支えられ、良い循環を作ることができました
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専門家コメント 初川久美子先生(臨床心理士・公認心理師)

発達障害があり不登校のコチ丸くんをひとり親で育てるにあたって「人に頼ること」が苦手だったあきさんが、コチ丸くんの診断がおりたことをきっかけに「躊躇せず、助けられ上手になること」へと腹を決められたエピソードをありがとうございます。ひとり親の子だからと後ろ指をさされないように、あるいは、みんなと同じに「普通」であってほしいと子育てする。このあたりは、同じような思い(焦りや不安)を抱いたことのある読者の方も多いのでないでしょうか。子どもは、そのお子さんのペースで育つものである面もありますし、すべてが“育て方”によって思い通りに育つわけではありません。しかし、子育てのはじめの時期は特に、(良いとされている方法で)手をかけて子育てしたら、良い子に育つと信じて頑張ってしまうことも多いです。保育園や幼稚園、そして小学校など集団生活が本格化する中で、お子さんの特性やつまずきが特に見えやすくなるため、「お迎え要請」が入ることも増えます。

さて、あきさんは覚悟を決めて、ご自身が苦手な「人に頼る」に取り組まれたのですね。覚悟と気合いを要することだったかもしれませんが、「人を頼る」ことに挑戦くださってよかったです。人は一人では生きていけないですし、一人で何とかなると思えているのは、その人がよほど順調で健康である場合など、かなり限定的な状況でしかないと感じます。そもそも子育ては一人や少人数でするものではないことは歴史が教えてくれるところです。何より、自分で全部できることを目指すと窮屈です。コチ丸くんが育つ中で、コチ丸くんも周囲の方々からよき影響やケア、サポートを受けながら育っていってくれると心強いですね。持ちつ持たれつ、おたがいさまの心持ちで生活が営めるよう、日々さまざまな方と積極的に関係づくりされてきたことに頭が下がります。そうして、世間的な物差しで見ることや「普通」との比較ではなく、コチ丸くんがコチ丸くんらしい幸せの形を探せるようにという心持ちになられたとのこと。何より素晴らしいと感じます。(監修:臨床心理士・公認心理師 初川久美子先生)
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https://h-navi.jp/column/article/35031092
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。

神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。

ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。

ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
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