「母親らしさ」って何?悩み続けたわたしに息子が掛けてくれた言葉
ライター:鈴木希望
共感することが不得手な自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)のわたし。それは我が子に対しても同じこと。“母親ならではの愛”がどんなものなのかさっぱりわかりませんから、それを与えることができません。「これでは良くない」と悩み、ノイローゼになりかかったことも。
それでもどうにかなってきた理由は……何でしょうね?
母親らしさとは?
「母親らしさ」ってどんなものだと思いますか?
息子とわたしの関係を「友達親子」と表現する友人知人がいます。
なるほど、言い得て妙。しかし、わたしはそういった関係性を望み、選択したわけではありません。
それしかできなかっただけなのです。
一時はノイローゼになりそうなほど悩んだ「母親らしさ」について、わたしと息子のエピソードを交えて考えてみたいと思います。
息子とわたしの関係を「友達親子」と表現する友人知人がいます。
なるほど、言い得て妙。しかし、わたしはそういった関係性を望み、選択したわけではありません。
それしかできなかっただけなのです。
一時はノイローゼになりそうなほど悩んだ「母親らしさ」について、わたしと息子のエピソードを交えて考えてみたいと思います。
アスペなわたしの妊産婦時代
わたしがアスペルガー症候群の診断を受けたのは39歳の夏。
きっかけは、息子が同様の特性を持っているという可能性があると、保育園で指摘されたことでした。
たしかに振り返ってみると、息子が生まれる前から「あれはアスペルガー特有の言動、考え方だったんだなあ」と感じることがたくさんありました。
息子を妊娠している時、わたしは臨月まで仕事をしていました。母親学級へ行くことはなく、健診で必要最低限の情報を入手するのみ。
このため、妊婦仲間ができることもなく、他の誰かと自分を比べることもありませんでした。
妊婦ならではのトラブルもありましたが、「胎内に別の人がいる」という初めての感覚を、ただひたすら楽しむことができました。
出産直後に息子と対面した感想は、「この人がいたのか。足の指がわたしにそっくり…」。
ドラマで観たような「やっと会えた…わたしの赤ちゃん!」というような感激が得られず、そんな自分にちょっぴりがっかりしたのを覚えています。
きっかけは、息子が同様の特性を持っているという可能性があると、保育園で指摘されたことでした。
たしかに振り返ってみると、息子が生まれる前から「あれはアスペルガー特有の言動、考え方だったんだなあ」と感じることがたくさんありました。
息子を妊娠している時、わたしは臨月まで仕事をしていました。母親学級へ行くことはなく、健診で必要最低限の情報を入手するのみ。
このため、妊婦仲間ができることもなく、他の誰かと自分を比べることもありませんでした。
妊婦ならではのトラブルもありましたが、「胎内に別の人がいる」という初めての感覚を、ただひたすら楽しむことができました。
出産直後に息子と対面した感想は、「この人がいたのか。足の指がわたしにそっくり…」。
ドラマで観たような「やっと会えた…わたしの赤ちゃん!」というような感激が得られず、そんな自分にちょっぴりがっかりしたのを覚えています。
「母親ならではの愛」って?わからなくて苦しかった時期も
誕生した赤ちゃん=我が子は、生まれたての生物として可愛く思えました。「死なせないこと」を目標に世話をしていると、徐々に人類らしさがにじみ出るようになり、それを観察するのが日々の楽しみ。
コミュニケーションを取れるようになると、息子・ハルはとても"いいやつ"であることがわかってきました。
「こいつと生活するの、楽しい!こいつのこと、わたしは好きだなあ」
息子ハルに対する思いは、彼が生まれてから今に至るまで一貫してこれです。
愛情はあるのでしょうが、これが“母親ならではの愛”というものなのかは全くわかりません。
いかんせん、他の親御さんの感覚と自分のそれを、実感できるような形で比較することはできませんからね。
息子とけんかしたり、彼に意見を述べることがあっても、叱ることはありません。
質問があれば答えますし、問題が起こったら一緒に考えます。
でも、わたし自身から何かを教えるようなことはしません。
そうするのは、わたしがただ息子より34年早く生まれただけの存在だと思うからです。
そこに上下関係や支配はなく、頼まれてもいないのに指導・教育するのは、差しでがましい事だととわたしは考えます。
こうした考え方を「母親らしくいられない」と悩み、自分を責め、ノイローゼになりかかったことも実はありました。
しかし、指導・教育をしなくても自ら学び、時としてわたしを導いてくれる息子の姿を目の当たりにして、
「そのままでも別にいいか」と思えるようになりました。
コミュニケーションを取れるようになると、息子・ハルはとても"いいやつ"であることがわかってきました。
「こいつと生活するの、楽しい!こいつのこと、わたしは好きだなあ」
息子ハルに対する思いは、彼が生まれてから今に至るまで一貫してこれです。
愛情はあるのでしょうが、これが“母親ならではの愛”というものなのかは全くわかりません。
いかんせん、他の親御さんの感覚と自分のそれを、実感できるような形で比較することはできませんからね。
息子とけんかしたり、彼に意見を述べることがあっても、叱ることはありません。
質問があれば答えますし、問題が起こったら一緒に考えます。
でも、わたし自身から何かを教えるようなことはしません。
そうするのは、わたしがただ息子より34年早く生まれただけの存在だと思うからです。
そこに上下関係や支配はなく、頼まれてもいないのに指導・教育するのは、差しでがましい事だととわたしは考えます。
こうした考え方を「母親らしくいられない」と悩み、自分を責め、ノイローゼになりかかったことも実はありました。
しかし、指導・教育をしなくても自ら学び、時としてわたしを導いてくれる息子の姿を目の当たりにして、
「そのままでも別にいいか」と思えるようになりました。