墓場まで持っていく、社長からの「一生忘れない恩」
コチ丸が小学6年生になったとき、最大の壁が立ちはだかりました。学校の先生から「このまま地元の公立中学に行くなら、特別支援学級を選択してほしい」と言われたのです。納得のいかなかった私は、コチ丸が通える次の居場所探しに必死になりました。
仕事が終わると、毎晩のようにネットにかじりつき、フリースクールや適応教室を探しまくりました。しかし、どれもしっくりきません。当時の私のイメージでは、フリースクールは少人数で自由に過ごす場所という印象が強く、「ここで3年間なんとなく通ったり通わなかったりして過ごして、その先の高校受験はどうなるんだろう?」と、コチ丸の未来の姿が描けなかったのです。
私は特別支援学級じゃなくても、フリースクールじゃなくても、コチ丸は環境さえ合えば、ちゃんとやれるという根拠のない自信がありました。『学校』というシステムに近い場所で、先を見据えて進むことだって、コチ丸なら本当はできるはず。
そう直感していたものの、当時は今のように「学びの多様化学校(不登校特例校)」のような選択肢はほとんどなく、県内に1校、私立中学校があるだけでした。
最終的にその私立中学校へコチ丸は進学する気になってくれたものの、わが家には私立に通わせるための十分なお金が、正直どこを叩いてもありませんでした。国の教育ローンも適用外。実家の両親は離婚していて自分たちの生活で精一杯。それに父は、「公立の学校があるんだから私立なんかに行く必要はない」というスタンスだったため、頼れないことは雰囲気で察していました。
途方に暮れた私は、腹を括りました。「ここまで頑張ってきたけれど、この会社を辞めて、もっとお給料の良い仕事を探すしかない」
覚悟を決めて、会社の社長に退職の相談をしました。すると、事情を聞いた社長は、思いもよらない言葉をかけてくれたのです。
「それなら、コチ丸くんがその学校に通えるように、お給料を上げよう」
社長は私に新しい役職を与えてくれ、息子の学費を全額払えるだけのベースアップをしてくれたのです。普通、一社員の家庭の事情で、そんな急激に給料が上がることなんてあり得ません。この社長の決断が、のちのわが家のすべての運命を好転させてくれました。この恩は、私が墓場まで持っていくつもりの、一生忘れない大切な宝物です。
仕事が終わると、毎晩のようにネットにかじりつき、フリースクールや適応教室を探しまくりました。しかし、どれもしっくりきません。当時の私のイメージでは、フリースクールは少人数で自由に過ごす場所という印象が強く、「ここで3年間なんとなく通ったり通わなかったりして過ごして、その先の高校受験はどうなるんだろう?」と、コチ丸の未来の姿が描けなかったのです。
私は特別支援学級じゃなくても、フリースクールじゃなくても、コチ丸は環境さえ合えば、ちゃんとやれるという根拠のない自信がありました。『学校』というシステムに近い場所で、先を見据えて進むことだって、コチ丸なら本当はできるはず。
そう直感していたものの、当時は今のように「学びの多様化学校(不登校特例校)」のような選択肢はほとんどなく、県内に1校、私立中学校があるだけでした。
最終的にその私立中学校へコチ丸は進学する気になってくれたものの、わが家には私立に通わせるための十分なお金が、正直どこを叩いてもありませんでした。国の教育ローンも適用外。実家の両親は離婚していて自分たちの生活で精一杯。それに父は、「公立の学校があるんだから私立なんかに行く必要はない」というスタンスだったため、頼れないことは雰囲気で察していました。
途方に暮れた私は、腹を括りました。「ここまで頑張ってきたけれど、この会社を辞めて、もっとお給料の良い仕事を探すしかない」
覚悟を決めて、会社の社長に退職の相談をしました。すると、事情を聞いた社長は、思いもよらない言葉をかけてくれたのです。
「それなら、コチ丸くんがその学校に通えるように、お給料を上げよう」
社長は私に新しい役職を与えてくれ、息子の学費を全額払えるだけのベースアップをしてくれたのです。普通、一社員の家庭の事情で、そんな急激に給料が上がることなんてあり得ません。この社長の決断が、のちのわが家のすべての運命を好転させてくれました。この恩は、私が墓場まで持っていくつもりの、一生忘れない大切な宝物です。
誰かと比べるのではなく、息子なりの幸せな形を見つける方法
ひとり親で子どもを育てるだけでも大変なことです。それがもし、不登校や発達障害のあるお子さんであれば、大変さは何倍にも膨れ上がります。学校への付き添い、地元の学校以外の選択肢探し、急な通院や呼び出しで休まなければいけない仕事、そしてイレギュラーにかかるお金……。親一人で抱え込むには、あまりにも荷物が重すぎます。
だからこそ、人に頼ることが苦手だった私は「誰かの手を借りることは、悪いことじゃない」と実感しました。
そしてそれがいつでも遠慮なくできるよう、自分も常日頃から、いろんな人と積極的に関わり、基本的に何事に対しても一生懸命向き合おうと心掛けてやってきました。
当時は誰かと比べるモノサシでコチ丸を測ろうとしていた自分がいましたが、今はそんなことより、コチ丸なりの幸せな形を模索するために、いろんな人と関わり、助けてもらう方法を学んでいってくれたらと思います。
