発達障害のある高校生息子が気づいた「物の受け渡し」の難しさ。"すぐ手を離さない"工夫と他者との協調
ライター:丸山さとこ
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高校生の息子が最近気づいた、物を渡すときの小さなコツ。その一言から、物の受け渡しに必要な協調や、幼い頃からの変化、家庭での工夫について考えました。
監修: 鈴木直光
筑波こどものこころクリニック院長
1959年東京都生まれ。1985年秋田大学医学部卒。在学中YMCAキャンプリーダーで初めて自閉症児に出会う。同年東京医科歯科大学小児科入局。
1987〜88年、瀬川小児神経学クリニックで自閉症と神経学を学び、栃木県県南健康福祉センターの発達相談で数々の発達障がい児と出会う。2011年、茨城県つくば市に筑波こどものこころクリニック開院。
物を渡すときに落とさないコツを、掴んだようです
高校生の息子の、何気ない一言
神経発達症(発達障害)がある息子のコウは、現在高校生です。彼は、英単語を覚えるときや、私に何かを説明したいときなど、よく電子メモパッドを使っています。私も、彼と話す中で借りて使うことがあります。
先日も、コウと話しながら「書いて説明するね」と電子メモパッドを借りました。私にそれを手渡したあと、彼が何気なく言いました。
「渡すときに、すぐ手を離さないようにすることを最近覚えた」と。
私は、メモパッドに何を書こうとしていたのかも忘れて、「どういうこと?」と聞き返しました。
物を渡すときに、すぐに手を離さない。相手がきちんと持ったことを確認してから、自分の手を離す。私にとっては、どちらもごく当たり前のことでした。
息子と話していると、「それに今気づいたの?」と驚かされることがあるのですが、今回の彼の発言は、その中でも特に印象深いものでした。
先日も、コウと話しながら「書いて説明するね」と電子メモパッドを借りました。私にそれを手渡したあと、彼が何気なく言いました。
「渡すときに、すぐ手を離さないようにすることを最近覚えた」と。
私は、メモパッドに何を書こうとしていたのかも忘れて、「どういうこと?」と聞き返しました。
物を渡すときに、すぐに手を離さない。相手がきちんと持ったことを確認してから、自分の手を離す。私にとっては、どちらもごく当たり前のことでした。
息子と話していると、「それに今気づいたの?」と驚かされることがあるのですが、今回の彼の発言は、その中でも特に印象深いものでした。
幼い頃のコウは、物の受け渡しが苦手でした
コウは、幼い頃から物の受け渡しがあまり得意ではありませんでした。
小学生の頃は、コウから何かを受け取ろうと手を伸ばすと、こちらがしっかり持つより早く手を離してしまうことがありました。
ですが、近年はそういうこともほぼなくなっていたため、高校生になった今では、それほど気にしていませんでした。
ただ、改めて振り返ると、コウ以外の人と物の受け渡しをしていて、物を落とすことはほとんどありません。
「なるほど、『渡すときにすぐ手を離さない』は、確かに最近気づいたことなのだろう」と納得しました。
小学生の頃は、コウから何かを受け取ろうと手を伸ばすと、こちらがしっかり持つより早く手を離してしまうことがありました。
ですが、近年はそういうこともほぼなくなっていたため、高校生になった今では、それほど気にしていませんでした。
ただ、改めて振り返ると、コウ以外の人と物の受け渡しをしていて、物を落とすことはほとんどありません。
「なるほど、『渡すときにすぐ手を離さない』は、確かに最近気づいたことなのだろう」と納得しました。
私の側に残っていた無意識の習慣
生活は毎日のことなので、日々の些細な工夫は、いつの間にか無意識の中に紛れてしまいます。
たとえば、落とされたくない物をコウに渡すとき。
私は、「コウが確実に持ったことを確認してから自分の手を離す」ということを、ずっとしていました。
私はそのことを「コウが小さかった頃の癖が残っているのだ」と思っていましたが、無意識のうちに、今も「少し慎重にしたほうがよさそうだ」と判断していたのかもしれません。
たとえば、落とされたくない物をコウに渡すとき。
私は、「コウが確実に持ったことを確認してから自分の手を離す」ということを、ずっとしていました。
私はそのことを「コウが小さかった頃の癖が残っているのだ」と思っていましたが、無意識のうちに、今も「少し慎重にしたほうがよさそうだ」と判断していたのかもしれません。
「物を渡す」は、意外と複雑な動作なのかも?
一瞬の間で、相手に合わせている
考えてみると、普段何気なく行っている「物を渡す」「物を受け取る」ということは、結構複雑な行為です。
そんな判断や調整の連続が、短い時間の中で行われています。
- 相手がどこに手を出すのかを見る、相手が物をつかんだことを確認する
- どの程度の力で持っているのかを感じる
- 相手が支えられる状態になったところで、自分の力を抜く
そんな判断や調整の連続が、短い時間の中で行われています。
一人で持つこと、二人で持つこと
以前、ロボットアームについて、興味深い話を知ったことがあります。
「一人の人間が、両手で大きな箱を挟むようにして持ち上げる」という動作と、「二人の人間が、それぞれ片手を使って挟むように持ち上げる」動作では、事情が違うそうなのです。
「二本の手で箱を挟むようにして持ち上げる」という動作において、片方の手がかける力の向きや大きさを変えれば、もう片方の手もそれに合わせて調整する必要があります。
「一人の人間が、両手で大きな箱を挟むようにして持ち上げる」という動作と、「二人の人間が、それぞれ片手を使って挟むように持ち上げる」動作では、事情が違うそうなのです。
「二本の手で箱を挟むようにして持ち上げる」という動作において、片方の手がかける力の向きや大きさを変えれば、もう片方の手もそれに合わせて調整する必要があります。
運動会などにある「みんなで協力して物を運ぶ競技」を想像すると、分かりやすいかもしれません。
一人で両手を使って大きなボールを持って走るのに比べて、二人が片手ずつ使って一つのボールを運ぶ場合は、相手と動きを合わせる難しさが加わります。
一人の両手なら、同じ人の脳や神経が二本の腕をまとめて調整しています。
けれど、二人でそれを行うとなると、互いに、自分とは別の脳と身体を持つ相手の状態を感じ取りながら、自分の動きを合わせる必要があります。
一人で両手を使って大きなボールを持って走るのに比べて、二人が片手ずつ使って一つのボールを運ぶ場合は、相手と動きを合わせる難しさが加わります。
一人の両手なら、同じ人の脳や神経が二本の腕をまとめて調整しています。
けれど、二人でそれを行うとなると、互いに、自分とは別の脳と身体を持つ相手の状態を感じ取りながら、自分の動きを合わせる必要があります。
ロボットアームにも似た難しさがあるらしく……?
