勉強はどうしてる?小2から中1まで不登校を続けている娘の場合
ライター:ヨーコ
不登校生活をしていて一番聞かれるのは「勉強はどうしてるの?」ということ。うちは小2から中1の現在まで不登校ですが、学校でするような勉強は全くしていません。学習障害を持ったわが子の心の傷は「勉強」から生まれたものも多い。心の回復を重視して見守り続けた今、娘の成長と学力はどうなったのか。そして心の回復について書いてみます。
勉強への抵抗で鉛筆も持てない状態だった小2
小学校2年生で不登校になった娘は、学習障害があり、計算が苦手。
指で計算しているのを友達に怒られたり、字が汚いと先生にとがめられた娘は、勉強に強い拒否感を持ち、無理にさせたらパニックを起こす状態でした。
鉛筆を持つことすら拒否し、絵を描くときも、鉛筆はもたず筆ペンなど、違う文具を選んでいました。
その結果、5年生くらいのときにはひらがなが鏡文字に戻り、お金の計算もできない状態になってしまっていたのです。
新学期になって教科書をもらっても全く見ようともしない様子を見ていると心配でしたが、私は娘が心の健康を取り戻すことを一番に考え、一切勉強することを促しませんでした。
そのころに娘のために何か…と悩み読んだ本の中で、こんなアドバイスがありました。
「学校の勉強はしなくても、普通に生活していれば最低限の知識はつきます。本当に勉強したくなったときには、小学校のレベルの勉強は1年程度で追いつきます。」
その言葉が私の心の支えでした。
指で計算しているのを友達に怒られたり、字が汚いと先生にとがめられた娘は、勉強に強い拒否感を持ち、無理にさせたらパニックを起こす状態でした。
鉛筆を持つことすら拒否し、絵を描くときも、鉛筆はもたず筆ペンなど、違う文具を選んでいました。
その結果、5年生くらいのときにはひらがなが鏡文字に戻り、お金の計算もできない状態になってしまっていたのです。
新学期になって教科書をもらっても全く見ようともしない様子を見ていると心配でしたが、私は娘が心の健康を取り戻すことを一番に考え、一切勉強することを促しませんでした。
そのころに娘のために何か…と悩み読んだ本の中で、こんなアドバイスがありました。
「学校の勉強はしなくても、普通に生活していれば最低限の知識はつきます。本当に勉強したくなったときには、小学校のレベルの勉強は1年程度で追いつきます。」
その言葉が私の心の支えでした。
娘にとって鉛筆・教科書の代わりになったのはPC
娘がパソコンにはまり、娘専用のパソコンを買い与えたのが小学校3年生のときでした。書くのに抵抗のあった娘に、私はわざとローマ字入力しか教えませんでした。
「ローマ字なんか知らない」というので、教科書を引っ張り出してきて渡すと一生懸命読みはじめました。
「入力の仕方がわからない文字がある」と言われたら、ローマ字入力表を渡しておきました。
すると、たった1週間でタイピングをマスターし、ローマ字も覚えてしまったのです。本当に必要なことはすぐに頭に入るんだと感じた瞬間でした。
それからパソコンでゲームや動画を見るだけでなく、ネットニュースにも興味を持つようになり、都道府県の位置や外国のこと、世の中の仕組みについて、娘が自分から質問してくるようになりました。そして少しずつ世の中のことに関する知識をつけていったのです。
お金の勉強はというと、娘がインターネットで買い物する際には、まず私がカードで決済し、そのあと娘は自分のお小遣いの中から現金を私に支払うことにしました。
そのやり取りの中で、おこずかい帳をつけることや、お釣りの仕組みなどについて覚えていったのです。
「ローマ字なんか知らない」というので、教科書を引っ張り出してきて渡すと一生懸命読みはじめました。
「入力の仕方がわからない文字がある」と言われたら、ローマ字入力表を渡しておきました。
すると、たった1週間でタイピングをマスターし、ローマ字も覚えてしまったのです。本当に必要なことはすぐに頭に入るんだと感じた瞬間でした。
それからパソコンでゲームや動画を見るだけでなく、ネットニュースにも興味を持つようになり、都道府県の位置や外国のこと、世の中の仕組みについて、娘が自分から質問してくるようになりました。そして少しずつ世の中のことに関する知識をつけていったのです。
お金の勉強はというと、娘がインターネットで買い物する際には、まず私がカードで決済し、そのあと娘は自分のお小遣いの中から現金を私に支払うことにしました。
そのやり取りの中で、おこずかい帳をつけることや、お釣りの仕組みなどについて覚えていったのです。
無理に勉強を促さず、見守る。娘の心がどんどん元気になっていく
こんな風に少しずつ娘のペースで生活に必要な最低限の勉強すべきことを身についけていきました。
勉強や学校から解放された娘は、はじめ学校へ行かないことに罪悪感を感じ、元気がありませんでしたが、私が「もう学校はいいや」と思いきれた頃から、それを感じ取ったように元気を取り戻していきました。
小学校4年生のときにはパソコンを見ながら声を立てて笑うようになりました。めったに外出はしないけれど、夏祭りに出かけて友達と会ったりできるようになったのです。
そして5年生くらいから、学校に行っていたときの気持ちや私への不満なども口にできるようになりました。どれだけ感情を抑え込んでいたのかと思うと、時には反抗的になったとしても、感情表現をしてくれる様子にホッとしたものです。
いつの間にか電卓を使うようになり、メモ書きに鉛筆で書いた正しいひらがなも見られるようになっていました。
6年生のときは卒業式関連で学校からの働きかけも多く、大きく心身の調子を崩しましたが、中学校に通わないことを自分で決め、自分らしい自己決定ができるようになっていました。
勉強や学校から解放された娘は、はじめ学校へ行かないことに罪悪感を感じ、元気がありませんでしたが、私が「もう学校はいいや」と思いきれた頃から、それを感じ取ったように元気を取り戻していきました。
小学校4年生のときにはパソコンを見ながら声を立てて笑うようになりました。めったに外出はしないけれど、夏祭りに出かけて友達と会ったりできるようになったのです。
そして5年生くらいから、学校に行っていたときの気持ちや私への不満なども口にできるようになりました。どれだけ感情を抑え込んでいたのかと思うと、時には反抗的になったとしても、感情表現をしてくれる様子にホッとしたものです。
いつの間にか電卓を使うようになり、メモ書きに鉛筆で書いた正しいひらがなも見られるようになっていました。
6年生のときは卒業式関連で学校からの働きかけも多く、大きく心身の調子を崩しましたが、中学校に通わないことを自分で決め、自分らしい自己決定ができるようになっていました。