実際、中学を卒業する頃にはコチ丸は親のもとを離れ、自分の夢を叶えるために寮に入り高校に通いました。そこでは当然親に頼ることはできず、自分で生きていく術を考え、いろんな人に頼りながらやってきた3年間だったと思います。親としては早い独り立ちに寂しさもありましたが、いずれは誰しもが通る道。周りに助けてもらう土台があったからこそ、コチ丸は一歩を踏み出すことができたのだと思っています。
不登校・発達障害・ひとり親……と、なかなか人の目が気になったり、子どもの発達過程が気になって孤立してしまいがちな環境が揃ってしまったわが家でしたが、思い切って外に出ることでいろいろな人と関わり、支えられ、良い循環を作ることができたと、これまで関わってくれた人たちに感謝でいっぱいです。
執筆/あき
だからこそ、人に頼ることが苦手だった私は「誰かの手を借りることは、悪いことじゃない」と実感しました。
そしてそれがいつでも遠慮なくできるよう、自分も常日頃から、いろんな人と積極的に関わり、基本的に何事に対しても一生懸命向き合おうと心掛けてやってきました。
当時は誰かと比べるモノサシでコチ丸を測ろうとしていた自分がいましたが、今はそんなことより、コチ丸なりの幸せな形を模索するために、いろんな人と関わり、助けてもらう方法を学んでいってくれたらと思います。
実際、中学を卒業する頃にはコチ丸は親のもとを離れ、自分の夢を叶えるために寮に入り高校に通いました。そこでは当然親に頼ることはできず、自分で生きていく術を考え、いろんな人に頼りながらやってきた3年間だったと思います。親としては早い独り立ちに寂しさもありましたが、いずれは誰しもが通る道。周りに助けてもらう土台があったからこそ、コチ丸は一歩を踏み出すことができたのだと思っています。
不登校・発達障害・ひとり親……と、なかなか人の目が気になったり、子どもの発達過程が気になって孤立してしまいがちな環境が揃ってしまったわが家でしたが、思い切って外に出ることでいろいろな人と関わり、支えられ、良い循環を作ることができたと、これまで関わってくれた人たちに感謝でいっぱいです。
執筆/あき
専門家コメント 初川久美子先生(臨床心理士・公認心理師)
発達障害があり不登校のコチ丸くんをひとり親で育てるにあたって「人に頼ること」が苦手だったあきさんが、コチ丸くんの診断がおりたことをきっかけに「躊躇せず、助けられ上手になること」へと腹を決められたエピソードをありがとうございます。ひとり親の子だからと後ろ指をさされないように、あるいは、みんなと同じに「普通」であってほしいと子育てする。このあたりは、同じような思い(焦りや不安)を抱いたことのある読者の方も多いのでないでしょうか。子どもは、そのお子さんのペースで育つものである面もありますし、すべてが“育て方”によって思い通りに育つわけではありません。しかし、子育てのはじめの時期は特に、(良いとされている方法で)手をかけて子育てしたら、良い子に育つと信じて頑張ってしまうことも多いです。保育園や幼稚園、そして小学校など集団生活が本格化する中で、お子さんの特性やつまずきが特に見えやすくなるため、「お迎え要請」が入ることも増えます。
さて、あきさんは覚悟を決めて、ご自身が苦手な「人に頼る」に取り組まれたのですね。覚悟と気合いを要することだったかもしれませんが、「人を頼る」ことに挑戦くださってよかったです。人は一人では生きていけないですし、一人で何とかなると思えているのは、その人がよほど順調で健康である場合など、かなり限定的な状況でしかないと感じます。そもそも子育ては一人や少人数でするものではないことは歴史が教えてくれるところです。何より、自分で全部できることを目指すと窮屈です。コチ丸くんが育つ中で、コチ丸くんも周囲の方々からよき影響やケア、サポートを受けながら育っていってくれると心強いですね。持ちつ持たれつ、おたがいさまの心持ちで生活が営めるよう、日々さまざまな方と積極的に関係づくりされてきたことに頭が下がります。そうして、世間的な物差しで見ることや「普通」との比較ではなく、コチ丸くんがコチ丸くんらしい幸せの形を探せるようにという心持ちになられたとのこと。何より素晴らしいと感じます。(監修:臨床心理士・公認心理師 初川久美子先生)
さて、あきさんは覚悟を決めて、ご自身が苦手な「人に頼る」に取り組まれたのですね。覚悟と気合いを要することだったかもしれませんが、「人を頼る」ことに挑戦くださってよかったです。人は一人では生きていけないですし、一人で何とかなると思えているのは、その人がよほど順調で健康である場合など、かなり限定的な状況でしかないと感じます。そもそも子育ては一人や少人数でするものではないことは歴史が教えてくれるところです。何より、自分で全部できることを目指すと窮屈です。コチ丸くんが育つ中で、コチ丸くんも周囲の方々からよき影響やケア、サポートを受けながら育っていってくれると心強いですね。持ちつ持たれつ、おたがいさまの心持ちで生活が営めるよう、日々さまざまな方と積極的に関係づくりされてきたことに頭が下がります。そうして、世間的な物差しで見ることや「普通」との比較ではなく、コチ丸くんがコチ丸くんらしい幸せの形を探せるようにという心持ちになられたとのこと。何より素晴らしいと感じます。(監修:臨床心理士・公認心理師 初川久美子先生)
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
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