これについては、ロボットでも似たような難しさがあるそうです。
二本のロボットアームで一つの物をつかんで運ぶには、複数の情報を拾いながら、二本のアームを協調させる制御が必要になります。
それぞれのアームがどのくらいの力をかけているのか。
もう片方のアームがどう動いているのか。
物体が傾いたり、滑ったりしていないか。
それぞれが別々に判断して動く仕組みであれば、一方のアームだけでは直接分からない「もう一方の状態」も、何らかの形で受け取ったり、推定したりしなければなりません。
しかも、相手の状態はずっと同じではありません。得た情報に合わせて片方が動けば、その間にも相手側の状態は変化していきます。
二本のロボットアームで一つの物をつかんで運ぶには、複数の情報を拾いながら、二本のアームを協調させる制御が必要になります。
それぞれのアームがどのくらいの力をかけているのか。
もう片方のアームがどう動いているのか。
物体が傾いたり、滑ったりしていないか。
それぞれが別々に判断して動く仕組みであれば、一方のアームだけでは直接分からない「もう一方の状態」も、何らかの形で受け取ったり、推定したりしなければなりません。
しかも、相手の状態はずっと同じではありません。得た情報に合わせて片方が動けば、その間にも相手側の状態は変化していきます。
私はこの話を知ったとき、「相手の状態を受け取って、それに合わせて自分の出力を調整するって、難しいことなんだな」と思いました。
考えてみれば、人と人との物の受け渡しも同じです。相手がどこまで手を伸ばしたのか、もう物をつかんだのか。どのくらいの力で持っているのか、などなど。
渡す側は、ほんの一瞬のあいだに相手の状態を受け取りながら、自分の手の位置や力を変え、最後に手を離します。
私たちが何気なく行っている「物を渡す」という動作は、一人だけでは完結しない、他者との協調運動なのかもしれません。
考えてみれば、人と人との物の受け渡しも同じです。相手がどこまで手を伸ばしたのか、もう物をつかんだのか。どのくらいの力で持っているのか、などなど。
渡す側は、ほんの一瞬のあいだに相手の状態を受け取りながら、自分の手の位置や力を変え、最後に手を離します。
私たちが何気なく行っている「物を渡す」という動作は、一人だけでは完結しない、他者との協調運動なのかもしれません。
物の受け渡しと、「相手」という存在のこと
コウが幼い頃、物の受け渡しが苦手だった理由は、いろいろあったのだろうと思います。
手指をうまく使うことの難しさがあったのかもしれませんし、相手の動きを見ながら、自分の動きを合わせることも難しかったのかもしれません。
物に意識が向くと、相手への注意が薄くなることも関係していたのかもしれません。
いずれにせよ、なぜ物の受け渡しがうまくいかなかったのか、その理由を私は正確には知りません。
それでも、高校生になったコウが、経験の中で「渡すときには、相手が持つまで手を離さない」と気づいたことは確かです。
手指をうまく使うことの難しさがあったのかもしれませんし、相手の動きを見ながら、自分の動きを合わせることも難しかったのかもしれません。
物に意識が向くと、相手への注意が薄くなることも関係していたのかもしれません。
いずれにせよ、なぜ物の受け渡しがうまくいかなかったのか、その理由を私は正確には知りません。
それでも、高校生になったコウが、経験の中で「渡すときには、相手が持つまで手を離さない」と気づいたことは確かです。
幼い頃の彼にとって、物の受け渡しが「自分の手から物を離す」「自分の手に物を取る」という動作に近いものだったのだとしたら。
自分が何をしたかだけではなく、相手が今どんな状態なのかを見て、それに合わせて自分の動きを変えるということは、彼にとって大きな発見だったのかもしれません。
自分が何をしたかだけではなく、相手が今どんな状態なのかを見て、それに合わせて自分の動きを変えるということは、彼にとって大きな発見だったのかもしれません。
執筆/丸山さとこ
専門家コメント 鈴木直光先生(小児科医)
他人から教わったわけではなく、自分自身で気づいて行動できたことは素晴らしいことだと思います。相手の気持ちを汲み取ることに難しさを感じやすい神経発達症の方にとって、相手が今どんな状態なのかを見て自分の動きを変えられることは、一つの大きな進歩といえるのではないでしょうか。今まで物を受け渡すときに何度も落としてしまった経験が、逆に功を奏したのかもしれません。それを自分で分析して解決できたことは、これからの彼の人生に間違いなくプラスとして働くことでしょう。(監修:小児科医 鈴木直光先生)
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。